『斬(ざん)』

移転しました。
移転先:http://souryuusei.blog61.fc2.com/

ブロゴスフィアは珍獣王国

2006年11月11日 | ブログの話
スポニチ :ムツゴロウ動物王国が崩壊危機

新ムツゴロウ動物王国』が、なにやら負債を抱えてとんでもな状況らしい。動物達の今後がどうなるやらですが、どうなんでしょうか。

 と、ちょうど動物の話題が出たところで、思い出したこと。

 珍獣というのは、その名のとおり珍しい獣なんですが、その珍獣というのは、動物園でも人気が高かったりします。ましてや、それらが芸をしたりするとさらに注目されたりもします。記憶に新しいところでは、レッサーパンダの風太くんとか。

 で、ふと Web を巡回していて気が付いたのですが、ブロゴスフィアって珍獣が棲んでる状況とよく似てますよね。ブロゴスフィアを動物園って考えると非常に面白い妄想が広がります。

 「無断リンク禁止」とか叫んでたり、他人を釣って喜んでたり、思いっきり煽り記事書いてみたり(オレのこと?)、とにかくいっつもどっかで騒がしく、ワイワイ賑わっている。今度はどの珍獣が何をやってんだ?ってな具合に。

 そんな珍獣に近づくもよし。外から眺めて何か講釈垂れるのもよし。ただ観にいくだけでもよし。珍獣と触れ合って、自らも珍獣となって同じ道を進むのもこれまたよし。

 自らの檻を綺麗に飾るもよし、もっと観てもらえるよう工夫するもよし。とにかく目立つためにさまざまな手法で、あっと驚くことをして注目を集めるのです。そうすると、自分の檻の周りにはいつも人だかりが出来て、噂が噂をよんで、いつしか人気の珍獣さんが出来上がるのです。

 今日もどこかで新しい珍獣さんが誕生します。それに負けじと、人気の珍獣さんも芸を磨きます。時には珍獣さんたちが群がって共同で盛り上げたりもしています。そんな動物園は、今日も大盛況なのです。

 ブロガーという名の珍獣さんは、安上がりでお家にいても、インターネットにさえつなげる事が出来れば見られますから生身の動物さんたちは、大変なんです。なんせ Web に棲んでる珍獣さんたちは、多くの場合自給自足できてますからね。

RSS の「受読」を「講読」に変えたわけ

2006年10月22日 | ブログの話
はてなブックマーク - ゆみぞう+ブックマーク / 2006年09月27日
「講読」では意味が合わないと思うし、新しいことばや耳慣れないことばでは根付かない。

 「購読」って表現で合っているのか?にいただいた、はてなブックマークのコメントです。今回はこのコメントについての話。

 上記の引用は、オレがコメント欄で、真琴さんから提案された 「講読」ではどうでしょうかについて、受け入れたことへのご意見だと思います。

 記事の中では「受読」というのがいいのではないかと主張したわけですが、なぜ心換えしたかを考えてみました。

 まず、「講読」の意味

【講読】 - goo 辞書
書物を読み、その意味・内容を解説したり、論じたりすること。
 本来は講読会など、ある書物についての講義を行うなどの時に使うと思うのですが(実際この単語を使ったことが無く、検索などで読み漁ったイメージで書いているので、違っていたらご指摘ください)、本来の意味からすれば、ゆみぞうさんの仰るとおり、「RSSを講読」というのは意味が合っていないと思います。

 しかし、「購読」という表現も、かなり出回っている現状で、新たに、「受読」や「閲読」を推しても難しいだろうと思うのです。その辺りは
新しいことばや耳慣れないことばでは根付かない。
と仰ることに同意です。

 そして、音読しての「こうどく」に当てる漢字を変更させるほうが、容易だと思ったのです。本来の意味とは違いますが、造語として受け入れて、新たな意味として造ってしまうというのは大胆すぎるでしょうか?

 オレの言いたいのは「無料」なものを「購入している」とすることへの違和感であり「有料」のモノとの差別化です。なので、「有料」なら「購読」、無料なら「講読」とすれば、いいんじゃないかと。

 文字として「 RSSを講読 」と書かれているのを見る場合は、何らかの文章として書かれている状態ですから、広義な意味で「論じている」とちと拡大ですが解釈すれば、「講読」でもいいのではないかと思うのです。もちろん、ただ RSS から読んでいるだけでは、論じてはいないのですが、RSS から読んで、そこから記事を書いて議論などに発展する可能性と、期待を含めて「講読」とするといいんじゃないかと思うのです。

 もちろん、ゆみぞうさんの主張される「登録」もいいんですが、「定期的に読んでいる」という意味合いを表したい部分が「購読」と書いてしまう心理もあるのではないか(定期購読がイメージされる)と思います。だから、より意味合いの近いほうにしたいと思うのです。
 まぁ、ここでオレ一人が推し進めたとて、それが根付くかどうかというのは、かなり微妙で難しいんでしょうけどね。

ブロガーミクサー2ちゃんねらー

2006年10月20日 | ブログの話
 よく 「ブロガーは……」とか、「ミクサーは……」とか、「2ちゃんねらーは……」
ってのを見掛けるんだけど、一つしか利用してない人もいれば、全部利用してる人もいるでしょう。

 で、それぞれに特徴があるんだけど、悪い所にばかり目がいってしまい、ネガティブな書き込みがよく目立つ。まぁ、感情的になるってのは、癪に障るとか、自分にとっての非常識とかそういった気になる違和感が、書く衝動に駆られやすいわけだから仕方がない面もあるわな。基本的に日常はつまらないの塊で、そうそう良いことなんて起こらないのが普通なわけですよ。だから愚痴や悪口などのネガティブな感情のほうに支配されやすいんだけど。

 Mixi ( SNS )には、Mixi の良さがあるから発展してるのであり、それは2ちゃんねるでもブログでも一緒でしょ。都合よく、昨日はミクサーになって、2ちゃんねらーの悪口を書き、今日はブロガーになって、ミクサーの悪口を書き、明日は2ちゃんねらーになってブロガーの悪口を書く。結局何処行っても悪口書いてんなら辞めりゃーいいのに、どれも辞めないでダラダラと今日もどこかで悪口を書いている。

 それって逆転したらいいんじゃないか?悪いトコばかりだったら、サービスは衰退していくよ。短所より長所のほうが魅力があるから、多くの人が利用してるんでしょ。だったら、長所を見るようにして活用すれば、良いとこばかりの世界になるじゃないか!

