ドラマ「パパと呼ばないで」などで活躍した俳優石立鉄男(いしだて・てつお=本名同じ)さんが1日午前11時、急性動脈瘤(りゅう)のため、静岡県熱海市内の病院で死去した。64歳。関係者などによると、同市内の自宅で数年前から同居している女性が部屋で寝ていた石立さんを起こそうと部屋に入ると、既に息をしていなかったという。すぐに病院に搬送され、死亡が確認された。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は長男大和(やまと)さん。
私にとっては『奥様は18歳』で出会い、『パパと呼ばないで』や『水もれ甲介』は毎週欠かさず見ていたドラマである。私の中で一番TVを見ていた時期でもあるので、石立鉄男さんの存在は本当に大きかった。アフロっぽいでかーい頭と独特の響きのある声、素っ頓狂な声で『チー坊!』と呼ぶ声は忘れる事は無いだろう。
石立鉄男(いしだててつお)
本名=石立鉄男
生年月日=1942年7月31日
出身地=神奈川県横須賀市
出身校=私立三浦高校
血液型=B型
身長=177cm
体重=79kg
趣味=陶芸、将棋、ゴルフ、錦鯉の飼育
経歴=
中学、高校時代はバスケットボール少年だった。その頃、石原裕次郎などが出てきてカッコよさに憧れる。高校卒業の1961年春、男兄弟ばかりで高校も男ばかり、女の子たちと一緒に何かやってみたいという理由から、落ちてもともとと冗談半分で俳優座養成所を受け13期生として入所。俳優座養成所の卒業公演の舞台に立ったとき、改めて新劇の面 白さ、奥深さを実感する。1964年、俳優座養成所を卒業して文学座研究生となり「花咲くチェリー」(1965)のトム役、水上勉が文学座の為に書いた処女戯曲「山襞」(1966)の鉄次役を熱演。それが評価され同年、文学座の座員となる。1970年、文学座を退団。
テレビデビューは「青年の樹」(1961年~1962年、TBS系)に脇役で出演したとされ、テレビ本格デビュー作は1963年3月にフジテレビで放映された「まごころ」で、1963年11月に放映された「夏」(芸術祭参加作品)が昭和38年度芸術祭奨励賞第一席に選ばれる。1970年、「おくさまは18歳」(大映テレビ室制作)で一躍人気スターとなる。その後、「パパと呼ばないで」、「水もれ甲介」、「雑居時代」(いずれもユニオン映画制作)などのホームドラマの主演をし、その人情味あふれるキャラクターで好評を得る。
劇場用映画においては銀幕デビュー作「血とダイヤモンド」(1964年、宝塚映画)、初主演作「殺人者」(1966年、大映)、その熱演で彼の代表作といわれる「愛の渇き」(1967年、日活)などテレビとは違った役どころを演じてみせた。
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ご冥福をお祈りします。
当時テレビっ子だったので、彼のドラマは全て見ていました。残念です(合掌)
悲しい…
だからとても悲しいです。
かなりテンションの高いしゃべりをするパパさんだったんですね?
hidekichiにとって当時青春時代のドラマの主役をやってた人だから何とも悲しいです。