飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

レビとは何だったのか? 01

2013-04-23 19:18:17 | 日本論と宗教論
アルトさんからコメントを、再度頂きました。それに対する私の回答を、記事として上げておきます。


以下引用。

>夜中にレスをくれたんですね。疲れているところを。もう無理しないでください。

はい。無理だけはしないというのは、私の信条のひとつです。仕事は忙しいですが、無理は決してしておりませんので、お気になさいませんように。

>レビ族が単独でひとつの勢力になった時期があるのです。あくまでも推理ですが。それは映画スターウォーズにメタファーとして描かれている。レイア姫がユダ族の正統の姫。ルークがユダ族の族長。悪の皇帝がレビ族の族長。大まかにこの構成で作られた物語となっています。

それが事実だとしたら、大問題です。先ず取り敢えずは、何時、何処で、何故、どの様な経緯で、の規定が必要ですね。

>モーゼが全ユダヤから召集可能な兵力として、60万人という数字が聖書に記されている。これはすさまじい数字です。事実上世界最強の軍事力です。この数字に着目する人がほんとんどいない。

60万人は兵力ではなく、エジプトから連れ出された青年男子の数となっていますよ。民の数です。

>私はレビがヤコブの子供だと看做しておりません。

聖書にはヤコブの子供だと明記されています。

>モーゼは捨て子です。雛形としてそれ以前に似た事象を探したけど見当たりません。

モーゼはレビの血筋だが、捨てられてエジプトの王女に拾われ、育てられたのでした。その後に自分のレビとしての血筋や使命に目覚め、イスラエルの民を率いてエジプトを脱出させるという大偉業を成し遂げたということでした。この記述に基づけば、モーゼはレビの家系に紛れ込んだ得体のしれない出自のものという穿った見方もできないわけではないわけです。彼以降のレビ族は、アーロン系のレビ族と共に、レビの中核となって行きますが、ということは、この時、レビの家系の一部に、得体のしれない出自の何者かの血が入ったということになります。しかしながら、エジプトのファラオの王女に拾われた直後にモーセは、その姉と母親によって無事が確認されたということが記述されています。ですから、なりすましの可能性は極めて低いことになります。

そもそも、モーセの権威は、イスラエルやユダヤの存在意義そのものと、この上なく密接に結びついたものです。この彼が邪な氏族出身の者のなりすましだったとしたら、イスラエルやユダヤの存在そのものが影の邪な目的を持った虚構ということにもなり、善なる神の歴史への関与そのものの否定に繋がりかねないと思います。イエスの復興運動の理念の中にモーセのことは入ってこないことになり、イエスがタボール山でエリアとモーゼの復活体と会談していたというエピソードも邪な虚偽であるということになってしまいます。そもそも、律法の石板もアークも、マナの壺もアーロンの杖も、全てが邪な虚構ということにもなります。ということは、日本形成史にイスラエルやユダヤの痕跡を見ることなんて、最初からナンセンスということになるわけです。従って、モーセを侵入者と見做すのは、やや問題ありかもしれませんね。

ただ、モーセの背後に「主」と呼ばれ、祈りの中で心の中で対話するのではなく、わざわざ高い山の上に登って会いに行かないと対話できない存在者がいて、その存在者の指導の元でモーセが大事業を指導していたことは確かであり、この「主」を、イスラエルをある目的のために外部から操る陰の異民族と見做すことができるとは考えます。私もそれを、クリスチャンらしく単純に「神」と見做す部分もありますが、外部の陰の支配部族とする考え方にもまた違う観点から大いに信憑性を感じる訳です。両者は私の中では全く矛盾してはいません。「宇宙人がそれなのだ」という人がいるのを耳にした場合にも、例によって、そうかもしれないと受け入れつつ、自分の中で完全な咀嚼ができるまでは人様に伝えるのは控えようという態度を貫いています。何れにしても、イスラエルの周辺に陰の外部支配氏族の存在を想定できるとは考えてはいる訳です。しかし、だからと言ってそれを短絡的に、悪と決めつけることには反対です。

