songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

人がどれだけ批判しようが、偉人中の偉人、神様だよ 白鵬関は

2020-03-23 00:17:07 | Weblog
正直、感動の場所でした。大相撲春場所

【八角理事長の涙】
これだけの世界規模コロナ騒ぎの中、ぎりぎりまで「やるのか、やらないのか」の決断を迫られる。
未知のウイルスの脅威に、未来が見えないのは誰しもが同じ。やって大丈夫なのかどうか、誰にも分らない。
その中で、日本中の責任を負わされ、「やる」を決行した理事長。万一の事態になった時、辞任どころの責任では済まないことも分かっていたでしょう。後世にわたり、世界規模での犯罪者にされる可能性だってあったのです。

開催にあたり、理事長は放送を通したあいさつで、「相撲は神事」

「古来力士の四股は邪悪なものを土の下に押し込む力があると言われてきました。また横綱の土俵入りは五穀豊穣と世の中の平安を祈願するために行われてきました。」
「こういった大相撲の持つ力が、日本はもちろん、世界中の方々に勇気や感動を与え、世の中に平安を呼び戻すことができるよう」
この初日のあいさつですでに私は半分涙でした。スポーツの面でしか相撲を語らない人たちに何が分かる!と常々思っていたからです。宗教性についていちゃもんつけようと思えばいくらでもできるでしょう。でも、相撲の持つ宗教性を受け入れ、芸能性を享受できるとしたら、なんと幸せなことか。
理事長のあいさつで、それを少しは世間にアピールできたのではないかと思ったのです。

場所中、ピンチもありましたが、無事千秋楽まで終え、改めて放送を通じて発された理事長のあいさつ。
初め、読み上げようとしたときに、感極まったか声に詰まってしまった数秒間。思わず私ももらい泣きとともに、いかに猛烈な重圧と気配りの中で責任者としてい続けた15日間であったか、思い知ることとなりました。


【異例続きの中で、相撲のいろんな顔を知る】
無観客ということで、呼び出し、行事の声、弓取り式の時の音、力士の息遣いなどがよく聞こえてきました。迫力や細部が伝わってきて、勉強になりました。

特に千秋楽では、新序出世の力士たちのお披露目を見ることができたり、初めて見る「神送り」(はたから見ると行事さんを胴上げしているとしか見えない)を見られたりと、テレビでしか相撲を見られない私たちにとっては、よだれの出そうな美味しい場面を見させていただくことができました。こういう時にしか見られない、粋な計らいでしたね。


【横綱白鵬関は3度、協会を救った、しかし…】
先に、懸念したことを記します。
千秋楽の横綱相星決戦を制したのは、白鵬関でした。44回目の優勝。しかし気になったのは、控え席でした。

いつも熱戦を終えた後にインタビューが入るので、息が上がるのは当然なのですが、千秋楽の白鵬関の息の上がり方、そしていつまでたっても呼吸が回復しない様子は、初めて見ました。熱戦であったことは確かなのですが。

私には、非常に疲労が激しい、または体調が万全ではないように見受けられました。さすがの横綱も、屋台骨を支え続けて、横綱になってからでも13年。年齢で考えれば35歳。ちなみに大鵬も北の湖も30歳そこそこで引退しています。千代の富士でも35歳。
優勝したものの、ご本人はかなり厳しい状態であることを自覚していらっしゃるように感じます。

歴史に名を遺す大横綱ですが、今回の優勝で私はふとあることに気が付きました。

戦後(というか平成になって以来)、大相撲は何度か、開催そのものが危ぶまれた大ピンチな場所があり(そのうち1回は本当に中止になったのですが)、その、大ピンチな場所を納めてくれたのが、すべて白鵬関だったという事実です。

①平成22(2010)年名古屋場所
 私もブログで書いています。朝青竜の不祥事から引退、続いて大きな賭博騒ぎがあって大相撲が世間からの信頼をなくし、開催が中止か、と言われた場所。
 結局テレビ放送は一切なしということで行われた場所。
 この時の白鵬は絶頂期で63連勝に向かっている途中。こんな異常な事態の中、観客もまばらで優勝シーンも表彰式も放送されることなく、正直、「祝福されない全勝優勝」でした。なぜこの全盛期にこんな屈辱を味わわなければならないのか、という恨みに近いものがあったと思われます。しかしご本人はそういうことは一切語りませんでした。

②平成23(2011)年5月 「技量審査場所」
今度は八百長騒ぎです。その前の3月大阪場所は、戦後初めて「中止」となってしまいました。世間の信頼を回復するまで、ということで。引退、解雇の力士が続出しました。5月場所も、テレビ放送なし、そして、「天皇賜杯なし」の、技能審査場所として、ようやく行った異例、臨時の場所。
そして、この2場所、当時は騒がれたのですが、そののち語られることはあまりありませんでした。東日本大震災があったからです。
 日本中、大相撲どころではない雰囲気の時期でした。で、ひっそりと行われたこの場所を制したのは、やっぱり白鵬関。しかも、この時の優勝争い相手も、鶴竜関(当時関脇)でした。

こういう、「協会そのものの大ピンチの場所」を、「やはり横綱が締めて秩序を示さなければ」と、精一杯の責任を果たしたのが白鵬関。
③そしてコロナ騒ぎの今場所
初の無観客で行った場所を締めたのも、白鵬関でした。

何度日本の相撲界のピンチを救ったことか、白鵬関。しかし、既に相当お疲れのことは誰の目にも明らかです。
いろいろ取りざたされることもある横綱ですが、私は、国民がこの大横綱の偉業を、全く正当に評価していないとしか思えません。

【そして、大関に昇進しそうな朝乃山関】
本当はあと1勝ほしかったところで、保留の可能性もあったのですが…どうやらほぼ昇進は確実の模様。おめでとうございます。今場所が行われなかったら、あるいは、5月に好成績を残せていたかどうか、確率的に難しかったかもしれないのです。今場所が開催されたことで、チャンスがものにできたのかもしれません。(いや、強い力士ということは承知の上ですが)

いろんな意味で、深く印象に残る場所でした。最後まで開催できて、本当に良かった。

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