始業式の挨拶で「国民読書年」のことについて少し話した。
学校にポスターが届けられたのでそれを使ったが、実にシンプル。「じゃあ、読もう。」と中央に大きく書かれているだけのもので、ロゴマークや主催団体などは、端っこに小さくあるだけだ。
デザインについて好みはあるだろうが、個人的にはなかなかではないかと感じた。
「じゃあ、読もう。」は、いろいろな場面に使える、すぐれたコピーだと思った。
ちょっと時間があまったから、じゃあ、読もう。
決めた時刻になったから、じゃあ、読もう。
この人に興味がわいたから、じゃあ、読もう。
表紙の絵がとてもすてきだから、じゃあ、読もう。
あの人が面白いと言ったから、じゃあ、読もう。
・・・・・つまり、いつでも、どこでも、圧倒的に読む量を増やしていこう、機会をどんどん増やしていこう、ということである。
読書が一つの課題ともなっている本校児童でもあるので、とりあえずは、「先生に言われたから、じゃあ、読もう。」とスタートする子がいても構わないだろう。
しかし、その時に親も教師も本を手にする姿を見せておいてほしいものだ。
そういう心がけ、というより、そんな余裕を持ってほしいと思う。
ところが自分自身は、実は余裕のない読み方をしていて、緩いノルマを課しながら、面白い小説探しやら、再読挑戦やら、遅読挑戦やら、まさに乱読状態であるが、それでも楽しく充実している時が多いので…
じゃあ、読もう。
学校にポスターが届けられたのでそれを使ったが、実にシンプル。「じゃあ、読もう。」と中央に大きく書かれているだけのもので、ロゴマークや主催団体などは、端っこに小さくあるだけだ。
デザインについて好みはあるだろうが、個人的にはなかなかではないかと感じた。
「じゃあ、読もう。」は、いろいろな場面に使える、すぐれたコピーだと思った。
ちょっと時間があまったから、じゃあ、読もう。
決めた時刻になったから、じゃあ、読もう。
この人に興味がわいたから、じゃあ、読もう。
表紙の絵がとてもすてきだから、じゃあ、読もう。
あの人が面白いと言ったから、じゃあ、読もう。
・・・・・つまり、いつでも、どこでも、圧倒的に読む量を増やしていこう、機会をどんどん増やしていこう、ということである。
読書が一つの課題ともなっている本校児童でもあるので、とりあえずは、「先生に言われたから、じゃあ、読もう。」とスタートする子がいても構わないだろう。
しかし、その時に親も教師も本を手にする姿を見せておいてほしいものだ。
そういう心がけ、というより、そんな余裕を持ってほしいと思う。
ところが自分自身は、実は余裕のない読み方をしていて、緩いノルマを課しながら、面白い小説探しやら、再読挑戦やら、遅読挑戦やら、まさに乱読状態であるが、それでも楽しく充実している時が多いので…
じゃあ、読もう。