>しかし、ヤコブの預言もしくは遺言でヤコブは、レビとシメオンを呪っています。

ヤコブによるレビやシメオンへの呪いの言葉は、その帰結として、他の兄弟達の中に散らされるという内容を伴ったものでした。ハムやエソウに対して「他の兄弟たちの僕の僕となれ」と帰結したのとは大きく異なっています。彼等は、どんなに呪われても、飽くまでもイスラエルの一員と見做されていた訳です。この差は、同じ呪いとは言え、極めて大きいと言わざるを得ません。

註:因みに、ハムやエソウの犯した罪の内容は、権威の失態を愉しんでしまった罪や、自分に引き渡される予定であった権威の取り扱いの重さを十分に感じ取れなかった罪でした。ということは、聖書では、権威がどんなに失態を演じても、従う者達にそれを嘲笑う権利はないということが書かれているということになります。これは『論語』で仁の本としての孝悌の重要性の指摘がなされているのと同じです。私が、天皇がたとえ偽者であったとしても、国民としては信じるしかないと言うのとも、本質は同じです。国民としては、そしてそのリーダーとして世に出る場合には特に、どんな場合でも、乱を是認してはいけない、ということです。現代のインターネット上の陰謀論のオピニオンリーダーの多くが、これと同じ罪を犯していると感じるのですが、どうでしょうか?

>何故なのか。あるときひとつの着想を得ました。モーゼはなぜか当時の黒人部族と親交がありましたから、もしや、モーゼは黒人の血を引くのではないかと。ここからレビも捨て子で、黒人の奴隷の子ではないかと。この着想が正しければ、レビはつまりはハムの子孫です。故に、ユダヤ人ではありません。

レビとシメオンには、怒りをコントロールできず、暴力に容易に走ってしまう強い傾向性があるからなどという戒めはあります。だからと言って、イスラエルから追放はされませんでした。エソウやハムと違って、同族性の維持が間違いなく、大前提となっていたのです。

レビは捨て子である、即ち、外部からある意図を持って密かに侵入させられた者であるということがあったなら、罪を犯したと言って呪いの言葉を浴びせる際に、ハムやエソウの時のように、いやむしろそれ以上に、即追放ということになって然るべきであったはずです。外部からある意図を持って密かに侵入させられた者でありながら、即追放となるべき時にそうはならなかったというのは、どのように解釈できるのでしょうか?ヤコブにとってレビは主人から送られたが故に、どんなにできが悪くても決して蔑ろにできない存在だったということなのでしょうか?高貴な者が自分の子供を孕んだ愛妾を近臣に下賜するという習慣は、東洋では文献上、色んな箇所で確認できたと思いますが、その類のことだったのでしょうか?

実は私は、そういう解釈にはある程度信憑性があると感じているのです。でないと、こんな出来の悪い性格のレビが各支族に配分されて祭祀を行うような特権的な重要な役割に着けられた理由が全く分からなくなるからです。

だとしても、だからと言ってレビは全て「邪悪な」侵入氏族であるなどと断言するのは、言い過ぎではないでしょうか?イスラエルやユダヤにとっての「主」がイスラエルやユダヤを組織したことそのものを、悪とは決して言えないはずだからです。

その「主」の全員がハムで、セムに対して氏族全体で激しい悪意を抱き続けていて、セムからイスラエルが出てくることそのものがそのハム族の邪な計略の中で行われたのだと考えたらどうでしょうか?レビは実はハムの血筋の者だ。だからこそ、その後のイスラエル族の苦難の元凶となったのだなどと考える場合にはまさに、レビをイスラエルの各支族に祭祀族として配分したイスラエルの「主」そのものの抱いている元々の意図が邪悪なものだったと考えるしかなくなるでしょう。

