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回収段階と思い知る

2022年01月13日 | 読書
 (前日からの続き)
 石川が、結論を一行で示したと考えられる文はこれである。
「人生を因果ではなく、因縁としてとらえること」



『どうすれば幸せになれるか科学的に考えてみた』
 (石川善樹・吉田尚記  KADOKAWA)

 幸せを考えるうえで「楽しい状態」は欠かせない。以前、石川が示した「幸せ」が心理学的に「快楽」「意味」「没頭」という三つのパターンを持っていることと深くかかわっていると考えられる。そのどれかに当てはまっているとして、本当に自分の欲望に忠実か、他者の評価に委ねていないかがポイントに違いない。


 「日本人は『空気を読む訓練』を受けている」…その指摘はかなり重要だ。自分も加担していないか。おもちゃの車を投げる子どもに対して「クルマさんが痛いでしょう」とよく言ったりする。それはモノを大切にする価値の伝達なのだが、他者の視点を知らせるとともに外部の評価軸を意識させる声かけとも言える。


 さて、今併行して読んでいる茂木健一郎の英語本の訳書『IKIGAI』に、こんな一節がある。「幸せの絶対的公式などないのである。」…誰しも納得しそうなこの命題に、果敢に挑戦しているのが石川×吉田の対談だろう。最終章で吉田は「『幸せに生きる方法』を一般化できる気がしてきました」と次のように示した。


「①まず「好き」をベースとして得意なことを1つ見つける。②ある程度まで「得意」で進んだら、不得意なことをやってみる」…その続きは羅列されていないが、文中から探ると「コンセプトを持つ」「チェックリストをつくる」等で具体化されていくと予想した。つまり「好きを知る」量を増やすことではないか。


 「コネクティング・ザ・ドット」つまり「点をつなげる」…「自分の人生を振り返って、そこに存在している興味関心をつなげてみる」考えが示されていた。そこには「50歳ぐらい」と記され、かなり手遅れと自覚する。ドットはもう増える可能性は低いし、この齢ならその「回収」という方向が現実的と思い知る。