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携帯電話用携帯充電器(#184)

2007年03月11日 | Weblog
皆さんの携帯電話に対する依存度はいかがなものか?どうやら私は結構指数が高いみたい。

携帯充電器を常備している。

8年程前からDoCoMoユーザーであったが、4ヵ月前にFOMAに換えた。引越後10日以上ネットが不通だった時にmixiを携帯でチェックするようになったら、毎月一万円程度の使用料が二万円を超えてしまったのだ。MOVAではパケ放題のサービスが無いのであわててDoCoMoショップに行って機種、契約変更をした。

FOMAは機能が豊富なかわりに電池の消耗が激しい。私の場合仕事がフリーなので移動中にブログの記事を携帯で書く事が多い。使用頻度が高いため携帯充電器を持ち歩いている。写真1がケーブル付きの充電器、コンビニで1000円程度で売っているが単3電池を二本使用、二回ぐらい充電すると無くなってしまうから維持費がバカにならない。

写真1





写真2はPCのUSB端子に接続して充電するタイプである。今時はどこに行ってもPCをおいてあるので、まあしょっちゅう行くようなところならただで充電できるわけだ。しかもこのタイプの物は100均もしくは99ショップで手に入るのでよく行くス
クールには一つずつ常備しておこうかな?とまで考えている。


写真2





たぶん皆さん店頭で見かけたことはあるだろうが、なにぶん100均ショップで売っているため、破損、データが失われる等の不安がどうしても先に立ってしまうだろう。もちろん私も最初は二の足を踏んでいたのだが、99円を捨てるつもりで買ってみた。いやはや何と使えるではないか!
さらに写真1の携帯充電器は充電中かなり熱を発する。もちろんケーブル付きだから直接接続タイプよりはデータの保護の面で安心ではあるが、不安は拭いきれないからね。



USB端子接続型充電器は使えますよ~!





先日Donny Hathawayの海賊DVDを買って興奮してブログにアップしたが、Donnyそっくりに歌うKeyb.&Vocal,Frank McCombを紹介しておこう。
Love StoriesLove Stories
Frank McComb

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上は彼の1stアルバム『Love Stories』、私は1曲目の"His Eye Is On The Sparrow"を聞いただけでやられてしまった。Gospelのスタンダードであるが、もしDonnyがこの曲を歌ったらこんな感じ?

彼はJazz Pianistでもあるので、LIVEを観に行くとさらに興奮!Pianoとのユニゾンプレイ等凄まじいテクニック、そして毎回無名だが強力なサポートメンバーを引き連れて来る。Donnyの実娘『Lalah Hathaway』のサポートでも来日、"You've Got A Friend"をデュエットしてくれたらしい。鼻血ものである...

2004年4月16日に『横浜Motion Blue』でのLIVE後にサインをもらった。下の写真である。


高松英郎さん死去

2007年02月28日 | Weblog
 
    ====高松英郎さん死去====



高松英郎さん(本名=市松武郎)死去。心筋梗塞により77歳で亡くなった。

迫力のある顔つきは昭和時代を生きてきた我々にとっては忘れられない存在であった。晩年は柔らかい役をやるようになったが、若い頃はコワモテのため悪役や敵役が多かった。

中でも私がまだ小学生の頃、桜木健一主演のスポ根ドラマ『柔道一直線』に車周作役として出演、頑固オヤジとして強烈な印象を受けたものである。眼孔が鋭く眉毛が濃くて、いつも髭剃りあとが青々としていた覚えがある。

彼を見るたびにちょうど同時期にやっていた『巨人の星』の星飛雄馬の父、星一徹とキャラがダブって見えたものである。もし『巨人の星』の実写版があったら絶対に高松氏を推薦したであろう。

また昭和時代の映画やTVを支えてきた俳優さんが人生に幕を引いた。ちなみに私の父の一歳年上であった。

ご冥福をお祈りします。

あやや?まやや?前田健!