イスラエルやユダヤ系の宗教を根本から否定する人がいますが、今上で述べたようなことに頭の中でなっていたら、それは、そうしたくもなるはずです。ベンジャミン=フルフォードさんもそのような主張をしていました。しかし、別の箇所ではハムそのものがその「主」から呪われたとも書かれています。即ち、上に述べたようなイスラエルを組織した「主」の全員がハムだったなどということは、ハムがこの「主」の全てを滅ぼして「主」になりすましていたということがない限り、絶対にあり得ないことなのです。ハムがイスラエルの形成前に、自分を呪った自分の「主」を滅ぼし、その「主」になりすましていた。このようなストーリーは本当に、一定の信憑性を持って描けるのでしょうか?

仮に描けたとしましょう。その場合でも、そんな邪悪な茶番劇の流れを汲んでいるはずの、後のユダ族やイエスの宗教をアルトさんが高く評価なさっているのは、どういう経緯からでしょうか?

その場合、聖なる霊統のエッセネ派や東方のマギ、イエスによる復興は、通常言われているような、邪悪なパリサイからのイスラエルの解放と復興などではなく、邪悪なイスラエルからのイスラエル以前の何かの解放という、全く正反対の意味を帯びてしまうものと考えられます。

「イエスはパリサイに牛耳られ堕落したユダヤのただ中に立って、パリサイが自分達に都合よく曲解してその本質を歪め、それを用いて人々を苦しめている『律法』をその本源に戻して、モーセが初めてそれを人々の元にもたらした時の原点に回帰させるとともに、律法以上に大切で、律法の本源にも深く関わっている神や人類への愛という原理を新しく、イスラエルの民に、その身を犠牲にすらして示した」

これが一般的なイエス理解です。それに対して、イスラエルが、そしてイスラエルにレビを送り込んで、モーセを操ってイスラエルを組織した「主」が邪悪な者であったと考えながらも、イスラエルから出て来てイスラエルの中での復興運動を行ったイエスを高く評価する場合、今述べたような一般的なイエス理解が、次のようなものに変更されないといけないことになってしまいます。即ち、

「邪悪なレビ出身で外部の邪悪な支配部族と密接に連絡しあっているモーセがイスラエルの中に持ち込んだ律法そのものを排すべし。大切なのは律法のようなものではなく、神や人類への愛なのだ。律法にではなく神や人類への愛に基づいた新たなイスラエルを立てるべし。これがイエスの真意だった」

といったものにです。

が、本当にそれでいいのでしょうか?イエスの言葉にも「私が律法を排するために来たと勘違いしてはならない。むしろ、律法を成就させるために来たのだ」という言葉がありました。ここでは明らかに「律法だけではなく愛も、愛だけではなく律法も」と言われていると思うのですが、上のイエス理解の中に含まれるモーセとレビの認識は、限定表現と添加表現の混同からくる例のあの普遍的な誤謬をここでも犯してしまった上で、その流れの中で「律法ではなく愛を」と言っているのだとイエスのことを完全に誤解してしまい、このイエス自身による警告の言葉すらいつの間にか忘却してしまったが故の間違ったモーセ観、レビ観なのではないかとも考えられる訳です。

何れにしても、更なる検討が必要な、余りにも大胆な仮説になってしまっていると思われて仕方がありません。どうなのでしょうか?

「レビもモーセも外部の支配部族と密接に連絡しあっているものではあったが、だからと言って、この外部の支配部族も含めて、その本質を邪悪などと決めつけることはできない。レビがある時に邪悪な支族に見えるようになったのは、今述べたのとは全く異なる経路でハムあるいはエソウの侵入や乗っ取りを受けてしまったからだ」

こう考えるのが最も合理的だと思うのでしょうが、違っているのでしょうか?

