飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

無視すべからざる他説をどのように遇すべきか

2013-04-24 01:18:19 | 日本論と宗教論
はぐれメタルファラオさんのコメントへの回答を記事として上げます。


以下引用。

>うちのブログは誰かに伝授されたもの(確信に満ちた記事が多いですね)ではなく、独自に象徴を解読したものなので、常識とは大きく異なっていると思います。

象徴とは、ある隠れた善なる者が、何らかの深い理由で公然とは人目に晒せない真実を、その単なる埋没を避けるために、聞く耳のある人がいつか現れるのを信じながら、解かれることを前提とした巧みな封印でもって包んで、この世の特定の場所に配置したものです。例えば自然は、神による神の現存在の象徴と見做すことができるわけです。はぐれメタルファラオさんがそのような封印を解く能力を持っている稀有な存在の一人なのは間違いないと思います。アイデアがどんどん出てくるのだから仕方がないといった感じではないですか?それで何処かの誰かが嫌な思いをしても、それは、はぐれメタルファラオさんのせいではなく、その者の自業自得なのですが、それでも恨みは買ってしまうのでしょう。私は大いに敬意を抱き、感謝もしております。防御のために、面倒臭くても、より厳密な表現だけはお心掛けになられたらいいかもと思うだけです。

>卑弥呼は実在せず、歴史が逆さま、200~500年のずれがある、など。

私は、これらのことが本当だろうか?本当だとしたら、周辺の関連分野にどんな影響を与えるのだろうか?本当じゃなくても、そのように考えることに何か意味があるのではないか?このように考えて、実際に多くの着想を得ることができましたよ。

>なので、事実はこうだといわれても、暖簾に腕押しかもしれませんね。

私は、そのようなサジェスチョンにも、今の自分がそれに反応する材料を持ち合わせず、直ぐには動き出せないとは感じても、ひょっとして長いこと忘れずに置いておいたら、それを根本的に処理できる時がくるかもしれないと考えてじっくりと構えるところがあります。無視している訳ではないので、誤解しないで欲しいと思います。今のところ、蘇我氏として知られている人達の本来の呼称が蘇我氏ではなく、この蘇我氏という呼称は平安時代の中頃になって、清少納言として知られる人物によって象徴として付けられたものだったという情報をはじめとする、幾つかの情報には、大きく反応させていただきました。ただ、これらの情報には多くの場合、実は松重楊江さんや小林恵子さんの書物もそうなのですが、文献上の呼称と実在との明確な分離がないまま無造作に表現されて提示される傾向があることは、ここで指摘しておかなくてはなりません。既に何かの事実を知っている方の表現力が必ずしも完璧になる必要はないのですから仕方がないことなのでしょう。ですから、受け手としてこちらが、学問上の最高レベルの技術を丁寧に駆使せざるを得ないのだろうと身構えるのです。読書のスピードも極端に遅くならざるを得ません。もし、私の苦闘振りを、私のブログでテーマとして取り上げさせていただいている氏族に属し、全てを常識として既に把握していらっしゃる方がご覧になったら、色んな思いを抱いて眺めていらっしゃることだろうと思います。私やはぐれメタルファラオさんの行っていることは、そのような方々の目も十分に意識された活動になっていなければならないのでしょうね。

>私が今注目しているのは忌部氏です。忌部氏である信長が暴君であり、キリシタンが日本を征服しようとしていたのを、秦氏が家康を使って阻止したと考えている人にとって、私のブログは異端以外の何物でもないでしょうね。

忌部氏と四国のことは、私もかなりの書物は読んだ方だと思いますが、何故かぽっかりと空白になってしまっている書物が多いですね。私の直感は、忌部氏と四国こそが古代史の最も重要なピースだと言っています。ところで、この間ある本を読んでいたら、一言主神についての記述には、天武天皇と天智天皇の隠された関係も同時に織り込まれていて、どうやら天智天皇は壬申の乱の間、人質として囚われ、土佐に幽閉されていたようだと書かれているのに遭遇しました。私のアンテナが珍しく、物凄い反応をしましたよ。はぐれメタルファラオさんに伝えたいと思うことがありますと以前申し上げたのは、このことです。忌部氏と四国には、絶対に何か、重要なことが隠されているはずです。

>ちなみに私は、現天皇家も支持しています。天皇家の身の回りの諸事を管理しているのは秦氏だと思いますが、雅子様や愛子様の苦難を見るにつけ、秦氏を信用していません。まあ、彼女たちの苦難を天罰と考える人がいるのも承知していますが。

ここでこの「秦氏」という表現に、面倒臭くても、細心の注意を払う必要があるのかもしれませんね。内外両面の危険を避けるためにです。複雑なものを単純な言葉で表現することはできないということです。

引用以上。