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晦日、物理的な心構えをつくる

2011年12月30日 | 読書
 先週、漫才の番組に出たスリムクラブのネタの一つ。真栄田があの独特の声と間で(だいたい)こんなことを言った。
 「人と人とがつながりあって…そこに、何が生まれるでしょう………宗教です!」

 客席爆笑。
 日本人の多くが持つ宗教についての認識をよく表していると思う。
 まったく同列とは言えないが、祈りや供養という言葉もそういったとらえ方をされている面もある。

 『原発と祈り』(内田樹・名越康文 メディアファクトリー)を読んだ。

 表紙には橋口いくよという女性作家の名が「聞き手・文」として挙がっていて、実際には鼎談という形になっている。

 この第三章は、題名そのままの「原発と祈り」とされていて、読書系の月刊誌「ダ・ヴィンチ」をたまたま買ったときに読んだ記憶がある。
 内田氏のブログ上でも取り上げられていたこともあり、部分的には結構知っている内容だった。

 ネット上でどの程度「原発供養」や「鎮魂」が話題になっていたのかわからないし、そんな著書も手にしていない自分だが、かなり前から「言霊」ということが気になっていたので、この本には共感できる面が多かった。

 もちろん、いわゆるスピリチュアルなことが語られると全て「イカガワシイ」と遠ざけるという考える人も少なくないだろう。 しかし、そういう思考も含めて、全体を包みこみ、考えを分割しながら、共通項を見いだして、今何をなすべきかということについて、真摯に考えようという姿勢が感じられ、どこか安心して読むことができた。

 この著は、『呪いの時代』の別バージョンといっても差し支えないと思う。
 なぜ「呪い」に気づき、「呪い」に引っぱられないようにすべきか、「おわりに(内田)」に典型的な言葉がある。

 邪悪な自然などというものを存在しない。邪悪な津波も邪悪な地震も存在しない。邪悪であるのは人間だけである。

 震災、原発問題を、そういう括りで見たら、また景色が違うだろう。
 人は、そうとは気づかずに、邪悪な言葉を口にし、邪悪な行動をとる。「善人」が無意識のうちに撒き散らす邪悪さにあふれている。結局はそういう時代の邪悪さが悪夢のような出来事を呼び込んだ、と断言したときに、それを全否定できる人がはたしているだろうか。

 その後も続く邪悪さに取り込まれないための具体的な行動として、まずは「怒らないこと」。
 そして、自分ではない誰か、何かのために「祈ること」。

 さらに、最終章で語られた「心構え」。
 これは「今を生きるための心構え」と題されているが、それは「死に対する心構え」でもあった。そんなこと到底できないと、ほっぽらかしそうになるが、ここに救いの一言があった。
 「死ぬのが怖いっていう人はけっこういるんじゃないか」という問いかけに、内田氏が軽く返答する。

 だったら家を掃除すればいいと思うんだけど。

 まずは「物理的な心構え」から。
 ということで…しっかり、大掃除をして、今日を生きましょう。