>スピルバーグもルーカスもユダヤ系ですか?エッセネ派かもしれませんね。

彼らが善か悪かは、彼ら自身の行いが証明することでしょう。

>聖書にはエサウ族は邪悪な描かれ方はないと思います。問題のある部族ではあっても。

権威の重みを十分に感じ取ることができず、自分でも知らないうちに権威を軽んじてしまった罪が、彼を巡っては表現されています。だから「主」の権威の代理人たるイサクによって呪われ、イスラエルの中での居場所を失ってしまい、更に悪いことには、その後も後悔せずにヤコブを激しく呪ったと、はっきりと書かれています。

>白丁は新羅です。大伴氏です。仲麻呂謀反により聖武天皇が失脚したときに聖武天皇方について頑強に抵抗した半島のマケドニア人の後裔の秦氏です。愛すべき同族です。韓国人は全般は高貴な血筋のぺくちょんをいたぶり尽くした憎むべきやつらです。嫌です。兄弟はぺくちょんだけです。

それに加えて、韓国の上層部にも、列島の善良なる住人と血統的に近しい関係にある者達が全くいないという訳ではないということも、言っておく必要があります。飽くまでも、邪悪な氏族に侵入され、寄生され、乗っ取られているだけと言った方がいいでしょう。何れにしても、見極めは非常に難しいでしょうが。ただし、行いだけは隠せないでしょう。行いで判断しさえすればいいのでしょう。ということは、行いを観て判断する前から一括りに「韓国人は」などと言って非難するのだけは、やめておいた方がいいということになります。

>文鮮明の血が愛子に?天皇家に?それはさすがにないでしょう。

それなら安心です。

>ただ小和田ひさしはあやしいですね。私見ではサンカ系ではないかと思うけれど。

平安時代になってから列島に入り込み、律令制の枠外に追い払われ、主に山の民の保護の元で命脈を保ち、その後の各時代において各地の豪族に、忍びや傭兵として雇われていた人達の内のひとつのことですね。それについて小和田氏がどうなのかは、私には何の判断もできません。

>出エジプトの真相はモーゼ率いるレビ族と追随した十二部族の一部が、エジプトを追放されたことだと認識しています。モーゼの死後レビの一部はアナトリア地方に進出。その後ユダ族の侵攻によりアナトリアを追放され、中原に侵攻して夏王朝を建国。

何れにしても、上記のごとく、時間をかけて熟考しなければならない情報です。

>殷王朝はいけにえ殺人文化です。中原に流入した古代イスラエルも生贄の犠牲にされたのでは。

殷は九州北部にいち早く定着していた、シュメールとの同一化が指摘されるハッティと、その古くからのパートナーたるエブスが、中原に侵入して創った王朝でした(彼等は松重楊江氏によると蘇我氏と中臣氏、海部氏のことだったようです)。生贄殺人文化だったという話は、考古学上の常識であるばかりか、この私の持っている情報とも十分に辻褄の合う話です。ハッティやエブスの王国だった東表国の半島側の領域に当たる伽耶でも、その風習の存在が考古学上、確認されるようです。また、遠く西では、トラキアの古墳でその風習が確認されています。勿論、列島にもその風習はありました。

生贄にされたイスラエルとは、羌族のことですよね。

>夏王朝と殷王朝で「カイン」。こじつけだとしても一分の真理を言い表しているような気もするのです。

かもしれません。

>飯山一郎は自身のブログで書いていた。今上は殷王朝の末裔だと。彼の属する氏族はこれなんでしょうね。マヨもこちらに入れ込んでいるようです。

殷→箕子朝鮮→扶余→九州物部の一部→百済は分かっています。皆さんの話は兎に角、詳細を省いた、等記号を用いた図式に終始することが多いようです。よくその程度のサジェスチョンで満足し、お互いの意思疎通ができているなと感じること多々ですよ。もう少し詳細に書いてくださったらいいのですが。

