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性格が事件に遭遇させる

2021年03月02日 | 雑記帳
 「人は、その性格に合った事件にしか出会わない(抄)」と付けられた見出しに目がいった。『波』3月号(新潮社)に「城山三郎、渋沢栄一を語る」と題され、著書から渋沢に関する記述が紹介されている。もちろん、大河ドラマ「青天を衝け」の主人公として取り上げられたからだろう。この文章がすこぶる良かった。


 見出しの一文は「小林秀雄さんがどこかに書いておられた」と記しているので(抄)なのだ。それにしても含蓄ある一言だ。城山は「小林さん流の逆説」と言いながら「人生の真理じゃないか」と賛同する。そして、次のような文章で括っている。「事件が性格を作るんじゃない。性格が事件に遭遇させてしまう。


 「事件」としての範囲の定め方は様々だろう。例えば、多くの人を巻き込む自然災害などの捉え方は難しい。生死を伴う出来事に対してこう言ってしまうのは不遜なことかもしれないが、それでも、困難に対する向き合い方には性格が出ることは確かだ。その意味で平凡な暮らしに起こる「事件」には全く当てはまる。


 ごく一般的な、進路や職業選択、結婚や家族・縁者との付き合い方も一つの「事件」と言える。人はよく「あの時、…だったら」という思考をしがちだが、結局のところその選択における結果は、自分の「性格」によって決定された、導かれたものである。後ろ向きの思考をする性格が「悪い事件」という捉え方になる。


 城山は、渋沢栄一といとこである喜作の例を出して語っている。ドラマの見どころが増えた。さて客観的にはそんな物言いに同調するにしても、では自分はどんな事件に遭遇してきたか。どんな性格だったからか…となると分析は難しい。好奇心は強いが臆病ではある。集まり好きだが頻繁に落ち込む…いかにも半端だ


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