 はじめた時は新鮮で何もかもが楽しいけど、時間が経ってくると良い所以外の悪い所も見えてくる。そして、だんだん悪い所がボディブローのように効いてきて、身動き取れずに悪循環。結局何やっても楽しめなくなっちゃう。

 悪い所を見て見ぬ振りするのはいけないけど、良い所をつまみ食いする要領の良さってのを考えたほうがネットライフは楽しめるんじゃないのかな。

 何処にでもその要領にいい人ってのは居て、そーゆー人は目立ってるからすぐに見つかるはず。それを横目に見てひがんでんじゃなくて、そこから何か学ぶ(真似る)ことを見つけて、実践してみてはいかがでしょうか?まぁ、そーゆー人はオーラがあるから眩しくて避けたい気持ちもあるだろうけどね。

 って、一体オレは誰に向かってコレを書いてんだか。

つーか、書く切っ掛けとなったのは
べにぢょのらぶこーる - ミクシィが2ちゃんねるに勝てないワケ
なんですけどね。

 ちなみに、オレは、実質ブログしかやってないけどね。だからブログで愚痴るのさ。って、それじゃーこの記事説得力ねぇー

フローとストックに関する自問自答

2006年10月19日 | ブログの話
ブログってフローじゃねぇ?

らしいね。

じゃーストックは?

Wikiらしいよ。

参考:Zopeジャンキー日記 :ブログはフロー、Wikiはストック

でも、Wikiって地味だよね。

そ、そ、有用なのは分かるんだけど、地味すぎてモチベーション続かない。
だから、Wikiにまとめる作業ってなかなかうまくいかない。

そこで、フローしながらストックするってことで、はてなブックマーク(以下:はてブ)か。

でも、今のところ、はてブがストックとして十分かって考えると微妙ってか、はっきり言ってまだ出来てないと思う。

結局、はてブの成熟待ち?

つーかさー、ストックできちゃうと逆に困る場合もでるんじゃね?
参考:一日一喝 | 知的ストックとフロー
 二つ目の理由は、ストックなどあっては困る人たちがいるから。仕事そっちのけでブログを書いているような人たちは、書くことが好きなのです。読まれることが好きなのです。ストックなどあっては困るし読むのも面倒だから無視しているのです。そういう「好き」という気持ちの中からも、時々本当の宝石が出てきます。同人雑誌からプロが生まれるように。
一日一喝 | 知的ストックとフロー

まーね。それじゃーいつまでたってもまともなストックってできないわけ?

ありえない話じゃないけどね。

ただ、フローの中から新しいモンが出てくる可能性が高いわけだし。

あ、あとストックは5%もありゃーいいらしいよ。
参考:ブロシキ - フローな話

【ストックは5%】

ストックになるものなんてどの世界でもほんのちょっと。小説だろうがマンガだろうが映画だろうが「古典」というストックとして残るものがどれだけあるのか。5%もあれば十分過ぎる。実際はもっと少なくてもいいし、それで「業界」は持つ。もちろんこのほんのちょっとのストックがあるかどうかは物凄く重要だけども・・・殆どがフローであっても全く問題ない。問題はむしろストック足る5%の方であると思う。
ブロシキ - フローな話

するってーと、ブログでフローってて、そん中のごく一部が、消費されないブログ記事を書こうで書かれてるような消費されない記事、定番記事を書くことのススメで書いてるような定番記事として、ストック行きになるんだろうね。

ちゅーか、その消費されない(定番)記事のストック集ってのが、無いのが問題であって、はてブにそれが可能かどうか。情報の整理の部分が、今後のカギだーね。

うーん、結局ブロガーみたいなフロー志向な場合は、ストックを作ることに向いてないんだろうなぁ。作りたい気持ちがあっても作れない。

んーで、タギングによる情報の整理ってことなのかなぁ

まぁ、5%の抽出方法をどうするかだろうけど、やっぱり、中長期的な取り上げられ回数ってのが重要ではないかと(どっかで読んだな、受け売り)。

では、残り95%の情報のロングテール問題はどうする?
そこにも、少なからず需要はあるんじゃね?

わっかんねーな。それ考えたやつがすげーってことでよくね?

結局、何も進展ないね。

ま、ブログは考えの整理だから、こっから何かヒントになって考えが広がればそれでOKでしょ。

だね。


[関連記事]
[R30]: 過去のことは忘れなければならない、あるいはknowledgeの生まれる場所


[TB:ブロシキ - フローな話]
[TB:一日一喝 | 知的ストックとフロー]

「記事クリップはデータベース派」のジレンマ

2006年10月15日 | ブログの話
 データベースとして、非公開のブログに、引用やコメントを付けてリンク集を作っています。そのリンク集を有用と思っていただけるありがたい人たちの存在を知っているので、リンク集だけは、別のブログに公開しているのだけれど(今は諸事情により休止してますが)、これは、データベースを作る事が目的と考えているため、偏りがあります。

 はてなブックマークには、『厳選、メタ検索・メタディレクトリ付属日記 - はてなブックマークの使い方を分類してみる』(検索元:編集ブログ「はてブ 分類」ブログ内)にあるような、分類がされていて使い方は様々です。オレは「2.資料ストック 」で、ブログで記事を書く場合の参考資料として、また読みたい記事をストックするデータベースとして使おうと思っていたのですが、利用した結果、自分には、データベースとしては「使えない」と判断したため、上記したような非公開ブログで行っています。

・参考:『斬(ざん)』:はてなブックマークはオレにとってブックマーク集ではなかった(検索元:『斬(ざん)』「オレにとって」ブログ内)

 それで、自分が行う記事のクリップ基準について、少し整理していた時に気が付いたのですが、クリップする基準というのは、気になる記事の中から「後で探しにくい」を基準としていることが分ったのです。つまり忘れそうな場所を優先する。そうすると今まで訪れた事の無いサイトやブログ、一見で終わってしまう可能性の高いサイトやブログの特定記事が最優先になります。オレはブログ内検索を重要視しているため(検索元:『斬(ざん)』「ブログ内検索」:ブログ内)、毎日のように巡回しているブログの場合は、ブログ内検索で欲しいと思った記事を直ぐに検索できると判断しています。なので、たとえ質の高い記事を書いていたとしても後回しになる場合が多いです。この辺りは交流先のクリップ基準がどんどん厳しくなっていくぞ!になっています。