>今の皇室など呪いこそすれ、崇めることなぞできるわけがない。今上とその一族が憎い。八百長の世界大戦の大本。滅ぼすべし。

今の天皇家を滅ぼした後で、どこの誰が責任を担っていくのか?私が気にするのは、いつもこれなのです。王殺しは、どんな形であれ、国民の国民としての本質を著しく傷つけてしまうような性質のものなのです。ましてや、天皇陛下は、ただの王などではないのです。軽々しく滅ぼすなどとは、どんな立場からも決して、言えないはずです。

引用以上。

叱咤激励に感謝

2013-04-23 01:55:33 | 日本論と宗教論
アルトさんからのコメントへの回答を記事として上げます。手厳しいながら、熱心な、ありがたいコメントでございます。


以下引用。

>お久です。

お久しぶりです。ありがたいことです。

>ユダ族とレビ族の対立は本当だと思います。サンヘドリンはレビの独占。ファリサイ派もレビが多数か?イエスを十字架に架けたのはレビだけではないが、殺すよう仕向けたのはサンヘドリンとファリサイ派ですね。この因縁はいまだ解消されてはいない。そもそも偽ユダヤとは誰のことを指して言うのでしょうか?私が思うに、ユダヤ人を自称するもその実ユダヤ人ではなく、サタンの会堂に属するものとは、レビ族を中心とした連中のことだと考えています。

レビは、祭祀族として各支族に配分された氏族でした。ですから、ユダ族がいればそこに祭祀族としてレビが含まれているはずだし、レビ族が単独でひとつの勢力となることはなかったはずです。従って、両支族の対立などあり得ない。このように考える訳です。

イスラエルやユダヤは、アブラハムによって「主」と呼ばれた氏族、かのメルキツェデクを代表とする氏族によって聖別され人工的に構成された。レビはその氏族によって各支族に配置されたスパイのような存在である。このように考えて、レビ族とパリサイ派を同一視されているのでしょうか?私は、大筋ではそのように考えていますが、それをスパイなどとは評価していません。そうではなくて、かのエソウ或いはハムの子孫で、ある時何らかの理由から「主」に呪われ、そのことでセムやイスラエルを氏族として激しく呪っている氏族が、それぞれに配置されたレビの元で各領域に平和に暮らし、全体としてひとつの王国を構成していたイスラエルに侵入した。ある意味で極めて魅力的な、しかし実際は悪魔崇拝として様々な悪徳に染まったバール信仰を持ち込み、極めて非人間的な教義体系でレビとイスラエルの人々を内部から縛り、腐敗させ、不当に支配するようになっていった。悪の原因は彼等である。私達はそう判断しています。サンヘドリンは元々は、特定の構成を持った祭祀族の中枢組織を呼称する一般名称でしかないし、レビは要するに、侵入する方ではなく、される方なのである。侵入された結果、あの悪名高きパリサイ派となって立ち現れてきてしまったという訳です。偽ユダヤとは、エソウかハムの子孫で、チュルク系あるいはツングース系の氏族に入り込んで基盤を築いた上で、計画的にイスラエルに侵入してきた者達のことです。正当な意味での血縁はなくとも割礼を受け入れればユダヤ人と認めるというかの有名な規定がその際の盾となる訳です。ハザールも、ヨーロッパにおけるその比較的新しい典型例なのだと思います。

