哀れなる検察 5/16
政権交代の真実とは
概ね1990年より2009年までの日本国の状態は、国家主権の実体は米国への貢ぐ君国家であり、誰のための国家であるかと言えば、一部の搾取者である「政官財、マスコミ」に日本国民の財産を差し出させ、国民を困窮させる事が仕事の「弱い者いじめ国家」でありました。
ところが2009年9月、日本国民は見事政権交代を果たし、国家主権の実体を米国の属国から日本国民へと取り戻し、国家繁栄の結果とし得られる果実を、一部の搾取者である「政官財、マスコミ」から日本国民に取り戻したかに思われました。
ところが、この政権交代に我慢出来なかったのが、此れ迄甘い汁を吸っていた「政官財、マスコミ」でした。
憤懣やるかたない、自民党と旧権力者は天下り権益を死守すべく検察権力を使って、政権交代を果たした民主党トップの冤罪に拠る失脚を図りました。
その先鉾を担ぎ、無知な国民の洗脳を任されたのがテレビ新聞等の大メディアでした。彼らは有りもしない嘘八百を並べて、見事政権交代を果たした民主党の支持率を僅かな期間で、何と四分の一まで激減させました。
哀れなのは検察なのかも知れない
所詮、警察権力、検察権力とは国家の安定を保持するための機関としての概念をその内部に包含せねばなりません。
ところが、政権交代を果たした新政権が、新秩序としての国家安定を保持するための機関として、官僚機構、警察権力、検察権力を新しく使いこなせ無ければ、旧権力者の逆襲に合う事は、ある意味では当然と言って良いでしょう。
現時点では検察は旧権力者の意向に沿って動いています。
検察は米国のしもべであり、日本国民の富の搾取者を守る法の番人である訳です。
ところが政権交代を果たした現在では検察は新政権を養護せねばならない立場にある訳です。
検察は米国のしもべである事をやめ、日本国民の守護神と為らねばなりません。
検察は日本国民の富の搾取者を守る法の番人である事をやめ、日本国民を守る法の番人と為らねばなりません。
板挟みと為ってしまった検察、一番哀れなのは検察なのかも知れません。