 これは非常に悩ましい問題です。なぜなら、逆に自分に当てはめた時を考えるとよく分ります。交流先には、厳しい価値基準を持ったブロガーも多く、そのブロガーから、自分の記事をはてブなどでクリップしてもらえると非常に嬉しいものです。しかし、自分は、まったくそれが出来ていない。気を使うとか馴れ合うつもりではなく、良いものを良いと見える形で相手を評価できていない部分があるのが、何とも悩ましい。

と、言う事で、今妙案を思いついた。のだけど、それはここでは書かないで、実践してみよう。と、やれるかどうかまだ分らないので、ズバッと書くのは、やめておきます。

[参考]
ekken♂ : はてなブックマークは人によっていろいろな使い方をされているんだよ

追記(2006.10.16)
ご要望にお答えして推敲しきってはいませんが、妙案(?)が書いてあるのをリンクしますね。つーか、読み返すと自分専用な使い方ですね。
『斬(ざん)』:「記事クリップはデータベース派」のジレンマ(非公開版)

トラックバックは誰のためにするのかなぁ?

2006年09月20日 | ブログの話
『斬(ざん)』:濃い言及したならトラックバックを送りましょうよ!


 あのね、そりゃ、トラックバック送る送らないは各ブロガーの自由ですが、これだけ関連の濃い記事書いて、相手に直接伝えないってどーゆー事(もし、送ったけど反映されなかったのなら、お伝えくださいね。先に謝っておきます。ごめんなさい)?
と書きました。かなり押し付けがましい表現であったのですが、なぜ送らないのか?といった疑問をストレートにぶつけてみました。

 各ブロガーのトラックバックポリシーがあるとは思いますが、あえて強引な書き方にしたのは、感情的な文章の方が、より反応を引き出しやすいと思ったからです。

カナかな団首領の日記 - トラックバックしろ
はてなブックマーク - むぎブクマ / 2006年09月16日

では、記事を読んで「トラックバックしろ」とゆーふーに感じられたようですが、しない理由を率直にお伺いしたかった。そして、最近トラックバック機能を活用しなくなったと感じているから、少し刺激的に書くことで、トラックバックを送るスタンスというのを、多くの人に考えて欲しかったのが狙いです。ツッコマビリティをちょっとやり過ぎた感は否めませんが。

 歓楽叶わぬ納骨堂庭園の xura さんのポリシーが、
私はトラックバックでの言及を良しとしていない。
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 瓶に入れて海に流しているようなもの
であることは、存じていましたが記事内でリンクするに際して、知っているからそこだけ外すというのも変だと思ったので、入れさせていただきました。その辺り、「知ってるくせに、何で突っ込むの?」と思われたことでしょう。またその他の方も同様に、出過ぎた言動により不快な面が多々あったことについては、率直にお詫びいたします。すみませんでした。

 トラックバックに対するポリシーは『トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか [絵文録ことのは]2006/01/06』にあるように、分かれていますが、その中でも送る基準についてはあまり明確になっていません。『トラックバック・ポリシーを作ろう。ルールやマナーに悩む人のための作成ガイド [絵文録ことのは]2005/05/24』でも、受身の内容になっているものが多く、送る場合のポリシーは書かれていません。

 たぶん、リンク先のほとんどは、「言及リンク文化圏」に属していると思います。その中でも、トラックバックを送る送らないの基準は曖昧です。そのブロガーの主観による部分が大きいです。その部分で、もう少し突っ込んだ議論をしたかったのです。

 往々にして「言及リンク文化圏」の方は、相手を立てることを重んじる傾向にあり、自分が相手先で目立つ事を気にします。その為、相手側からすると、トラックバックして欲しい内容の記事が書かれても、送られない場合があります。代表的な意見として
でも送る方からすると「書いたよ!読んで読んで!」みたいに必死に宣伝してる感じがすると言うか、別に大したこと書いてないから送らなくていいんじゃね? とか思ったり
なつみかん@はてな - トラックバック
 ではないでしょうか。自分の中にも同様な気持ちはあります。また、大した事かの判断は、他者の判断で変わると
その言及が濃いか薄いかは人それぞれだ。氏が濃いと思っていても此方は濃いとは思っていない。氏が書かれているその記事も氏は薄いと思っているだろうが人によっては濃いと取るかもしれない。
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - その矛盾があなたの本心を表している
と書かれています。まったくもって同感です。そして、以前から言われてる「ゆるコミュニケーション」
ゆるこみゅにけーしょん【ゆるコミュニケーション】

[名詞]ブログやソシアル・ブックマーク・コメントを利用した「相手が気がついてくれたらラッキー」ぐらいの感覚でする意思や情報の伝達手法のこと。メールや電話のように押し付けがましくないので、情報過多時代にふさわしいコミュニケーションの一手法として注目が集まる。この言葉が最初に使われたのは、life is beautiful というブログの2005年のエントリー。
Life is beautiful: ブログで「ゆるコミュニケーション」(検索元:ゆる~い Life is beautiful - Google 検索
 の指摘をされたのが
そもそも「私はあなたの書いた記事に対してこのように反応しました」と明確に通知するトラックバックって、日本人の気質に合ってないんじゃないかなーと。
なつみかん@はてな - トラックバック
 です。

 それで、相手が「ゆるコミュニケーション」で来た場合に、相手に合わせるのか、それとも、もっと突っ込みたいから、こちらの「濃いコミュニケーション」を求めていくのか。そう考えた場合に、濃い言及だと判断した時、相手に「濃いコミュニケーション」を求めていくことが、どうなのか?という事です。

 その結果、その「濃さ」に付き合ってくれたのが
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - その矛盾があなたの本心を表している
Mugi2.0.1 - ちょっとしたことじゃトラックバックしない
最終防衛ライン2 - 私がトラックバックをしない理由

 「同意」してくれたのが、
チミンモラスイ? p-article さん

 参加してくれたのが、
A bc - 20:00
明日は明日の風が吹く - 『斬(ざん)』:濃い言及したならトラックバックを送りましょうよ!
気づかないうちにハードルを上げてしまっていたかもしれない - こんな世界のはしっこで・・・

