『斬(ざん)』

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トラックバックは誰のためにするのかなぁ?

2006年09月20日 | ブログの話
『斬(ざん)』:濃い言及したならトラックバックを送りましょうよ!


 あのね、そりゃ、トラックバック送る送らないは各ブロガーの自由ですが、これだけ関連の濃い記事書いて、相手に直接伝えないってどーゆー事(もし、送ったけど反映されなかったのなら、お伝えくださいね。先に謝っておきます。ごめんなさい)?
と書きました。かなり押し付けがましい表現であったのですが、なぜ送らないのか?といった疑問をストレートにぶつけてみました。

 各ブロガーのトラックバックポリシーがあるとは思いますが、あえて強引な書き方にしたのは、感情的な文章の方が、より反応を引き出しやすいと思ったからです。

カナかな団首領の日記 - トラックバックしろ
はてなブックマーク - むぎブクマ / 2006年09月16日

では、記事を読んで「トラックバックしろ」とゆーふーに感じられたようですが、しない理由を率直にお伺いしたかった。そして、最近トラックバック機能を活用しなくなったと感じているから、少し刺激的に書くことで、トラックバックを送るスタンスというのを、多くの人に考えて欲しかったのが狙いです。ツッコマビリティをちょっとやり過ぎた感は否めませんが。

 歓楽叶わぬ納骨堂庭園の xura さんのポリシーが、
私はトラックバックでの言及を良しとしていない。
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 瓶に入れて海に流しているようなもの
であることは、存じていましたが記事内でリンクするに際して、知っているからそこだけ外すというのも変だと思ったので、入れさせていただきました。その辺り、「知ってるくせに、何で突っ込むの?」と思われたことでしょう。またその他の方も同様に、出過ぎた言動により不快な面が多々あったことについては、率直にお詫びいたします。すみませんでした。

 トラックバックに対するポリシーは『トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか [絵文録ことのは]2006/01/06』にあるように、分かれていますが、その中でも送る基準についてはあまり明確になっていません。『トラックバック・ポリシーを作ろう。ルールやマナーに悩む人のための作成ガイド [絵文録ことのは]2005/05/24』でも、受身の内容になっているものが多く、送る場合のポリシーは書かれていません。

 たぶん、リンク先のほとんどは、「言及リンク文化圏」に属していると思います。その中でも、トラックバックを送る送らないの基準は曖昧です。そのブロガーの主観による部分が大きいです。その部分で、もう少し突っ込んだ議論をしたかったのです。

 往々にして「言及リンク文化圏」の方は、相手を立てることを重んじる傾向にあり、自分が相手先で目立つ事を気にします。その為、相手側からすると、トラックバックして欲しい内容の記事が書かれても、送られない場合があります。代表的な意見として
でも送る方からすると「書いたよ!読んで読んで!」みたいに必死に宣伝してる感じがすると言うか、別に大したこと書いてないから送らなくていいんじゃね? とか思ったり
なつみかん@はてな - トラックバック
 ではないでしょうか。自分の中にも同様な気持ちはあります。また、大した事かの判断は、他者の判断で変わると
その言及が濃いか薄いかは人それぞれだ。氏が濃いと思っていても此方は濃いとは思っていない。氏が書かれているその記事も氏は薄いと思っているだろうが人によっては濃いと取るかもしれない。
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - その矛盾があなたの本心を表している
と書かれています。まったくもって同感です。そして、以前から言われてる「ゆるコミュニケーション」
ゆるこみゅにけーしょん【ゆるコミュニケーション】

[名詞]ブログやソシアル・ブックマーク・コメントを利用した「相手が気がついてくれたらラッキー」ぐらいの感覚でする意思や情報の伝達手法のこと。メールや電話のように押し付けがましくないので、情報過多時代にふさわしいコミュニケーションの一手法として注目が集まる。この言葉が最初に使われたのは、life is beautiful というブログの2005年のエントリー。
Life is beautiful: ブログで「ゆるコミュニケーション」(検索元:ゆる~い Life is beautiful - Google 検索
 の指摘をされたのが
そもそも「私はあなたの書いた記事に対してこのように反応しました」と明確に通知するトラックバックって、日本人の気質に合ってないんじゃないかなーと。
なつみかん@はてな - トラックバック
 です。

 それで、相手が「ゆるコミュニケーション」で来た場合に、相手に合わせるのか、それとも、もっと突っ込みたいから、こちらの「濃いコミュニケーション」を求めていくのか。そう考えた場合に、濃い言及だと判断した時、相手に「濃いコミュニケーション」を求めていくことが、どうなのか?という事です。

 その結果、その「濃さ」に付き合ってくれたのが
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - その矛盾があなたの本心を表している
Mugi2.0.1 - ちょっとしたことじゃトラックバックしない
最終防衛ライン2 - 私がトラックバックをしない理由