>統一協会のわが民族にもたらす惨劇はあまりにもむごい。韓国にはレビが多いと小石牧師が言ってました。韓国は嫌です。断じて。

私は親族や私自身が、統一教会から直接被害を受けた経験を複数回持つものです。親族の中に統一教会の悪事を追求する新聞記者がいました。その私ができるだけ公平になるよう考察した場合、韓国には「かの邪悪な氏族が乗っ取って化けた」レビが多いのであって、単にレビが多いのではないという言い方になります。朱子学を悉く曲解しては人々を蔑み、虐げて、人々の犠牲の上に胡座をかいていた両班は、その典型的な現れだったに違いありません。一般の韓国人民は、特に白丁として最も過酷に虐げられてきた人々は、決して、邪悪な氏族ではありません。私達日本人の最も親しい同族です。従って、大部分が白丁からなる在日の人達も、大半は私達の最も親しい同族ということになります。しかしながら、文鮮明や文堯(笹川良一)の場合は、その所業からして、かの邪悪な氏族の一員だったということがはっきりと分かります。韓国だけではなく日本にも「かの邪悪な氏族が乗っ取って化けた」レビが多く存在しているということになる訳です。統一教会の一番の被害者は、統一教会の実態を何も知らされないまま限られた情報で強烈に洗脳され、まるで奴隷のように利用され、虐待され、親族に多大な迷惑すらかけてしまっている一般の信者でしょう。文鮮明の血が天皇家に入っている?それが本当だったら、統一教会と一緒にその皇族も抹殺しなければなりません。

>稗田アレのひえだ、日枝とも。稗田阿礼は聖武天皇の別名、秦河勝も聖武天皇の別名。聖徳太子は聖武天皇のこと。 hieda......pieda......pieta......pieto......petero。ペテロの子孫とその集団が秦氏と認識しています。彼らが邪悪な種族ですか。悲しい哉、悲しい哉、悲しい哉、悲しい哉。

秦氏は邪悪な氏族ではありません。秦氏の中に侵入した者達が邪悪である。私達はそのように考えています。そもそも、人々の幸福のために皆で知恵と汗を絞って楽しげに働く秦氏の幻影。これが当初から私を突き動かしてきたものです。

>賀茂氏がレビの子孫? 思うに、ヨゼフの子孫ですね。ヨゼフの娘とレビの子の婚姻家系(これは妄想的推理)。賀茂氏はそう思っているかもしれません。

レビでないと祭祀には携われません。各支族のレビにこの列島では「忌部」、その中の中核の組織に「賀茂」の名が付けられたはずです。

>本当に悲しいです。最近のあなたのブログは。

どんな理論も、間違いなら自滅するでしょう。そうでなければ、生き残るはずです。私も、間違いだと分かったら、それを消滅させるのに何の抵抗もありません。ただし、その間違いの原因は必ず、明確に把握するつもりです。マヨさんのようにただ撤回し、何者かのリーク情報を鵜呑みにすることは絶対にいたしません。そのようにして発せられる発言は、表面上どんなに真実をついていたとしても、本質的には決して、真理とはみなせないからです。かえって有害ですらあります。マヨさんのブログでの変遷を観て初めて把握した教訓のひとつです。人間とは、何とも恐ろしいものです。それを知り尽くしていて、マヨさんのところにS氏を送り込んだ何者かも、本当に恐ろしいと思います。

>邪馬台国は九州です。時代の降下で場所も変わりました。最終地点は大分の行橋市香春、神護石のあるところです。ここから、雄略天皇、最初の即位の聖武天皇のことです、が東征したのです。アレキサンダー大王の東征と同じように。

これについては、「邪馬壹」のことも含めて、以前にいただいた情報を何度も反芻しながら、今後も研究を続けなければなりません。今はまだ、アルトさんや松重楊江氏のようにまで、記紀の信憑性を疑い切ることはできないでいます。最近ではむしろ、飛鳥氏からもやや離れて、記紀は意外と本当のことを書こうとしていたのではないかとすら思い始めています。今後どうなるかは、分かりません。

>飛鳥昭雄はいかがわしいやつです。パーマにグラサン、猫背で語るさまは、悪霊に憑依されたように感じるのは私だけか。

彼の説に幾つかの明らかな誤謬を見つけるとともに、一連の古代史連作は本当は三神たける氏のものなのではないかと勘ぐる部分も実は、最近出てきています。きっかけは、YouTube上で見た彼の講演内での「ないぐう」や「げぐう」の発言でした。大丈夫か?と思いましたよ。文章から受ける印象とあまりにも違いすぎる。彼の講演は、文章とは違って、あまりレベルの高いものではありませんね。