2007年02月22日 | Weblog
昨日は某大手外食系企業のイベントで歌う仕事で『SOL』のメンバーと朝から六本木に行ってました。9時半集合だからとても早起き!今回はイベントの音楽関係すべてをプロデュースしたT氏のバンドをバックに3曲歌った。何と現場では旧知で
あるPAの熊谷さんに再会!三年ぶりぐらいか?


我々の出番後に控えるのはなんと、あの売れっ子物まねタレント『前田健』であった。上の画像は『SOL』のメンバー、yoshikoが撮った画像である。衣装は18番のあやや風で登場し、会場は爆笑の渦!ほかにもいくつかの芸をその衣装で通す。さすがTVにも良く出演している人気者、何をやっても受ける。しかしここまで来るまでにはきっとたくさんの苦労があったんだろうなあ、と思いつつ、メジャーの強さにまったくもって圧倒された。

彼の控え室が我々の隣りであったため何度かすれ違ったが、思いの外腕が太くかなりごつい体格であった。一言二言しか会話しなかったが、なかなかいい人そうであった。

イベントは16時半頃終了したので、恵比寿で20時からGOSPELのクラスがあったが『SOL』のメンバーで軽く打ち上げをした。ちまたは焼酎ブームではあるが、我々が行った店はかなりの種類がおいてあった。
その中で見つけたのが山形産の日本酒『十四代』である。かなりレアな酒で店では普段でも1~2本しかおいていないらしい。やはり1合1600円と高価であったが、滅多にお目にかかれぬ代物、結局頼んでみた。

『旨い!』と言う言葉はもしかしたらこのためにあるのだろうか?フルーティーな香りで甘口ではあるがすっきりしている。米麹の香りが上品に後をひく。やばーい、私は20時から仕事なのだ…

日本酒はほとんど飲まないが、飲むとしたら普段絶対的に『一ノ蔵』や『八海山』のような辛口である。この『十四代』はかなり甘味が強い!本当に旨い日本酒と言うものを初めて飲んだのかも知れない。


Great Pyrenees ( #166 )

2007年02月08日 | Weblog
近所に住む友人が通称ピレネー犬と呼ばれる超大型犬を飼っているいるのだが、闘病のため毎回は散歩に連れて行けないので、hidejeeが昨年11月中頃からほぼ毎深夜散歩に連れて行っている。

体高75cmぐらい、体重53kgといえばその大きさが解っていただけるだろうか?しっぽが足に当たっただけでもかなりの衝撃、本気で引っ張られたら女性の力ではかなりきついと思われる。

彼の名は『でん次郎』3歳(オス)である。

介助犬として育てられているため良~くしつけられていて、本当に言う事を聞いてくれるお利口さんだ。ただ彼とつき合うにはかなりの体力がいる事は確かだ。ましてやhidekichiは犬を飼った事がない。最初かなり怖かったし良くわからなかったが、最近ではずいぶん懐いてくれてマジで可愛い!

でん次郎の犬種、『グレートピレニーズ』に興味のある方はこちらのサイトをどうぞ。
         ↓
http://www.dogfan.jp/zukan/Working/pyrenees/index.html

『でん』については今後またレポートします。

健康志向? ( #165 )

2007年02月03日 | Weblog
1月後半(二週間程前)にスポーツクラブに入会した。デイタイム会員で平日の10:00~17:00と言う時間帯、日中結構暇がある私にはちょうどいい時間帯である。
ただ月曜日が定休日なのである、と言うことは土、日、月と三連休になってしまう。いやはやホントにお得なのであろうか?