 「同意」してくれたのが、
チミンモラスイ? p-article さん

 参加してくれたのが、
A bc - 20:00
明日は明日の風が吹く - 『斬(ざん)』:濃い言及したならトラックバックを送りましょうよ!
気づかないうちにハードルを上げてしまっていたかもしれない - こんな世界のはしっこで・・・

 ゆるコミュニケーションを選択した
カナかな団首領の日記 - トラックバックしろ
なつみかん@はてな - トラックバック

 コメントで回答を頂いた
F's Garage

 静観した(今のところ)
最終防衛ライン2


 たぶん、最終的に一番多く感じたことは、souryuusei はウザいヤツ。だと思います。しかし、自分を犠牲にして、これらの多くの意見を得られたことは、とても貴重で嬉しい限りです。
ここで読み手もまた書き手となって「ただ消費するだけではないエントリ」を書く、ということで、より相互の活性化が起こせる仕組みがブログにはある(図の上と下)。



というか起こせる仕組みもあるし起きているのだけれど、そこんとこをもっと意識的にやっていくことで(切込隊長が書いてたみたいな)ブログ寿命問題を回避することはいくらか可能なのではないか、というのが今回の主旨。ブログが「消費されるエントリ」というサイクルのなかに入ってしまうと、(お笑い芸人のように)どんどん消耗していって自分のブログ寿命を短くしかねないのではないか、ということです。

で、たぶん大事なのは図の上下にあるサイクルの、右上当たり。継続して話題を練っていくことのできるブロゴスフィア、あるいは「書き手としての読み手」らへんではないかと。
シナトラ千代子 - 消費されるブロガーは消耗する、つまり短命になる。
 で述べられているように、継続して話題を練っていく事を、今回実践してみました。ゆるコミュニケーションでは、直ぐに消費されてしまう。それでいいのか?つながりを間接的にばかり求めている事が、どうなのか?自分でその線を作る努力というのは、本当に必要が無いことなのか?
消費された後、残るものもあるんじゃないか。その条件はわからないのだけれど。
ゆみぞう+ブックマーク
 にある、その条件は、「トラックバックなどの個人間の意思によるつながり」が大きいのではないかと思うのです。

 それから
氏が「トラックバックを送りましょうよ!」と書いているのにも関わらずトラックバックを送らないとは人の事は言えないよという事ではないのかと私は思うよ。
(中略)
これはただの憶測だが、氏はトラックバックを送ってこない私(達)への不満をトラックバックを送らない事で抗議しているのだろうな。と思うのはただの勘繰りだろうか。
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - その矛盾があなたの本心を表している
 についてですが、オレは送らない理由を問うているのであって、「送らないのはけしからん」とは思っていません。あえてトラックバックを送らなかったのは、相手がどういうリアクションをするかの結果待ちだったからです。トラックバックはいつでも送る事が出来ます。記事を訂正して、トラックバックを送る事も可能です。自分は、濃いと判断しなかったので送らなかった。と書いた。それに対して、どう思ったのか、という思考を導くためでもあります。

 タイトルにある「トラックバックは誰のためにするのか?」。自分のためなのか、相手のためなのか、読者のためなのか。その全てを満足させる事を考えると、送らないということが、後ろめたさを持ってしまうやっかいなツールといえる。しかし、多くの場合に、言及されたことが少しでもあれば、送ってくれた方がいい、ハッピーを運んでくれるツールでもある。

 送った方が、消される事に寛容になること。
 送られた方は、消す事に躊躇しないこと。

 でも、そのルールは確立できない現状。お互いの温度差が分らないし、合わせられないから中和する間接的なツールを求めてしまう。しかし、その一定の温度に保たれた温室の中では、新しい物は生まれにくいのではないかと思う。

 だから、少しでも言及したなら、ゆるコミュニケーションを取っていたとしても、濃いコミュニケーションに巻き込まれる覚悟は、持つべきである。そして、それに付き合うのか、どうするのかを明確にする必要があると思うのです。ゆえに、濃いコミュニケーションを求められる事を許容する必要性を感じます。


[関連]
『斬(ざん)』:消費されるブログ記事

[TB:カナかな団首領の日記 - トラックバックしろ]
[TB:歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 瓶に入れて海に流しているようなもの]
[TB:歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - その矛盾があなたの本心を表している]
[TB:なつみかん@はてな - トラックバック]
[TB:Life is beautiful: ブログで「ゆるコミュニケーション」]
[TB:Mugi2.0.1 - ちょっとしたことじゃトラックバックしない]
[TB:明日は明日の風が吹く - 『斬(ざん)』:濃い言及したならトラックバックを送りましょうよ!]
[TB:シナトラ千代子 - 消費されるブロガーは消耗する、つまり短命になる。]

追記(2006.09.21)
・状況変更に伴い、記事内容の一部を変更。打ち消し線部分。
・「最終防衛ライン2 - 私がトラックバックをしない理由」のリンクを追加