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加藤清正と熊本城 その2(宇土櫓・数奇屋丸など)

2010-01-06 22:08:32 | 熊本の歴史遺構を訪ねて

昨年末からシリーズものとして始めた“加藤清正と熊本城”。

今回はその2回目となります。

 

シリーズものとして記事を書き始めたところ、前回の取材では抜け落ちていたところが余りにもたくさんあったので、正月休み期間を利用して再び熊本城に取材に行ってきました。

正直、こんな大変な事になるとは思っていもいなかったです。

 

今回の取材は二の丸駐車場に車を停めて本丸に向かいました。

 

二の丸駐車場から見た本丸です。

駐車場には県外ナンバーの車やレンタカー、観光バスがたくさん来ていました。

それにしてもこの日は小雪が舞う程、凄く寒かったです。

 

 

前回ご紹介した西出丸の長塀と空堀。

 

 

前回の記事で訂正があります。

前回ご紹介した西追手門・・・実は南追手門でした。(勉強不足で済みません。

本物の西追手門はこちらです。

 

この西追手門をくぐると“頬当て御門”が見えてきます。

 

 

“頬当て御門”で入城料を払い、中に入ると本丸になります。

 

 

緩やかな坂を暫く歩き、石垣の角を曲がると目の前に天守閣がそびえています。

 

 

天守閣に下には“首掛け石”と呼ばれる大きな石が置いてあります。

“首掛け石”の由来については、長くなりますので下のURLを御参照下さい。

“首掛け石”の由来:http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?type=A&id=121

 

 

さて、この場所からはまだ天守閣には登れませんが、宇土櫓に登る事が出来ます。

宇土櫓は、明治時代の西南戦争や第二次世界大戦でも焼失を免れた、現存する築城以来の唯一の櫓です。従って、全国でも珍しい江戸期から残る櫓として国の重要文化財にも指定されています。

熊本城にお越しの際には、再建された天守閣よりもこちらの方を見学された方が、江戸期の城の雰囲気を味わう事が出来ると思いますよ。

 

 

もちろん、宇土櫓にも登ってきました。

まず櫓に続く長塀の内側を歩いてゆきます。

長塀には場外に向けて銃眼が設けられています。

中を覗くと先ほど“頬当て門”から天守閣まで上がってきた通路が見渡せました。

銃の射角を得るために外側(奥)が狭く、内側(手前)が広くなっています。

 

 

この銃眼を城外側から見るとこうなります。

 

 

櫓の中は暗くて狭い単なる古い木造家屋のような状態でした。

櫓はもともと見張り台の意味合いが強く、防御戦の拠点として作られているわけですからこれは仕方のないことです。ましてやこの宇土櫓は重要文化財ですから改造等が一切出来ないのでなおさらです。

 

ただ、随所に戦闘を想定した工夫や仕掛けがありました。

まず、廊下は完全武装した武者が走ってすれ違えるように十分な幅がとってあります。

廊下の外側の壁には、銃眼が付いています。

下に見えるのは前回の記事でご紹介した薩摩街道の道筋です。

恐らく、前回の記事でご紹介した薩摩藩参勤交代のエピソードの際にはこの銃眼からも火縄銃が薩摩藩兵に向けられたのでしょうね。

写真下に武者返しの石垣の下部が写っています。

こうしてみると武者返しの石垣がどれだけ反っているのかがお判りになると思います。

 

 

こちらは外側に向いた廊下の一部に設けられた石落としです。

石垣を登ってくる敵兵に向けてここから石や熱湯を落とすために設けられた場所です。

 

 

櫓自体は天守閣と違って小さな物ですから、上の階に登る階段はかなり急です。

 

 

宇土櫓の最上階からの眺めです。

天守閣が間近に見えました。

 

 

宇土櫓から二の丸を望みます。

眼下の道が薩摩街道。道路の向こうが西出丸。堀を挟んでその向こうが二の丸。遠くに見える野球場は県営藤崎台球場でここも熊本城の敷地内なんです。

 

 

同じく宇土櫓から“頬当て門”を望みます。

向こうに見える芝生の広場は“奉行丸”と呼ばれている所で、その昔奉行所が置かれていた場所なのだそうです。

 

 

宇土櫓を出て向かったのが“数奇屋丸”です。

この“数奇屋丸”は、城内の文化・遊興施設として建てられた物で、ここで来客の接待や茶会、能、歌会などが催されていたそうです。

 

 

この“数奇屋丸”は1989年に復元されたもので、現在、二階の大広間を見学する事が出来ます。

その大広間です。バレーボールコートが縦に二面取れる位の広さがありました。

 

 

上の写真の左手外に続く廊下です。

壁には明治初期の焼失前の熊本城や熊本市街の古写真が展示されています。

 

 

大広間の最も上座に当たる場所です。

上座・床の間の横には控え室が設けられていました。

殿様がここから現れていたのでしょうね。

 

 

さて、かなり長くなってきましたので続きは次回に譲りたいと思います。

次回は、いよいよ熊本城一番の見所“本丸御殿”と“飯田丸”をご紹介したいと思います。


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

きなこ [2010年1月8日 11:19]
こんにちは。
写真を拝見する限り、とても雄大な印象を受けるお城ですね。
近くにこういったところがあって歴史にふれるところができてよいですね。
それにしてもとても丁寧に詳細に記事にされていますね、すごいです。
このために取材まで・・・涙ぐましいです。

まめ八 [2010年1月8日 19:11]
きなこさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。
熊本城は面積98万平方メートル、周囲5.3㎞、天守閣の他に櫓が49、楼門18、城門が29あった江戸城、大阪城、名古屋城に並ぶ大きな城です。
近くに住んでいても、こうした機会がないとなかなか勉強する機会が無かったので今回の取材は郷土を知る意味でためになりました。o(^▽^)o

ところで、ちょっと気が付いたのですがひょっとして“きなこ”さんは、みんカラブログでyut666さんのお友達のキナコさんではありませんか?
(間違っていたら申し訳ありません。)
もしそうでしたら、遊びに行きたいと思いますのでお知らせいただければ嬉しいのですが。。。


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