すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

偶然のぼんぼら

2011年12月22日 | 雑記帳
 二日間学校を空けるので、その前に終業式の挨拶のことは考えておかなければ…と思っていた。
 毎回のパターンどおり(通知表の所見欄から教育目標に沿ったものを紹介してみる)でいいか、という気持ちもあったのだが、今年は暦の関係で冬至の日と重なったので、めったにないからそのことを中心に話してみようと思い立った。

 冬至の説明をし、柚子、カボチャのことなどについて触れよう、どちらも冬の季節にしっかりあうよなあ…さらに、カボチャという言葉にもふれ、方言も取り上げるか、と構想をねった。

 私の住む地方独特の呼び名がある。
 「ぼんぼら」である。
 こんなページを発見した。
 http://www.khb-tv.co.jp/kotomaga/number/km050827.html

 秋田での栽培のはしりであることは、今まで知らなかったし、ずいぶんと小規模限定方言であることも意外だった。
 実は「ぼんぼら」という言葉には、もう一つの意味があり、昔はよく親の叱責や口喧嘩の折りに使われたものだった。

 カボチャは種の部分をとると、中が空洞状態にあり、それを人間の頭になぞらえて…つまり、頭が空っぽ状態の人を指すということである。そのあたりをオチにして…。
 ゆずとカボチャはほしいなあ。できれば半分に割ったかぼちゃもあればいいかなあ…と当日までのモノの準備も浮かんできた。

 構想がまとまったので、少しゆっくりした気持ちで、退勤後に馴染みの理容店に向かった。

 いつものように世間話をしながら髪を切ってもらった後に、店の方から「ほら、これ茨城の柚子を一つどうぞ」と差し出された。
 うあーっ有り難いなあ、実は…と話したら、それならカボチャも持っていってと、ごそごそと取り出してきた。
 えっいいの、と言いながらついにこにこ顔になる。

 ところが、もう一つスーパーのレジ袋に包まれたものが、ちょいと横に置かれているではないか。店の母さんがさっき「持っていって」と声をかけてくれたものだ。
 なんとその中には、大振りのカボチャが半分にされ、きれいに種がとられた姿で…。
 本当に、ええーっだった。
 いくら冬至が近いとはいえ、偶然によってここまでお膳立てが叶うとは…。
 
 つくづく人間の付き合いというのは嬉しいものだ。
 自分を取り巻く人たちの温かさを感じながら、二学期最後の決めゼリフ?をこんなローカルな言葉にしてみる。

 ぼんぼら食べても、ぼんぼらになるな!