さて先週は火、金の二回行った。まあ筋肉痛にはなるし結構疲れるのだが、爽快と言うかきっと長い間体が欲していた物なのであろう。体を動かすことはけして嫌いじゃないが運動するのに金を払うのかあ、と思ったら何となく二の足を踏んでいたので
あった。精神的な部分でもかなり影響があるみたいで、やればやるほどやる気が出てくるのだ。

ここのスポーツクラブは老人男性の比率が高くて、ロッカールームが少々老人ホーム化しているのがたまにキズだが、家から近い事と比較的空いている事が決め手となった。

先週は火、金の二回行った。まあ筋肉痛にはなるし疲れるのだが、何とも爽快と言うかきっとずーっと体が欲っしていた物なのであろう。体を動かすことはけして嫌いじゃない。しかし体を動かすのに金を払うのかあ、と思ったら二の足を踏んでいたのである。
何と今週は火~金の4日連続の皆勤賞だ。水曜日だけはウォーキング(7km平均近いからかなり早い)だけだったが、他の日は器具を使用したトレーニングメニューをこなした。

すっかりハマってしまったようだ。どんどん健康志向になってきた。

切り番

2006年06月28日 | Weblog
MIXIの訪問数が493まで来てしまった。一応500で一区切りの予定。

誰が500番目になるのであろうか?ちょっと楽しみである...

ブロガーとしてデヴューして8ヶ月なんだなあ。かなりハマり気味...


今年もそろそろ折り返し、Everybody後悔のない2006年にしようぜ!

エンターテインメントとは #1

2006年04月19日 | Weblog
=====エンターテインメントって #1=====

音楽の世界に限らずプロである限り、芸能、スポーツなどの世界でもエンターテインメント性というのが重要になる。最近プロレスで試合終了後のマイクアピールというのが当たり前になっているが、昭和時代の馬場、猪木時代には考えられなかったことだ。猪木は引退後はずいぶん語るようになったが、全盛期はここぞという所でマイクアピールをしていた。しかし今のプロレス程ではないし、『ダア~!』をやるだけで会場は究極に盛り上がった。カリスマ性が高かったので言葉は必要なかった。馬場さんは無口であった、そのかわりリングに上がるだけで『おおっ!』という程でかかったのでやはり言葉は要らなかった。

元々格闘技系を中心としたアスリートからプロレスに転向してくるわけだから口下手な人が多い。しかし本場USAではかなり昔からTV(ケーブルを含む)放送でのマイクアピールは欠かせないものであった。WWEではストーリー性を重視(台本があるらしい)するためしゃべりがダメだったり演技が出来ないと生き残って行けないのだ。190cm、120kg級のムキムキな体格プラス演技力を求められる、そりゃあホントに大変なことだ。

日本ではプロレスのマイクアピールは女子プロレスで早い時期に定着していた。そりゃ体育会系の男子よりは女子のほうが口達者なのは当然である。昨年プロレス大賞を受賞した佐々木健介の嫁、北斗晶(最近バラエティー番組でも有名な鬼嫁)の現役時代は凄かった!当時無敵のあのブル中野に噛みついて、肝心の試合では勝てないのだが毎回マイクアピールで圧倒していた。

男子だと昨年ノアで引退した全日時代のラッシャー木村を忘れてはいけない。木村のつたないトークが当時の全日にとっての唯一のエンターテイメントな瞬間であった。国際プロレスの最後のエースであったラッシャー木村が国プロを離脱してターゲットにしたのは、アントニオ猪木率いる新日本プロレスである。アニマル浜口(アマレスの浜口京子のパパで、気合いだ~!で有名)と寺西勇を従え、新日のリング上に登場。会場内も緊張感たっぷりの中、木村がマイクを持つ。そして開口一番『新日本プロレスファンの皆様こんばんは!』である。正直「ぶっ殺してやる!」ぐらいの啖呵はあってもいいだろう。なにしろ国際の最後のエースであり、金網の鬼と呼ばれ、デスマッチをやらせたら一番強いと呼ばれていた木村である。ラッシャー木村の人の良さがこの瞬間人生を変える程裏目に出た。