 ゆるコミュニケーションを選択した
カナかな団首領の日記 - トラックバックしろ
なつみかん@はてな - トラックバック

 コメントで回答を頂いた
F's Garage

 静観した(今のところ)
最終防衛ライン2


 たぶん、最終的に一番多く感じたことは、souryuusei はウザいヤツ。だと思います。しかし、自分を犠牲にして、これらの多くの意見を得られたことは、とても貴重で嬉しい限りです。
ここで読み手もまた書き手となって「ただ消費するだけではないエントリ」を書く、ということで、より相互の活性化が起こせる仕組みがブログにはある(図の上と下)。



というか起こせる仕組みもあるし起きているのだけれど、そこんとこをもっと意識的にやっていくことで(切込隊長が書いてたみたいな)ブログ寿命問題を回避することはいくらか可能なのではないか、というのが今回の主旨。ブログが「消費されるエントリ」というサイクルのなかに入ってしまうと、(お笑い芸人のように)どんどん消耗していって自分のブログ寿命を短くしかねないのではないか、ということです。

で、たぶん大事なのは図の上下にあるサイクルの、右上当たり。継続して話題を練っていくことのできるブロゴスフィア、あるいは「書き手としての読み手」らへんではないかと。
シナトラ千代子 - 消費されるブロガーは消耗する、つまり短命になる。
 で述べられているように、継続して話題を練っていく事を、今回実践してみました。ゆるコミュニケーションでは、直ぐに消費されてしまう。それでいいのか?つながりを間接的にばかり求めている事が、どうなのか?自分でその線を作る努力というのは、本当に必要が無いことなのか?
消費された後、残るものもあるんじゃないか。その条件はわからないのだけれど。
ゆみぞう+ブックマーク
 にある、その条件は、「トラックバックなどの個人間の意思によるつながり」が大きいのではないかと思うのです。

 それから
氏が「トラックバックを送りましょうよ!」と書いているのにも関わらずトラックバックを送らないとは人の事は言えないよという事ではないのかと私は思うよ。
(中略)
これはただの憶測だが、氏はトラックバックを送ってこない私(達)への不満をトラックバックを送らない事で抗議しているのだろうな。と思うのはただの勘繰りだろうか。
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - その矛盾があなたの本心を表している
 についてですが、オレは送らない理由を問うているのであって、「送らないのはけしからん」とは思っていません。あえてトラックバックを送らなかったのは、相手がどういうリアクションをするかの結果待ちだったからです。トラックバックはいつでも送る事が出来ます。記事を訂正して、トラックバックを送る事も可能です。自分は、濃いと判断しなかったので送らなかった。と書いた。それに対して、どう思ったのか、という思考を導くためでもあります。

 タイトルにある「トラックバックは誰のためにするのか?」。自分のためなのか、相手のためなのか、読者のためなのか。その全てを満足させる事を考えると、送らないということが、後ろめたさを持ってしまうやっかいなツールといえる。しかし、多くの場合に、言及されたことが少しでもあれば、送ってくれた方がいい、ハッピーを運んでくれるツールでもある。

 送った方が、消される事に寛容になること。
 送られた方は、消す事に躊躇しないこと。

 でも、そのルールは確立できない現状。お互いの温度差が分らないし、合わせられないから中和する間接的なツールを求めてしまう。しかし、その一定の温度に保たれた温室の中では、新しい物は生まれにくいのではないかと思う。

 だから、少しでも言及したなら、ゆるコミュニケーションを取っていたとしても、濃いコミュニケーションに巻き込まれる覚悟は、持つべきである。そして、それに付き合うのか、どうするのかを明確にする必要があると思うのです。ゆえに、濃いコミュニケーションを求められる事を許容する必要性を感じます。


[関連]
『斬(ざん)』:消費されるブログ記事

[TB:カナかな団首領の日記 - トラックバックしろ]
[TB:歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 瓶に入れて海に流しているようなもの]
[TB:歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - その矛盾があなたの本心を表している]
[TB:なつみかん@はてな - トラックバック]
[TB:Life is beautiful: ブログで「ゆるコミュニケーション」]
[TB:Mugi2.0.1 - ちょっとしたことじゃトラックバックしない]
[TB:明日は明日の風が吹く - 『斬(ざん)』:濃い言及したならトラックバックを送りましょうよ!]
[TB:シナトラ千代子 - 消費されるブロガーは消耗する、つまり短命になる。]

追記(2006.09.21)
・状況変更に伴い、記事内容の一部を変更。打ち消し線部分。
・「最終防衛ライン2 - 私がトラックバックをしない理由」のリンクを追加

本人が目の前にいても言える覚悟なんていらない

2006年09月13日 | ブログの話
備忘録ことのはインフォーマル:■サイト運営ポリシー

のなかで
相手の目の前で同じことが言えないことは、書かない。批判を口にする場合は、本人が目の前にいても言える覚悟を持つ。その覚悟ができなければ書かない。自分は安全な場所から隠れて相手に石を投げるようなことはしない。
備忘録ことのはインフォーマル:■サイト運営ポリシー
と、松永さんはサイト運営ポリシーを掲げられてます。しかし、どうもコレに違和感を覚えた。最初に断っておきますが、他人様のサイト運営ポリシーについて、自己中心的なもの以外でとやかく言うのは、ナンセンスだと思いますので、コレはおかしいとか、間違ってるって事で書くんじゃないです。自分に当てはめて、このポリシーは「どうよ?」と思ったので、その点を書きたい衝動に駆られて書いてます。言及的な書き方になってしまうのは、単にオレの文章力の無さというか、配慮が欠けるバカ者ゆえだと思ってください。そうしないと書けそうも無いので……

 で、本題。
『斬(ざん)』:オレが「ハ ウ ル の 動 く 城」をつまらないと感じた理由(わけ)
は、宮崎アニメに対する批判記事ですが、これを宮崎駿さんご本人を前にして言う事はとても出来ません。
『斬(ざん)』:小 倉 優 子 考
だって、小倉優子さんの前では言えません。
『斬(ざん)』:はてなブックマークはオレにとってブックマーク集ではなかった
も、はてなブックマークを作った naoya さんの前ではとても言える度胸はありません。

