中年おじさんの散策part2

散策内容を紹介します
七福神・温泉・散策案内が主なものです。

富士塚 その5  成子天神社

2014-06-20 04:17:34 | 富士塚

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。

 

20140503  東京南西・富士塚
東京都新宿区西新宿
    成子天神社
  菅原道真が死去し嘆き悲しんだ家臣が道真の像を大宰府から持ち帰り祀ったのが始まりであるという。その後鎌倉時代、源頼朝により社殿が造営された。しかし江戸時代に入り寛文年間に起きた火災によりそれまでの記録や社宝などが焼失してしまい、現在地に移転。その後第二次世界大戦中にも空襲により社殿が焼失している。1966年に鉄筋コンクリート製の社殿を造り現在に至る。付近が新宿新都心の高層ビル街に変わった現在も、周辺の人々から信仰を得ている。境内には「富士塚」があり、七福神が山麓にあったが、現在は境内に散在している。 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士塚 その4   稲荷鬼王神社

2014-06-19 06:22:52 | 富士塚

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。

 

20140406 新宿・富士塚・椿
東京都新宿区歌舞伎町
  稲荷鬼王神社
  JR新大久保駅の南東約400Mに鎮座する。全国唯一の鬼の福授けの社として信仰を集め、「撫で守り」の授与で有名である。皮膚病・その他病気平癒に御利益がある。境内の三島神社に祀られている恵比寿神は新宿山ノ手七福神の一つ。
 境内の奥には、小規模ながら「富士塚」が有り、参拝することができます。春には、椿の花が彩りを添えています。
  祭神は、稲荷神の宇迦之御魂神、鬼王権現の月夜見命・大物主命・天手力男命。また、大久保村が祀っていた神々(火産霊神など)も明治時代に合祀されている。神社の名前から誤解されやすいが、「鬼」を祭神としているわけではないらしい。 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士塚 その3   品川神社(富士塚)

2014-06-18 04:49:40 | 富士塚

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。

 

20140314 東京南西・富士塚
東京都港区北品川
品川神社(富士塚)
  北品川宿の鎮守。6月の品川神社例大祭は「北の天王祭」と呼ばれ53段の階段を神輿が上り下りするらしい。境内には宝物殿や神楽殿、板垣退助の墓や富士塚(擬似富士登山が出来る)がある。
 東海七福神の大黒天に指定されている。昭和57年(1982年)10月1日都民の日制定30周年を記念して募集した都民の投票により第五位に入選「新東京百景」と指定された。
 東京10社の一つにもなっている。春は境内に梅の花も咲き、四季折々の季節感も抱かせてくれる。
  東海七福神の大黒天

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

碑-31  かねの鳴るまち  新幹線開通記念

2014-06-16 07:00:10 | 

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。

 

20140515 東京北東・碑
東京都台東区上野
かねの鳴るまち
新幹線開通記念
 上野から御徒町までは、元気な商店街が続く。そこには石碑と言ってよいのかわからないが、何かを記念して作られた物が数カ所ある。
 今日発見したのは「かねの鳴るまち」「東北・上越新幹線上野駅開業記念」。どうしてこの町に作られたのか、調べてみたが定かな説が見つからない。鐘もないしも開通であれば駅に作られていても良いのかもしれない。 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

碑-30  言の葉の碑  真言宗放生寺

2014-06-15 04:40:34 | 

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。

 

20140406  桜・碑・新宿
東京都新宿区西早稲田
真言宗放生寺
    言の葉の碑
 高野山真言宗準別格本山の寺院である。山号は光松山(こうしょうざん)。本尊は聖観世音菩薩で、「江戸三十三箇所」の第15番、「御府内八十八箇所」の第30番の寺院。広大な境内を保有し、立派なお堂・「言の葉の碑」・観音堂があります。
 創建当時は穴八幡の境内に放生池があったが、明治期の神仏分離により池は放生寺の管轄となり、その後1920年代に埋め立てられてしまった。現在は本堂脇の池が放生会に使われる。第二次世界大戦により中断してから再開まで約40年の空白があり、伝統の多くが失われてしまったが、毎年体育の日に行われる放生会には多くの参拝客が訪れている

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする