二日間学校を空けるので、その前に終業式の挨拶のことは考えておかなければ…と思っていた。
毎回のパターンどおり(通知表の所見欄から教育目標に沿ったものを紹介してみる)でいいか、という気持ちもあったのだが、今年は暦の関係で冬至の日と重なったので、めったにないからそのことを中心に話してみようと思い立った。
冬至の説明をし、柚子、カボチャのことなどについて触れよう、どちらも冬の季節にしっかりあうよなあ…さらに、カボチャという言葉にもふれ、方言も取り上げるか、と構想をねった。
私の住む地方独特の呼び名がある。
「ぼんぼら」である。
こんなページを発見した。
http://www.khb-tv.co.jp/kotomaga/number/km050827.html
秋田での栽培のはしりであることは、今まで知らなかったし、ずいぶんと小規模限定方言であることも意外だった。
実は「ぼんぼら」という言葉には、もう一つの意味があり、昔はよく親の叱責や口喧嘩の折りに使われたものだった。
カボチャは種の部分をとると、中が空洞状態にあり、それを人間の頭になぞらえて…つまり、頭が空っぽ状態の人を指すということである。そのあたりをオチにして…。
ゆずとカボチャはほしいなあ。できれば半分に割ったかぼちゃもあればいいかなあ…と当日までのモノの準備も浮かんできた。
構想がまとまったので、少しゆっくりした気持ちで、退勤後に馴染みの理容店に向かった。
いつものように世間話をしながら髪を切ってもらった後に、店の方から「ほら、これ茨城の柚子を一つどうぞ」と差し出された。
うあーっ有り難いなあ、実は…と話したら、それならカボチャも持っていってと、ごそごそと取り出してきた。
えっいいの、と言いながらついにこにこ顔になる。
ところが、もう一つスーパーのレジ袋に包まれたものが、ちょいと横に置かれているではないか。店の母さんがさっき「持っていって」と声をかけてくれたものだ。
なんとその中には、大振りのカボチャが半分にされ、きれいに種がとられた姿で…。
本当に、ええーっだった。
いくら冬至が近いとはいえ、偶然によってここまでお膳立てが叶うとは…。
つくづく人間の付き合いというのは嬉しいものだ。
自分を取り巻く人たちの温かさを感じながら、二学期最後の決めゼリフ?をこんなローカルな言葉にしてみる。
ぼんぼら食べても、ぼんぼらになるな!
毎回のパターンどおり(通知表の所見欄から教育目標に沿ったものを紹介してみる)でいいか、という気持ちもあったのだが、今年は暦の関係で冬至の日と重なったので、めったにないからそのことを中心に話してみようと思い立った。
冬至の説明をし、柚子、カボチャのことなどについて触れよう、どちらも冬の季節にしっかりあうよなあ…さらに、カボチャという言葉にもふれ、方言も取り上げるか、と構想をねった。
私の住む地方独特の呼び名がある。
「ぼんぼら」である。
こんなページを発見した。
http://www.khb-tv.co.jp/kotomaga/number/km050827.html
秋田での栽培のはしりであることは、今まで知らなかったし、ずいぶんと小規模限定方言であることも意外だった。
実は「ぼんぼら」という言葉には、もう一つの意味があり、昔はよく親の叱責や口喧嘩の折りに使われたものだった。
カボチャは種の部分をとると、中が空洞状態にあり、それを人間の頭になぞらえて…つまり、頭が空っぽ状態の人を指すということである。そのあたりをオチにして…。
ゆずとカボチャはほしいなあ。できれば半分に割ったかぼちゃもあればいいかなあ…と当日までのモノの準備も浮かんできた。
構想がまとまったので、少しゆっくりした気持ちで、退勤後に馴染みの理容店に向かった。
いつものように世間話をしながら髪を切ってもらった後に、店の方から「ほら、これ茨城の柚子を一つどうぞ」と差し出された。
うあーっ有り難いなあ、実は…と話したら、それならカボチャも持っていってと、ごそごそと取り出してきた。
えっいいの、と言いながらついにこにこ顔になる。
ところが、もう一つスーパーのレジ袋に包まれたものが、ちょいと横に置かれているではないか。店の母さんがさっき「持っていって」と声をかけてくれたものだ。
なんとその中には、大振りのカボチャが半分にされ、きれいに種がとられた姿で…。
本当に、ええーっだった。
いくら冬至が近いとはいえ、偶然によってここまでお膳立てが叶うとは…。
つくづく人間の付き合いというのは嬉しいものだ。
自分を取り巻く人たちの温かさを感じながら、二学期最後の決めゼリフ?をこんなローカルな言葉にしてみる。
ぼんぼら食べても、ぼんぼらになるな!