 しかし、これら全て、各人に読まれてもいい、むしろ読んでほしいとは思います。そして、出来れば、ご意見、感想、反論を頂ければとさえ思います。

 では、何でご本人を目の前にして言えないか。それはリアル社会での立場が既に存在するからです。Web のいいところは、誰でもフラットなところ。宮崎駿さんだろうが小倉優子さんであろうが、Web 上では、対等な立場で話し合う事が出来る(もちろん、立場が分らないように、ハンドルネームなどを用いてですが)。それが魅力です。リアルな立場を考えたら、とてもこのような記事は書けませんし、公開などできません。

 Web 上で批判する場合に、相手が目の前にいても言える覚悟なんて、必要ないと思います。そうすると、世間のシガラミが入り込んで、リアル社会の力関係で、言えることも言えなくなります。それでは、ブログの面白さは半減してしまいます。

 だから、オレは「相手の目の前で同じことが言えないことは、書かない。」というのは、ポリシーとして好きになれない。「相手に読まれるのが嫌なら書かない」くらいがいいんじゃいないかと思うのです。……と、続きの記事が上がってた。
備忘録ことのはインフォーマル:■ポリシー続き
「影でコソコソ言わない」というだけのこと。世の中には「悪口は本人の耳に入らない方がいい」と考える人もいるから、そういう考え方はしないということ。
備忘録ことのはインフォーマル:■ポリシー続き
 この考え方に同意ですね。
やっぱり批判的な記事に仕上がっちゃったよ。嫌味だねぇ。どーしてこーゆーふーにしか書けないかね。ったく。
[TB:備忘録ことのはインフォーマル:■サイト運営ポリシー]

消費されるブログ記事

2006年09月10日 | ブログの話
 先日 YouTube で、ダウンタウンとゲストによる昔のトーク番組を観ました。その中で、ダウンタウンが漫才に対する考え方などを語っていて、それがとても興味深かったのです。今回はそこからの触発です。
 漫才は、結局ネタを練って作り上げてイイ物を完成させても、TVなどで大衆に公開してしまう現状では、せいぜい5~6回も見れば、内容(展開、オチ)が分っているために面白くなくなる。つまり消費されてしまう。それはとても効率が悪い。それなら漫才という、時代にそぐわない笑いはやめよう。って事でやめたんだ。ってな事を語ってたのですが、ブログの記事についても同じだなぁーと感じたところ。

 一生懸命、構成や文体を考えて記事書いて、推敲して、誤字脱字チェックして、校正して何度も確認してアップする。で、少し話題になったとしても、所詮一週間もしないで忘れ去られ、瞬く間に消費される。それは、とても効率の悪いやり方だよなぁーと悟った。ブログの記事ってのは、ライブ感が重要なんだな、って。それで、それに順応できなければ、ブログではなく、別の方法で評価をもらう事を考える方が得というか、合っているんだろうな、と感じた。

 ブログでは、生な感覚で、思いついたことを即書いて公開してしまう。そのパッションがウケるのだろうな。特に一般のブロガーの場合は。既に、地位やステイタスを持ってるセレブなブロガーは、このまま何書いてもそこそこ楽しめるんだろうケド。これからは、一般ブロガーには、酷な時代が到来しそうな予感。

 消費されてもよい記事を書き、じっくり記事を書くのは、別方面と頭を切り替えて考えた方が、よさそうです。

 話を漫才に戻すけど、漫才はこれからも滅びる事は無いでしょう。しかし、だんだん芸術性を重視した考えに移行し、落語や歌舞伎のように文化として、芸術化していきそうな感じがする。そうすると、庶民的から少し離れてしまうんだろうな。結局、通好みのそれに取って代わり、その中で成り立つ仕組みを作っていくのだろう。

 そですね。そう考えてみると、そろそろ『斬(ざん)』は終わりに近づいているのかもしれませんね。別の何かに進化しないと、ダメなんじゃないかと思う今日この頃。

 記事分割方式が上手く機能できず、それに代わるいい方法も思いつかず、さりとて「チラシの裏」なことをやるのも乗りきれずな状態。暫く長考ですね。立ち止まってみるのも悪くないかな。


[参考]
simpl-e-blog:「ネット上で発言」と言うハードルがどんどん低くなっている
はてなブックマーク - 『斬(ざん)』:消費されるブログ記事
『斬(ざん)』:「消費されるブログ記事」への反応集
『斬(ざん)』:濃い言及したならトラックバックを送りましょうよ!


追記(2006.09.16)
・参考にリンクを一つ追加
追記2(2006.09.17)
・参考にリンクを一つ追加
追記3(2006.09.21)
・参考にリンクを一つ追加

被はてなブックマーク(はてブ)コメント率という考え方

2006年08月25日 | ブログの話
 『ホントにそれブックマークしたいのかなぁ~』に頂いた、はてなブックマーク(以下 はてブ)コメント

はてなブックマーク - 囚人の共有知? / 2006年07月12日
だからー、相互お気に入りの間では、コメントはもう共通コンテンツなわけです。逆に、user数多いと、コメ書かない人によって薄まる。
からの触発。

 オレの記事ってのは、ブックマーク(以下ブクマ)数は、それ程でもないけど、そのブクマ数に対するコメント数というのは、割かし多いように感じる。はてブの「お気に入り」について考える 2(感想編)』の中では、
 それにしても、数に振り回されますね。アクセス数、コメント数、TB 数、ブクマ数、お気に入り数等々。どれも指標の一つでしかないんだけどねー

 数字で判断するっていうのは、もっとも判り易いのだけど、中身をよく観ないから偏ったり誤ったりしがちなんですよね。数から本質にどこまで見通せるかが重要だと思うんですけどね。
と書いたのだけれど、数よりも本質という意味で考えれば、ブクマコメント率というのも、結構本質を知るための重要な要素じゃないかなと思いました(結局数値なんだけどさ)。

 囚人のジレンマλ[λ] ?のmind さんは、ブクマ数が多くなるとコメントを書かない人が増えると書いてます。オレもそれは感じます。確かにブクマ数が多いに越した事はないでしょう。ブクマコメントが少なかったとしても、それ以外からのリアクションの可能性も広がりますからね。しかし、それよりもブクマコメントが多いほうが嬉しいと思う事があるんじゃないでしょうか?もちろんそれはブロガーの考え方次第ではあるのですが。

 ブクマ数を稼いでいるお役立ちリンク集や Tips のようなものには、コメントがほとんど付きません。それよりも、ブクマした多くの人がコメントを残してくれるほうがいいんじゃないでしょうか?オレの場合は、やはり数よりもコメントなどのより濃いリアクションのほうが嬉しかったりします。この記事だって、まさにそこからの触発で成り立っているわけでして、こうして記事に出来るのも、はてブでコメントしてくれたお蔭なのです。サイレントアクセスよりもはてブでクリップされるほうがいい。さらにコメントも付いていれば尚更いい。コメント、トラックバックはさらにいい。と、つまり

アクセス<はてブ<はてブコメント<コメント≒トラックバック

というのが記事に対するリアクションの濃さという意味で成り立ちませんか?

