ジャンボ鶴田さん7回忌

2006年05月13日 | 格闘技
本日5/13日は元全日本プロレスの故ジャンボ鶴田さんの7周忌になるそうだ。小学生の頃からプロレスファンであったHidekichiにとってジャンボが全日本入りした時から注目していた。馬場さんがでかすぎたためそれほど大きく見えなかったが、外人選手と並んでも全くひけを取らない立派な体格であった。

若い頃のジャーマンスープレックスは芸術的なブリッジを描いていた。彼の得意技ジャンピングニーパットは高校時代バスケットボールをやっていたこともあり、そのジャンプ力を生かしたものであった。激しい気性のレスラーが多い中、彼は非常に温厚で優しかった。しかしまだ全盛期に天龍との対戦(三冠戦だと思う)で、天龍の顔面蹴り等のラフファイトに珍しく切れたジャンボは、とうとう切れて天龍をパワーボムで垂直落下に落としてしまった。プロレスラーは相手に怪我をさせないようにしなければやって行けない。信頼関係がないと危険過ぎて試合などできたものではない。天龍は受けも凄いがタブーギリギリの攻撃が売り、ジャンボは逆にかなり正統派であった。今主流になりつつある総合格闘技と違い、プロレスは技を受けるのが前提で試合が成り立っている。そして当然天龍は失神、怒りのジャンボは我に返ったのか一瞬戸惑いを見せるが、フォールに行く。レフリーのカウントが3つ入ってジャンボの勝利だ。もちろんジャンボに笑みはない。優しいジャンボである、普段こんなことはまずなかった。よほど天龍に怒りを覚えたのであろう。

馬場さんを除けば日本のプロレスラーで一番大きかったジャンボ、そのダイナミックさと無尽蔵のスタミナにはあの長州でさえ舌を巻いた程である。ミュンヘンオリンピックに出場後全日本プロレス入団、記者会見で『全日本プロレスに就職します』と言って記者達を驚かせた。私は大のジャンボファンであった。肝炎を煩って一線を退いてからは寂しい限りだった。その後筑波大大学院に入って勉学の道を選び、アメリカのポートランド大学の教授に迎えられた。本当に凄い人であった。

そして教鞭を執りながらも病魔と戦い続け、2000年5月13日にマニラで帰らぬ人となった。

改めて合掌...


松井秀喜骨折!

2006年05月13日 | 野球
骨折?鉄人松井が?信じられない、やっと調子が上向いてきたかと思ってたのに。左手首をやってしまったのこと、かなり厳しい場所だ。プレイオフには是非戻って来て欲しいけど、焦らずしっかり直してまた大活躍して欲しいと思う。