すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

目の前の未来へ働きかける

2018年04月23日 | 読書
2018読了45
 『孫の力~誰もしたことのない観察の記録』(島泰三 中公新書)


 何かと言えば「〇〇力」という名付けが多かった。その一つに「祖父母力」というものもある。勤めた学校の祖父母PTAで挨拶したときに使ったなあ…、と自分もようやく祖父になったわけだが、実際には役立たずが続く毎日。某書店で見つけたこのタイトル…念のため、かの金持ち某SB会長のことではありません。


 著者はニホンザル研究の権威である。研究者的視点を随所に覗かせながら、自分の初孫を観察しその記録を残した。ヒトだけが意識できる「孫」という存在の、生物的な関係を超えた「社会的・文化的意味」を見出そうという試みだ。そうは言っても、孫は無条件で愛情を注げる対象であり、その絡まりが味わい深い。



 赤ちゃんのはじめてのほほえみを見たとき、誰しも幸福感に満たされるだろう。それは学術上の位置づけはあるのだが、やはり年老いた身にとって価値は最大限となる。その感情に包まれながら、著者は声の出し方の変化、拍手への対応、笑いの生まれる場について、学者らしい考察を行っている。言葉の獲得も興味深い。


 「意識化の極北で言葉が発せられる」というのは名言である。心が外界に向かい、その刺激が一定量に達するころに、心の方向が内側へシフトしていく。そして体系化が始まり、意識化される。語に表現される段階は、その過程を経て現れる。著者は「これほどゆっくりしたものだとは思わなかった」と述懐している。


 保育園卒園までの記録が部分的に物語風に描かれる。動物の研究ほど厳密さはないが、平坦ではない成長を見守りつつ「心の作られ方」についての考察が随所に盛り込まれる。一年生の夏休みに補助なしで自転車に乗ることが出来、遠ざかる後姿を見るエンディングが美しい。引用した「あとがき」の結びに共感した。

 若者たちに未来を託すといえば無責任になるほどに、世界はきびしい。
 現代の祖父母は親たちとともにありったけの能力をふりしぼって、孫とそれに続く世代が「汚染と戦争と圧政の恐怖に脅かされない社会」を、どうしたら準備できるか自らに問いつづけ、その解答に迫らなくてはならない。
 未来はすでにここに、孫たちとしてあるのだから。