 そう考えた時、はてブでの言及コメント率が高いというのは、数にも増して貴重であり、重要性が高いと感じるのです。
 ……それにしても、最近コメントが少ないなぁー とぼやく。

サービス提供元の別のサービスを必ずしも利用する必要はない

2006年08月11日 | ブログの話
CONCORDE: それぞれのIDの下で

ちかごろ、丸々一エントリが(比較やソーシャルブックマークの代名詞としてとは思えないカタチの)「はてなブックマーク論」のようなものを「はてなダイアリー」ではないところで見かけることが増えてきたような気がする:それを書いている人たちは"はてなID"の取得者であり、かつわりと積極的に「はてなブックマーク」に参加しておられる(ように見受けられる)にも関わらず。

同じことのように思う。

……なぜエントリ丸々全部「はてな(のサービス)論」を「はてなダイアリー」ではないところで?
そのブックマークができるIDがあればダイアリーも書けるのでしょう?
 自分にも、いくつか思い当たる記事があるので、言及をばしてみよう。

 結論からすると、

「ブログサービスと言う枠など端から考慮していない。」

からですね。はてなのサービスの話は、はてなで書いたほうがいいというのは、気持ちとしてよく分ります。しかし、それはサービス側の囲い込みに乗っかるわけでして、いわば、それがくだらないサービス間の枠を作ってしまいます。いわば“はてな村”と呼ばれるような囲われたコミュニティに繋がってしまう。つまり閉塞感を産む温床となるわけです。

 多くの利用者を前提として、個々のサービスやツールについて、どこからでも物が言えるという環境の方が風通しがよくないでしょうか?そして、フラットで健全だと言えるのではないでしょうか?身内(この場合は、そのサービス提供元のサービスを発信ツールとして利用している)からの発言か、外部(サービスを利用しているが、他社の別サービスを利用して発信している)からの発言かというのを、分けて考えるというのは、身内の言う事は聴くけど、外部の言う事には耳を貸さないという壁を作り易いとも言える。サービス利用者の発言は、公平に扱ってしかるべくだと思うのです。処世術として内部発言の方が聞いてくれ易いから、そうするってのはあるんでしょうけど。

 もともとの思想が違うかな?オレはサービス間の差異をなくして、もっと共通性の高い環境を構築していく事に賛成だからなぁー 

 そのベースの上でポータルなりサービス提供側なりが様々な独自のサービスを産み出して個性化を計り、ユーザーが嗜好性にあったサービスを使い分ければ良いと考えてますからね。そうしたほうが、より良いサービスが産まれ易い。それに選択肢が増えれば、自分好みのサービスを利用できる幅も広がるし、比較する事でどういった機能が必要か不要なのかといったことも分ります。

 それと、居場所をあまり分けないほうがいい、というのもありますね。ブログはココ。ソーシャルブックマークはココ。ソーシャルネットワークはココ。○○はココ。というようにサービスを複合的に使い分けて、それぞれ使い分けたスタンスを構築していく方が、そのブロガーなリ、ブックマーカーなりについて分り易いと思います。あっちでもこっちでもと脈略無く思いつきで書いてしまうのは、読者に対して分りにくいと思います。


[TB:CONCORDE: それぞれのIDの下で]

オレのブログ記事が出来上がるまで

2006年08月07日 | ブログの話
 『最終防衛ライン2 - 皆さんの記事の書き方を知りたいな』で、自分の書き方を整理するのもいいかなと思い、乗っかって書いてみる。

1.記事を書くモチベーション
 ・書きたいネタが浮かんだ時
 ・記事と記事やネタと記事などが上手く融合できた時
 ・多くの場合は、巡回していて読んだ記事に触発される
 ・自分の思ったことや感じたことに対してどういったリアクションがあるかを知りたい欲求

2.記事のタイトル
 ・いつ付けるかは決まっていない
 ・記事の構想がほぼ出来上がってる場合はタイトルもほぼ決まっている
 ・書かないと見えてこないものは、タイトルも見えてこないので後になる
 ・最近後になってよく変更する
  参考:π氏の雑記(PCのジャンキー):■題名が先?記事が先?コメント欄
 ・極力本文と合うようにして、タイトルを読めば、ほぼ内容が分るように心掛けている
 ・キャッチーなものにはしたい
 ・あえてタイトルからの期待とは、異なる内容にする場合もある
  
3.記事の書き始め
 ・思い立ったが吉日で、書こうと思ったときにイッキに書く
 ・でも、書くまでには脳内である程度構想が練られている場合が多い
 ・書かないと見えてこない場合は、箇条で書き出して、後でまとめるか、そのままにする
 ・普段からネタが思いついたらキーワードをメモしておくので、それを参考に脳内で寝かす
 ・気になった記事は、全てクリップしてデータベースとして利用できるよう、日々蓄えている
 ・それを必要な時に取り出す
 ・でも見つからない時、多々あり

4.記事の構成
 ・実はあまり考慮していない。というよりその時々の気分で変わる
 ・長文になる場合は分割にする
  参考:新しい運営スタイルを模索する(記事分割更新方式)1
 ・触発系は最初に言及先をリンクする
 ・思考をまとめる時は箇条書き
 ・ネタ毎に脳内でほぼどういった構成にするか決まってる場合が多い
 ・行間はある程度詰まったら開ける
 ・レポート風味に仕上げる時は、小見出しを付ける

5.記事の推敲と校正→アップ
 ・推敲は最低3回。書いた後、一日置いた後、アップする前はほぼ行う。寝かしてる時間が長いと、ちょくちょくいじって何回推敲したかわからないくらいになる
 ・推敲と校正はほぼ一緒にする。アップ後にも校正は確認する
 ・アップは、書いて完成してから最低一日は寝かした後(まれに即日あり)
 ・即時性の高いネタといつでも出せるネタでアップするタイミングを考慮する
 ・2004年6月のネタがまだ寝かしてある

