Soul/R&B Singer吉田英樹の音楽との出逢い#1

2005年11月25日 | soul,r&b
~音楽との出逢い~
初めまして、最近Soul歴30年を迎えた吉田英樹です!まず音楽との出逢いから語ってみよう。

物心ついた頃から歌は好きだった。母がやはり音楽好きで、姉とよく歌謡曲などをハモっていたのを記憶している。そのうち姉と自分がハモるようになった。小学校に入る前ヴァイオリンを習わされた。姉はピアノを習ってたみたい。二人とも無理矢理やらされるのはこの頃から嫌いだったようだ。姉はどのくらい続けたか定かではないが、自分は親父(中学校の英語教師だった)の転勤を期にやめてしまった。今考えると俺にピアノを習わせてくれてたらなあ...と思ったりする。今コード弾きで弾き語るぐらいは出来るようになった。これはヴォイストレイナーをやり始めてから必要に迫られて身に付けた。ギターは13歳ぐらいの時姉に『男だったらギターぐらい弾けないとモテないよ』と言われて数ヶ月、誕生日プレゼントだと思うが、おばあちゃんに買って貰った。ギターもピアノも、もちろん歌も独学、ピアノは相変わらずまともな運指ができない。今ひとつ人の教えを乞うのは性に合わないみたいだ。         
姉は結構歌がうまい!超ハスキーヴォイスで若い頃はかなりコンプレックスが強かったみたい。でもとても個性的でいいと思ってたけど...
姉とは学年で4 歳違いだ。中学生ぐらいまでは体格も違えば知識の差もある、そのせいもあり多大な影響を受けたように思う。
一番大きかったのはSoul Musicとの出逢いだ!俺が中3の時姉は大学生、当時はDiscoブーム大全盛!Discoにも通ってたらしくあるSingleレコードを買ってきた、これをカルチャーショックと言うのだろう。俺はこの日から生まれ変わった!
K.C.&The Sunshine Band/Sound Your Funky Horn(邦題=ファンキーホーン)という曲だった。なんて格好いいんだろう?
世の中にこんな素晴らしい音楽が存在するんだ!15年間それまで経験の無い衝撃を受けたのだった。
その翌年アメリカで大ブレイク!日本でもThat's the Wayという曲が大ヒットした。これは説明する必要もないだろう。

そしてついにはその姉のSingleレコードを彼女のアイドルだった『沢田研二/時の過ぎゆくままに』と交換したのだった。これが吉田英樹の歌謡曲との決別の瞬間である。その後Soul街道まっしぐらになったのは言うまでも無いだろう。
文化、特に音楽において姉、祐子の影響は計り知れないものがあったであろう。しかしこの瞬間から明らかに吉田英樹は急速な進化を遂げることになる。影響の上での姉との決別、つまり大人に成って行くのである。

てなわけで、吉田英樹の音楽人生創世記を紹介しました。次回は高校生以降の吉田英樹について語らせて頂きます。
ではごきげんよう!