当然のごとく新日マットで成功するはずもなく、猪木の当て馬扱いを受けたのちに馬場さんの全日本プロレスに殴り込みをかける。この頃馬場さんはすでに全盛期を過ぎてジャンボ鶴田にエースを明け渡していた。一騎打ちは実現したが、全盛期を過ぎた二人に期待できるわけもなかった。しかし木村は死んでいなかった。自分を地獄の底に陥れた、死ぬほど苦手なマイクを握ったのだ。当時のプロレスファンはあの事件を忘れてはいない、木村は開き直ったのか地でしゃべった。会場は爆笑の渦である。この瞬間ラッシャー木村は蘇った!その後馬場さんとファミリー軍団を結成、新しい全日のスターとなった。人生ホントに分からないものである。

最近ではハッスルやインディー団体でもエンターテイメント路線が流行している。さらに総合格闘技のリングでもマイクによるアピールは不可欠になって来ている。実はこれはPrideやK-1のリングでも同様、真剣勝負の直後気の利いたマイクアピールが出来なければ一流にはなれない。何しろトレーニングの鬼でなければあんな何でもありの怖いリングには上がれない。そしてついこの間までアマチュアであった人達が多いのだ。その彼らにマイクを持たせて気の利いた事を言えと言うのは酷な話。しかし今時はただ強いだけでは客を呼べない。PrideやK-1などのメジャーどころではめちゃくちゃ強い+キャラクターが求められる。さらに負けが込んだりしょっぱい試合をすると出して貰えなくなる。なんと過酷な世界であろうか?

しかしどんな世界でも金を取って見せると言うことは過酷なことである。今の世の中、エンターテイメントと言っても同業以外にもたくさんのライバルがいる。お笑い、音楽、格闘技、すでにそれを仕切るラインなどぶち壊されているのであろう。時代を読んで努力する、そんな人間や団体、プロレスで言えばノアのような団体が生き残っていくわけだ。

Hidekichiももっと時代を把握しなきゃいかんな、反省…



どこまでもSoulな私

2005年12月11日 | Weblog
さて、前回までは吉田の自伝に終始してしまったので今回は大まじめにSoulを語ってみよう。
Soulの定義について述べると人それぞれの解釈があると思う。きっと最近のR&Bブームで黒人音楽に入った人たちはSoulとR&Bを別な音楽ジャンルとして考える輩が多いと思われる。まあジャンル分けする事自体無意味といえば無意味であるが人それぞれに好きな音楽の傾向がある。これは音楽に対する求心力が高ければ高い程分けて考えたくなるのは当然の事である。

しかし実はR&Bとは60'S以前の呼び方である。つまりR&BのおじいちゃんはR&B、親はSoulであるのだ。70'sにSoulと呼ばれる前はR&Bと呼ばれ、80's中期にはBlack Contemporary、またR&Bと呼ばれる前はBlackと呼ばれたりした。
吉田は最近の黒人音楽をR&Bと呼ばれるのにかなり抵抗があった。ブラコン、ブラックと呼び名は変わっても結局はSoulとかたづけられたものが、なぜ60's以前の呼び方になる訳?
要は60年代末期にAfrican-Americanが市民権を得た奴隷時代から引きずっていたコンプレックスからの解放、自信の意味であるSoulという言葉が失われたように感じて悲しくなった。これは吉田が聞き始めた時既にSoulと呼ばれていた訳で、単純に言えば懐古主義?と言われればそれまで。しかしSoulと言う言葉の響きには特別な感情があるのだ!
そう、流れ的にはSoulとR&Bは全く同じ遺伝子を持ったものであるのだ。それはもしかして50'sの音楽をOldiesと呼ぶのと一緒なのかも知れない。

吉田はSoulで育って、それを歌い続け、最近のR&Bを歌い、教え、そしてGospelを歌い、時にはRock,Popsも歌わされた。しかし何を歌おうが吉田が吉田英樹である限りSoulなのである。妙な気負いが無くなったら音楽がさらに楽しくなったよ。

こだわりは時には損をするが、人生を謳歌するには本当に大切な物である。みんなもこだわりを持って生きて行こう!吉田英樹、少し大人になりました。

次回はさらにSoulと吉田英樹を語って行くよ、よろしく!