6.記事を書く場所
 ・全て書くのはHeTeMuLu Creator
  参照:『斬(ざん)』:感想系トラックバッカーに捧げるブログの「三種の神器」
  参照:π氏の雑記(PCのジャンキー):■Blogを書くとき使うソフトってありますか?(改)
 ・ローカルのエディタで書いて、編集用ブログで確認、推敲、校正をチェックし、エディタで修正。
 ・書く場所はほぼ自宅

7.その他
 ・文中リンク
  ・触発系は冒頭に(■を最初に付ける、複数の場合は“・”を付ける)
  ・書いてて思いついた場合はその都度入れる
  ・関連、参照は最後に羅列
  ・自分の過去記事も上記と同じで要所要所に配置
  ・ブログ(サイト)の場合は『』を入れる(よく忘れる)
 ・過去ログ修正は、都度気が付いたときに出来ればする
 ・要約を太字にしている
  参照:長文読めない症候群
 ・字下げは、以前はしていなかったけど、最近するようになった。基本的には不要だと思っているが、そのほうが見やすいだろうというだけの意味でしている
 ・記事コメントには、極力レスを付けるようにしている。ただし亀レス必至
 ・トラックバックされた記事は、ほぼ読む。出来ればコメントなどをする
 ・基本的に、決め事をあまり作らない。その時の生感覚に任せているので、スタンスの揺れは大きい
 ・それが、ここのスタンス(迷走系)なので
 ・トラックバック先は、最後に記する

8.感想
 ・長くなったので、今回は箇条書きを選択
 ・文末も「体言止め」を多用
 ・やっぱりいい加減な書き方だと判明
 ・この記事既に6回推敲してる(←最初3回と書いてあった)
 ・他所の同言及記事を読むと、いかに記事を仕上げるのが遅いかが分った
 ・この記事は既に話題から遠ざかっているだろうけど、気にせず上げる


[TB:最終防衛ライン2 - 皆さんの記事の書き方を知りたいな]

はてなダイアリーのコメントでひねりを効かす技?

2006年08月05日 | ブログの話
 たぶん、この話題は激しく既出な予感がプンプンしているのですが、まぁーいいじゃないですか。歴史は繰り返されるから。知らない人もいるんだし。

 で、本題。

はてなダイアリーというのは、
・日記モード
1日が1ページになる日記形式です。コメント/トラックバックは日付ごとに表示されます。
・日記モード・見出し別ページ
1見出しが1ページになる日記形式です。コメント/トラックバックは日付ごとに表示されます。
・ブログモード
1見出しが1ページになるブログ形式です。コメント/トラックバックは記事ごとに表示されます。
はてなダイアリーのヘルプ - 日記の表示モードを変える

があって、その中でも、「日記モード・見出し別ページ 」というのは、一日に何エントリも書けるけど、コメント・トラックバックは日付にのみ付ける仕様だから、どのエントリへのコメント・トラックバックなのか分からないときがあります。

 はてブなんかから直接 Permalink に飛ぶと、そこに入ってるコメントが、トンチンカンな内容で、その日の別記事に対する言及だったりすることも結構多いのです。

 そこで、イタズラ心に火が点いた。わざと、複数のエントリに対応してるような、どちらにも言及してると取れる微妙なコメントを考えて入れると言うのは面白そう。該当ダイアラーも半信半疑になるし、そのコメントを Permalink で見た人は、飛んだ記事に対するコメントだと思い込んでしまうだろう。

 で、レスに対して、天邪鬼に「いや、それこっちの記事に対する言及だったんだけど」ととぼけてみせる。

 毎回やると嫌味だけど、ネタとしてこーゆー遊びは面白そうです。ってか、ホント既に誰かやってるんでしょうけどね。

 うーん、試してみたいな。誰か実験台いませんか?

過去記事を紹介しようとする気持ちについてあれこれと

2006年07月29日 | ブログの話
heartbreaking.:過去記事は無理して読まなくてイイです
BLOG STATION:過去記事を読まれて違和感を感じるケース
こんな世界のはしっこで・・・:[ピックアップ]文章から人はわからない
こんな世界のはしっこで・・・:ネット上では「見せたい自分」が作られる?
斬鉄剣:ネットで人間性を判断できるか?
『斬(ざん)』:ネットでの人格はナゼやさしいのか?

 上記リンク先は、この記事との関連のあまりない記事もありますが、この記事を書くにあたって“気付き”を生んだ流れであったので、記しておきます。

・関連記事を読み進めていったら、自分の記事に辿り着いた。まさに『北の大地から送る物欲日記 - ブログを読んでて過去の自分に遭遇』に書かれてることと同じ状況を、偶然にもつい最近オレは体験した。過去にもあっただろうけど、忘れてるし“気付き”がなかった。

・過去記事を紹介するのも、現在進行形の話題から自分の記事が掘り起こされる可能性があることを身をもって知っているからか。関連として取り上げてもらいたいというのが無意識のなかにあるのかもしれない。

・自分の過去記事の全てを一字一句覚えているブロガーは少ない(ってかいないんじゃないだろうか?)。それが、ある日突然、忘れてた記事に、別箇所からの誘導で辿り着く。その時、また新鮮な気持ちで自分の記事を読めるし、書いたときとは違う感想や気付きもあるかもしれない。そーいったことが嬉しい面もあるのではないか。

・自分の忘れていた過去記事を読んで、やっぱりいい記事だな、と自画自賛できるとしたら、それはそれで至福な時ではないだろうか?逆に赤面したくなる場合もあるだろうけど。

・関連する話題が繰り返されるのを見るに付け「それ、以前オレがもう書いてる」ってのが、出てくる。その時に、直ぐに自分の書いた記事を読みたくなったり、差異や今の思いを新たに関連記事として書きたくなるときもある。そーすると、自分の過去記事は財産だな、と思えたりもする。

・そう思うと、これは自分だけがわかるような過去に埋れさせるより、より多くの人に簡単に辿り着いて読んでもらえないだろうかと思う。参考として一読してもらえれば、また別の発想や考えが広がらないだろうか?それは同じ話題に興味を持った者同士として、さらに追求していける面白さに繋がるんじゃないかと。

