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いったい何を仕込んできたか

2016年10月15日 | 雑記帳
 先日、友人と久しぶりに行った馴染みの店で、マスターも交えて「自由人」といった話題になったとき、ある人のことを思い出した。もう十数年前になるが、教委研修でご自宅にお邪魔して話を聴いたことがあった。マスターもその方と顔見知りだったようで話が弾んだ。そう言えば、何か書いていたはずだと探してみた。



 「自由人は語る」と題した文章はなんと4回にわたって綴られていた。以前開設していたauブログで、今はもうないが幸いデータは残っていた。読み返してみると、現在の自分に必要なことばかりだなあと驚いてしまった。もはや手遅れとも思うが、もういっぺんという気持ちで一部をここに再録し、噛み締めよう。


・・・・・「自由人は語る その1」  2005/1/29 より一部抜粋

 70年代後半、この田舎に引っ越してきた時の、周囲の目は簡単に想像できる。
 傍目から見れば「変わり者」「物好き」という名でしか形容されなかったにちがいない。それは、Aさんを見送った都会の人たちも同様だったという。

 しかし、ここでモノ作りを始めようとするAさんには、強い意志はもちろんだが、実は戦略があった。
 会社勤めの傍らに身につけた革工芸の技術、そして当時の田舎の安い土地を買う資金、何より自分の作品を流通させるためのネットワーク…
 そしてそのネットワークを生かして、様々なイベントも行ってきたという。
 それが現在の地域おこしにつながっている例も多いと聞いた。
 Aさんがお話の冒頭で強調された言葉は

 仕込み

 今の自分の生活があるのは、技術や人脈などを綿密に仕込んできたからにほかならないと語った。
 自由を得るためには、仕込みが必要だ。
 自分のしたいことを実現しようとすれば、時代の流れを読む冷静な目と暮らしを成り立たせる周到さが用意されていなければならない。

  ・・・・・

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