『斬(ざん)』

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一行でもコメントのレス強要はよくないと思います

2006年05月04日 | Weblog
heartbreaking.:一行でもイイからコメントレスしろと言っているではないか。
「コメントしたら、レスが付くだろう」という一般的共通認識の方を重視するのが正しい選択ではないでしょうか。
 それが一般共通認識であるとは思いませんし、正しいか正しくないかは、読者及び第三者がそのブログを見て判断すればいいのではないでしょうか?だからオレは、そもそもコメントのレスを貰える前提でコメントを書き込むべきではないと考えてるし、レスはご褒美程度に考える方がいいと書いたのですが。むしろ、レスをするのが一般共通認識となってしまうことのほうが、危険だと思います。
レスする・しない、の判断基準も実にあやふやですから、的確な反論コメントがスルーされてしまう可能性が高いです。
 的確な反論コメントがスルーされて困るのは誰ですか?その反論にレスが無ければ、不利なのはブログ主ですよね。つまり、ブログ主がその自己責任を負ってコメントにレスをしていないだけでは?
嫌いなら嫌いと言えばイイ。それを言わないのは何故でしょうか。
 「読者への感謝の念」があれば、「嫌い」とは言いにくいと思いますが。
気軽にブログをやりたいってのも我がままな考えですよね。
 コメントには、レスして欲しいってのも我がままな考えだと思いますよ。

 一呼吸置きたいというのは、脊髄反射的なレスをして、自分の本意ではない表現で書いてしまったと後で気が付いた場合に、相手に誤解を与えてしまうといけないという配慮が前提だと思います。
コメントする側が付けたクレームを踏み潰すカタチで、新たにUPされたululunさんの完璧なる反撃記事を、コメントした側は、モロに食らうハメになるのですよ。また新たな記事にコメント入れたら、また新しい記事で反撃される。イタチゴッコですね。
 クレームに対して真摯に時間を掛けて考察し、自分の意見を述べる方が、安易に「売り言葉に買い言葉」的なコメントレスをするよりは、よほど相手のことを考えていると思いますが。それを反撃記事と考えてしまうあたりが、違うんじゃないかと。もしそうだったとしても、それだったら、最初から反撃されないような完璧なクレームコメントを入れればいいのですし。時間はたっぷりあるんじゃないですか?記事を消されてないで、そこにある限りは。
起点となる記事のコメント内で決着付けとけば話は早いのに、ソレをしないのは何故でしょうか。
 長文コメントになった場合は、嫌われる傾向にあり、度が過ぎればマナー違反だと言われる場合もあります。他のコメンテーターにも、その記事に対するコメントの場を与え、より多くの人の参加ができるようにと言う配慮から、長文で自分の論をするなら、記事にしてトラックバックする方が、スマートなやり方というのがブログでは見受けられます。
[参考]・ARTIFACT@ハテナ系 - タチが悪い長文コメント常連

 参考の記事の例は、記事とは関係のない、もしくは関連性の薄い、嫌がらせに近い長文コメントでの事例ですが、オレも長文なら記事にしてトラックバック(あればですが)したほうが、いいという考えです。
「レスは相手に対してと、読者に対しての両面を考慮して書く」についても、気にする必要は無いのですよ。貴方がおっしゃる通り、一対一の交流の場を素直に楽しめば良いのです。変に気負う必要は有りません。
 コメントのレスと言えども、記事同等の配慮が必要と思いますので、相手がある場合は、より慎重に対応したいと考えるのではないでしょうか。そうなると、記事コメントが多数入った場合や、レスに窮するコメントの場合は、時間が掛かってしまい、自分の返したいレスを思いつかない。または返せないというのは、仕方ないと思います。これはゆがんだはしごさんとの、考え方の違いですから、どうしようも無いと思います。