・忘れる事で、新鮮な気持ちを再度味わえる。それとは別に覚えている事で、新たな事を発見できる。その両者を両立させる事が出来れば理想的だと思う。

・忘れた記事を直ぐに取り出せる方法。覚えてる記事を直ぐに取り出せる方法。その両方を叶えるのは、やはり過去記事をいかに取り出しやすくするかではないだろうか?それは自分にとっても読者にとっても、良い事だと思うから。

記事内リンクについて考える

2006年07月27日 | ブログの話
304 Not Modified: リンクの多い記事

からの触発というか、自分の考えを書く。
1.見栄えが良くない
2.文中リンクは、リンクを先に読んで欲しいの?
3.リンク先を読まなくても理解できる記事を
 と、3項目を見出しとしてあげられています。

【見栄え】
 これは、CSSで、文字色、背景色、リンクの色やカーソルを当てた状態での色付け、アンダーバーの有無などを変更させれば対応可能となりますね。特にはてなやSeesaaのように、キーワードが勝手にアンダーバー表示される場合は気になりやすいと言えますからね。オレも正直アレは読みづらい感があります。それとキーワードリンクと記事リンクの違いが分らず紛らわしいですね。さりとてアンダーバーをなくしたりリンク色と文字色を同じにすると、リンクなのか分らず、リンク先に気が付かない場合もあり、これも結構不便に感じます。目立たせないようなリンク色にするってのは、やろうかな。

【文中リンク】
リンク先は先に読んで欲しいのでしょうか?
 自分の場合で言えば、一番最初に入れる場合は、この記事のように言及先であり、まず言及先記事を読んでの前提となりますね。当然その場合は引用する場合が多く、その都度取り上げてますね。それと、あとキーワード的に入れる場合があります。難しい単語や分りにくいカタカナ文字は、辞書へのリンクがあったりします。これは補足として、単語を知らない人にはその意味を分ってもらえるようにという趣旨ですね。ジャーゴン対策ともいえるかな。

・「○○でも書きましたが」……参考、参照ですね。過去記事紹介。
・「○○で言われているとおり」……これは、リンク元に対する礼儀かな。最後に参照で入れるより、その場で入れる方が分りやすいからですね。
・「詳細は○○で」……これは、単純に省略して楽したんでしょうね。
多分補足程度だと思うのです。だったら、注意書きつけて記事の最後にリンクを挙げればいいと思う
 確かにそうだとも思いますが、注意書きを付けるより、そこにリンクがあるほうが、記事作成側は楽です。そして、リンクされる側から考えても注意書きにすると一手間余分になるし、後では忘れる場合もあるから、記事の最後の参照リンクからでは、飛ばれる確率も下がるかと。タイムリーに考えると注意書きよりいいかなと思います。それと、自分を読者に見立てた場合に、後で読み返したときにその方が飛びやすいというのもあると思います。
リンク先を読んでいる間に元の文章を忘れてしまいます。
 忘れるけど、思い出しますね。以前芋づる式にリンク先記事から読まないとよく分らない場面がありました。言及の応酬だったので、元を辿った結果だったわけですが、それでも、元から読みすすめて、最終的にその記事まで戻って読みましたよ。その方が記事の深みはやはり違いましたし、理解も深まった。

【リンク先を読まなくても理解できる記事】
 これは、常々気をつけています。リンク元記事が消えてもいいように最低限の引用をして、記事として成り立つようにはしていますね。まさに同意です。


 ほとんど、お返事&回答ですが、そんなところですね。

[TB:304 Not Modified: リンクの多い記事]

はてブコメントにおけるプロモーション効果はあるのか!?

2006年07月15日 | ブログの話
 お蔭様ではてブの「お気に入り」について考える 1(歴史編)』には、数多くのブックマークと反応コメントを頂きました。いやらしい話ですが、今まで書いてきた記事の完成度などから推測して、ある程度のブクマ数はあるのではないかと思っていましたが、数については期待通りでとても満足しています。しかし、コメントでつづきの記事を期待するという予想外の書き込みが何件かありまして、つづきを知ってる自分としては、ちと続きに期待させる書き方については申し訳なかったと反省した次第です。ただ、単純に長くなってしまったので、キリのいい歴史的リンク集の形で一まとめにしておこうという、安直な考えでした。

 そこで、ちと罪悪感が生まれたため、セルクマ(セルフブックマーク)して、

「この記事に全体の8割のエネルギーが費やされている」

という趣旨のコメントを書き込んだ(今は既に削除してます)のです。そこで思い付いたことが、果たしてセルクマのコメントによる影響というのはあるのだろうか?ということです。

 だから、遊び心で少しこのコメントが知られるまで待ってから続きの記事、はてブの「お気に入り」について考える 2(感想編)』をアップしました。実験的にこの記事にはどれくらいブクマが付くのか、はたまた付かないか?その動向も気になりました。

 その途中で感じたのですが、セルクマコメントによる宣伝効果いわばプロモーション効果みたいなことが可能なのかなぁーと思ったのです。もちろん、オレが取り組んでいる記事分割方式のように1つの記事を1エントリーで完結せず、前後編に分けたり、数回に分ける場合でないと無理なのですが。もしも、あのコメントを

「期待通りの一押し記事ですのでお見逃し無く!」

というような文面で宣伝したらどうったのだろうか?
と考えた。

 正直、つづきの記事が、2割というのは、大げさで3~4割が本音でした。ただ、相対的に考えた場合に、エネルギーの8割はやはり前の記事に使ってます。調べたり纏めたり検証したりという作業面とリンク集としての価値という面においてはです。

 つづきの記事を2割にしたのは、予想外の期待感に対するへたれな部分です。自分でも期待される事が予測出来ていれば、イケイケなコメントや謎めきコメントを用意しておいて盛り上げる演出効果も可能たっだ。それにつづきの記事は前の記事には見劣りしたとしても、自分レベルでの完成度としてはそれ程低いわけではなかった。だから勝負に出ることも出来た。というか、勝負した方が結果良かったのでは無いかとさえ思えた。

 それは、たとえそのコメント内容により期待を裏切り批判を浴びたり、バカにされるコメントが付いたとしても、そういったリアクションの中から本音が聞けるというのは、面白いだろうし盛り上がる。リスクはあるがツッコマビリティを考えた場合に、あのへたれなコメントは失敗したなぁと。

ということで、分割記事にすれば、時として、はてブコメントのセルクマにより、プロモーション風の演出効果を期待できる可能性があるということに気が付いた。