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「鍛える国語教室in花巻」ふり返り①

2010年11月29日 | 雑記帳
 私の入った小学校(もう数十年前に無くなった校舎だが)には「礼法室」があった。畳敷きのずいぶんと広い部屋だったという印象がある。
 しかし、そこで何か教わったという記憶はまったくない。

 横山験也先生が「礼儀作法」について精力的に調査をしたり著書を出したりしていることは知っていたので、今回の講座は楽しみの一つだった。

 一時間の講座、本当にメモすることがいっぱいある内容だった。
 卒業式などの折に証書授与、礼の仕方など毎年指導する機会があるのだが、実際に自分の知識もあやふやであり、複数の学校でその度に得た知識をもとにしているので、実に心許ない、アバウトなやり方だったと思う。

 その意味で、きちんと出典を示し、さらに「基本・原則」を知っていることの大切さを強調なさっていたことが印象深く、勉強になった内容だった。

 作法の基本
 1 人には敬意を払う
 2 物は大切に扱う
 3 体の所作を整える
 

 具体的な身につけ方として、比喩的に書道における楷書の重要性を話されたが、これも納得だった。
 人がある所作を完全に身につけたということは、快のレベルが上がったととらえてもいいのではないか。
 つまり、そのレベルが高いとは人間性の高さと言ってもいいことである。

 後半で「作法の落とし穴」ということに触れ、「高慢になる危険性」を語られた。これも納得である。基本に照らし合わせたとき「敬意・寛容」と全く逆の感情にとらわれるとすれば、それはいかほどのものか。

 原点は何か…野口芳宏先生のいつも言われるその言葉に常に立ち返り、少しずつ作法を学んでいきたい。
 横山先生の二冊の著書も購入したので、読了してからまたこの稿を起してみたい。

 さて、礼法室。思い出したことが二つある。

 そこで予餞会をした。
 友達がエレキギターを持ってきたことに憧れを抱いた場所だ。
 もう一つ、雪深い三学期。二階の礼法室の窓から、仲間と一緒に外の雪面に向けて飛び下りる遊びをした。最高に面白かった。

 どちらも、礼法のかけらも感じさせぬ記憶だった。