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呼気

2014年03月08日 | 雑記帳
 【呼気】(こき)

 体外に吐き出す空気。また、その流れ(広辞苑)



 徳永進というお医者さんが岩波書店の『図書』3月号に、「<呼気>と<吸気>」という文章を載せている。

 「赤ちゃんが生まれて初めてする呼吸は、吸気か呼気か」という一文から始まるが、途中でとても面白い問いを発した。


 吸気は「吸う」で同じ漢字を使うのに、呼気は「呼く」、ではなく「吐く」と記す。なぜだろう。


 さらに、こんな疑問も浮かべている。


 呼気には「といき」という美しい和語があるのに、吸気にはそれに匹敵する和語は見当たらない。


 ちょっと的に当てられた感じで、一緒に考えこむ。
 そもそも「呼吸」という言葉に今まで疑問を持たなかったのは恥ずべきことだ。
 さっそく調べよう。

 そもそも「呼(こ)」の最初の意味は「息をはくこと」となっていて、通常使っている「よぶこと」は次に位置している。

 「気」はずいぶんと広い意味を持つ言葉だが、もちろん「空気・大気」はしっかり一つとしてある。ただ、その分類の括りとして、こんなふうに記されている。

 はっきりとは見えなくても、その場に漂うと感ぜられるもの。


 漢和辞典や常用字解などを見ても、どうして「呼ぶ」が「吐く」ことになったか明快な説明は見つからなかった。
 ただ「呼ぶ」の「のどを開いて、はあと大きい声を出す」という行為は、必ず息を吐くことを伴うわけだから、ごく自然なのかもしれない。

 そういう点を考え合わせると、息を吐くことは、自分の周囲の「気」を集めようと呼びかけている行為だと勝手に解釈も出来上がる。

 そして、「吸気」によって、「気」を体内に取り込むわけである。


 多くの呼吸法で、呼気の長さが強調される。
 それは、その場に漂うものに呼びかけている行為なのだと信じれば、長くゆっくりと吐く意義づけとしてはかなりユニークだ。

 もっとも、その中に「ため息」も入ってしまうわけで、これは周囲に助けを呼んでいることかと、また勝手な解釈をしたりする。


 さて「吐息」に対する語として「○息」を、ずっと考えているが、なかなかびんとくるものがない。
 仮に「入」「容」など考えてみるが少し単純すぎるか。
 ふと「包」もいいかなとも思ったが、いずれにしても読みがさえない。


 くだらぬ思考をする間も呼吸は続く。

 平均8億回といわれる、呼気と吸気の繰り返しによって、どんな気が自分と外を行き来するのか。

 それをたまに思い出して、意識して行うことは、間違いなく大切だと言えないだろうか。