 読む立場と書く立場は一対一ですが、記事コメントの場合、書く立場と書き込む立場は一対多になります。全ての人に一対一で接するのが理想ですが、多数から質問攻めにあったり多くのコメントが入れば、全てに対応するのは書く側の負担が大きくなります。その事は、多数側が配慮すべきではないでしょうか?ゆえにコメントのレスを強要すべきではないのです。
コメントするのは、レスが欲しいからですよ。
 欲しいからと言って、欲しがるのもどうかと思うし、もらえて当然という考えもいかがかと思います。少なくとも、オレは欲しいけど、してもらえなくても仕方ないし、削除されることもあることを前提でコメントしますけどね。実際、時間を掛けて文章を練ったコメントでも削除された事もあります。しかし、それは残念ですが仕方のないことだと思っていますけど。
いただいたコメントにレスもせずに、一方通行のラブレター状態にして、サイドメニューに晒し首状態にしたままで、何も感じないのは、己のブログを読んでいただいている読者に対する感謝の気持ちが余りにも欠けている行為であると言えますね。
 ゆがんだはしごさんが仰ってる「嫌いだ」と言うコメントをして、それを晒し続ける方が厳しいと思います。それなら放置する方が、配慮してると思いますよ。それに、そのコメンテーターが嫌いなのではなく、そのコメント自体が、レスに窮するものだけかもしれませんし。
貴方達は
 これはオレの見解なので、達は不適切だと思います。だれもオレのこの見解に明確に全て同意を示したブロガーはいないですから、今のところ。
読んで欲しいと自分の主張は垂れ流すが、それを読んで下さる読者の意見は切り捨てても良心は痛まない。何故ならば、俺様の限られた時間を、読者の為に裂く時間など無駄であるからだ。という意思の表明ですよね。
 いや、苦渋の選択をしなければいけない書き手の気持ちをおもんばかる事が、コメンテーター、及び読者には大切ではないでしょうかと、言ってるのであって、決して読者の為に割く時間が無駄であるとは考えていませんよ。
そんな綺麗事で、自分の存在を認められない虚しさに蓋をしたまま、管理人の事を愛し続ける事が出来るでしょうか?
 別に無理して愛し続ける事も無いんじゃないですか?恋人同士と言うわけでもないでしょうし、「愛してる」といったら「愛してる」と返さないといけない濃い関係ではないでしょう。自分の存在が認められないなら認められるよう努力されてはいかかでしょうか?
一人のコメンテーターも大事に出来ないような管理人が、どうして、大勢の読者の心を掴む事が出来るのでしょうか?
 現実、それでも大勢の読者の心を掴む事が出来ているブロガーは多数いますよ。それは、もしかすると多数側として配慮できる読者が多いからかもしれませんね。
虫一匹くらい殺しても構わないと
 コメントレスをしてもらえなかったらからといって死んでしまうような事では、世間を生きてはいけませんよ。それこそ恋人であったなら別かもしれませんが。むしろ、コメンテーターを虫と喩えてしまうあたりが、コメンテーターを低く見ているように感じます。
まさに -「斬(ざん)」ですね。
 ありがとうございます。最大の褒め言葉と解釈します。そうです、このブログのコンセプトは「斬る」事ですから、斬りますよ。斬り方は都度違いますけどね。

 後、考えなくてはならないのは、コメントが多数入って、レスをしなければいけないと思うが為に、そのプレッシャーでブログ閉鎖という最悪の事態に向かう原因にもなる可能性がありえるという事。もしそうなったとしたら、レスを望む事が果たして良い事か悪い事か。そーゆー事も考慮しないといけないのではないでしょうか?熱心な読者であるコメンテーターが、ブログを閉鎖に追い込んだとしたらそれは本末転倒でしょう。他の ROM してる熱心な読者にどう言い訳するの?

 最後に、誤解の無いよう書きますが、オレは別にコメントにレスをしないのが良いといってるのでは、決してありません。レスは極力したいし、出来れば全てにレスを付けたいと考える方です。でも、それを強要するのは、間違ってると思うし、レス出来ないことで受けるブログ主のイメージダウンはブログ主本人に返ってくるのだから、それでいいのではないかという事です。


[関連]
『斬(ざん)』:コメントレスを強要するのはやめようよ
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