『斬(ざん)』

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教師は毎年、同じ授業をしているよね

2006年05月29日 | 想った事、感じた事
 ふとした思いつき。「歴史は繰り返される」とか「話題がループしてる」なんて事をよく聞くけどさ。考えてみれば各科の教師って、ほぼ毎年毎年同じ教科書で同じ授業をするんだよね。そりゃー、毎年少しつずつ練りこまれてよくなっていくだろし、その時の空気によっても少しずつ変わってくるんだろうケドさ。ベースは変わらない。

 毎年、生徒が変わるから通用するってか、その時に教えることが決まっているからそうなるんだよね。でも、ブログとか Web 上で何かを書いたり、論じたりする場合は、一回だけ表に出ただけで、後は過去記事に埋れやすい。

 Web には、生徒と呼べる(その情報を知りたいと思ってる)人が不特定多数バラバラにいるだろう。しかし、それらがいつ見るか分らない。生徒は受動的ではなく能動的にならないと、辿り着けないのが、今の Web 環境。しかも、かなり熟練した検索をしないと、ピンポイントに欲しい情報(授業)に辿り着けない。

 以前オレは、『『むだづかいにっき』のリピートネタに思う。』で、リピートできるネタを90件持っていればいいんじゃないかと書いた。それをループさせて、その時の思いを付け加えてアレンジして最新記事として出せば、半永久的にやっていけるんじゃないかと。

 それで、ちょっと前まで話題になってた過去記事のお勧め記事表示の有効性の話になるんだけど、そう考えると同じ記事を繰り返し、過去記事は、過去記事として埋れさせておくのがいいのかもしれないと思った。

 受動的な人には、最新記事。能動的な人には、過去記事(検索などから)から同じ情報を得ればいい。既に過去に書いてあるので、そちらを参照とするよりも、過去記事を今の状況に書き直して、最新記事にする方が断然有効なんじゃないかと思った。静的から動的に Web サイトが変わったのだから、いつまでもそこに留めておくのではなく、常に過去記事を練り上げていき、生きた記事に再生するほうがいいのではないかと。

 ただ、問題は書く側にあって、一度書いた過去記事を練り上げる作業が、新記事を書くよりも、この上なく億劫で手間になるであろうことは言うまでも無い。

 ってか、人は忘れる。自分も忘れる。自分で書いた記事すら、書いた文章を全て覚えてはいない場合も多々あるだろう。その忘れるの、周期が分れば(ってか、自分が忘れてたらそれでいいんだけど)、その記事を、改めて作り直して最新記事にしてしまえばいい。そうすれば、新規読者も、リピート読者も両者新鮮な気持ちで記事を読めるんじゃないだろうか。もちろん覚えている読者はいるだろうけど、その読者には、新たな記事を織り交ぜて楽しませればいいのではないだろうか。

「それ、前にも同じような事書いたよね。」

て言われても、「うん、でもこーゆー理由でやってる。」と言い切ってしまえば、いいんじゃないかと。
 
 過去記事が最新記事より読まれないなら、最新記事に置き換えてしまえばいい。長い目で見ていけば、それが一番、自分の伝えたい事を多くの人に読んでもらえるんじゃないかと思った。もちろん、生徒(読者)の移り変わりが激しくはなるんだろうけど。

(完)
 ◇◆◇
 『Webページを作る心がけ』を読みながら思う。

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