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やはりコミュニケーション能力なのだ

2007年06月15日 | 読書
 陸上競技400mで日本人初のファイナリストになった高野進は、現在コーチとして活躍しているが、最近の雑誌に載ったそのインタビューがなかなか興味深かった。

 ファイナリストとなった91年東京国際陸上の場で、スタートラインに立ったとき、高野は次のことを理解したという。

 自分のために走るアマチュアリズムと他者のために走るプロフェッショナリズムの違い

 走ることを自らの使命と考えた高野は、その後指導者へ進むのだが、次のようなことを語っている。

 指導者に興味は全くなかったし、今でも自分のことを指導者だと思っていません

 高野は、限界の見えていた自分の身体の換わりに、若い選手の体を借りて、自分が追求するスプリントイメージを実践してもらおうと考えたのだった。必然的に自分の考えを押し付けていく形となるその指導に、若い選手がただ従順に従うわけはない。案の定、学生たちに反旗を翻された高野は悩んだ。陸上を辞めようかとも思ったという。

 しかし思い返して選手の立場にたっての指導へ転換…と、普通ならこう展開するのが感動的?なのだが、高野は違っていた。

 でも私は折れなかった。あくまでも自分が指導者としてやりたいのは、自分が理想とする走りの実現、すなわち自己実現だったからです。信じる道を突き進むことに決めました

 そのために様々な工夫をするのだが、いうなれば考えを同じくする、方向性があう者の集団作りという点は否めない。陸上競技であってもチームと考える高野は、「土の入れ替え」というような言葉で賛同する選手たちを集め始めたのである。それも遠方の九州が多かったという(簡単に家へ帰ることができないという理由がまたおもしろい)。

 部員を平等に見たりせず、作戦的に練習メニューや大会参加を考えるという。そうした考えについてよく説明し共通の価値観をもたせてくのが高野の方法だ。
 やはり、そこはチームといっても個人種目が大半である陸上競技という特性が大きいのかもしれない。
 それにしても、考えてみれば他の競技の指導者でも案外このタイプは多いのではないか。いわば自己の信念を強くだし、それに同調する、強く惹かれる選手とともに突き進むタイプである。

 では、平凡か一流かの境目はいったい何なのか…このインタビューから探ってみると、いくつかあるキャッチコピーの一つに結論を見い出す。

 組織作りも選手の育成も
 イメージなしに考えられない
 必要なのはコミュニケーション能力

 指導者がイメージを伝えるために、説明や例え話の重要性は必須であり、それはコミュニケーション能力に他ならない。そしてそれは、実は指導者だけでなく選手にも要求されることだ。

 自己実現だけを目指して指導してきた高野に、「考え方が変わりました」と言わしめたのはあの末續選手であった。
 その事実は、お互いのコミュニケーションによってより高い次元が示されたことを物語っている。


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