すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

絵説きをする心がけ

2009年09月09日 | 読書
 午後の読書の時間を利用して教室を回り、紙芝居をして歩こうと思っている。
 
 その前のお勉強ということで、ウィキペディアで「紙芝居」を開いてみたら、知らないことも多くて結構面白かった。

 まず「立絵」と「平絵」ということ。
 平絵は現在の形であり紙に絵が描かれた紙芝居を指す。立絵は言うなればペープサートということだ。人形芝居との境目をどう考えるのか明らかではないが、そういう時代があったこともなるほどと思う。

 街頭紙芝居は子どもたちに飴を売って儲ける大道芸的存在であったことを考えると、客集めのために内容が低俗・俗悪に流れるのは当然のことだったか。
 何やら視聴率を求めるテレビ局の不祥事・惨状にも似て、メディアの規模は違っても一歩踏み外すと単なる見世物になってしまうのは、人間の心がけ次第というべきか。

 農村に生まれた自分だが、街頭紙芝居の記憶はわずかながらある。
 しかしその華やかな場所がどこであったか今でもはっきり覚えている。
 全国的に見ればそれはもう都市部で廃れはじめ、地方に流れて?きた時期だなと想像できるが、いつが最後だったかははっきりしない。
 いずれ勝者はテレビであったか、貸本屋であったか。

 説明の中に「絵説き」という言葉があった。
 辞書には「絵解き」はあっても「絵説き」はない。考えてみればなかなか素敵な言葉だ。
 絵に描いてあることを説く、けして道徳的な意味合いだけで言っているのではないが、絵の情景を声と表情で聴き手に伝えることは実に手作業感覚がある。

 双方向性と一体感は、TVなどの一方通行のメディアでは得られぬ紙芝居の特質である。 

 その特質を得るために何が必要か。

 聴き手に反応できる演じ手…言うは易く行うは難し、である。