>世界中に散ったエッセネ派つまり秦氏同族がどんなにひどい思いをしてきたことか。カタリー派はエッセネ派のことだと思います。カタリー派を殺したのはレビに乗っ取られたカソリック。カソリックこそ悪魔なんじゃないですか。

私もそう思っております。ただし、ある邪悪な者に乗っ取られたレビに、二重に乗っ取られたカトリックです。サウロ=パウロからそうだったはずだと、私の直感は言っています。大学院の時、カトリックの洗礼を受けようと考えた時は、そのようなことは全く考えませんでした。ところが実は、洗礼を受けた瞬間に、その時は絶対に誰にも打ち明けられませんでしたが、「何か悪いものが来た」という、自分でも全く不可解な感情に襲われたのをはっきり覚えています。そのようなことが最も頭に浮かんできにくいはずの、その瞬間に、そう思ってしまったのです。単なる直感が何年か後に明確な認識になるといった体験は、私の場合、本当によく起こることです。

>そして、なぜだかあなたは、偽明治天皇に触れない。どうしですか。

何度も触れております。ただし、馬の骨が本物に入れ替わったということではなく、南朝系として長い間逼塞していた家系の出身者が本物に入れ替わったのだと考えています。彼がもし単なる馬の骨だったら、近臣にすら腹の底で最大の軽蔑を受けるだろうし、そんな天皇とそれを中心とした国家など、そう長いこと繁栄し続けることはなかったはずだと考えるからです。

現在の天皇家にはそれ以上の言及ができません。それが日本人というものです。仮に万が一とんだ食わせ者だったと明らかになっても、彼ら皇族に向ける敬意だけは方向も強さも変えないようにするだろうとすら考えます。偽者でも、その地位に就いて我々の敬意を集めている以上、その責任は絶対にとってもらわなければ困ります。嫌でも本物になっていただき、本物に相応しい存在になっていただきたいと考えます。

>最近ある有名なサイトの社長から電話が来ました。一年以上電話に出ないようにしていたのですが、ふと思いました。よわい七十もすぎてなお愛国正義の情衰わすことなく、自身にも鞭打ち進まんとする心意気を思い出して、つい例の社長じゃないかとうすうすわかりながらも受話器をあげてしまいました。この会社の社長のような人士もいるというのに、いまの日本は臭いものに蓋をしたままです。あなたもですか。悲しい哉。

私は、壊した後の建設の方にどうしても目が向きます。ある場所から、圧倒的なヒーローが出てくるのでなければと信じています。醜聞は、たとえ悪魔のものであっても、それで悪魔を滅ぼすことができたとしても、取り立てて騒ぎ立てようなどとは、全く思いません。手に取る武器は常に、それ自体が善でなければ、どんなにいきんでも、本当の勝利にはならないからです。

>ファラオさんへ、あなたも秦氏なのでしょ。仁徳天皇も聖武天皇のことですよ。あなたの同族ですよ。三年間税免除し、大伴氏(秦氏)の金採掘により大規模公共事業で経世済民したのは鑑真を招聘した聖武天皇ことですよ。無秩序壊乱した世をたださんとしたのは仁徳天皇を別名とした聖武天皇ことです。私たちのご先祖様です。

はぐれメタルファラオさんにお任せします。

>碩学をおろそかにして古代史ではさきへ進むことなどできるわけがない。せっかくお勧めしたのに、飛鷹さんはこれからどこへ進むというのか。

以前予告した通りです。今やっていることに明確なケリをつけた後で必ず、お勧めの書物に向かうつもりでいます。何せ、普通の人の何倍も、読書に時間の掛かる私でございます。時間がかかっておりますが、約束を忘れたわけではありませんよ。むしろ、アルトさんからの影響はかなり受けているものと自覚していました。いずれにしても、人には定められた分というものがございます。気長におつきあいください。

>それではまた。

厳しいながらも熱心な、丁寧なコメント、本当にありがたく思います。今後ともよろしくお願いします。

引用以上。