冠婚葬祭にも、フォーマルな装いにも欠かせない装飾品と言えば「真珠」である。
この真珠の養殖に成功したのが、ミキモトパール創始者である御木本幸吉でした。
1893年の本日(7月11日)、5個の半円真珠の養殖に成功し、その後研究を重ね1923年、
色・つや・形がまったくの天然真珠の真円真珠の養殖成功に至るのである。長い苦心
の末に成功した真珠は、ヨーロッパ・米国の市場に出回り、御木本真珠の名は世界に
広まることとなった。
御木本幸吉は、1858年三重県鳥羽の先祖代々うどん屋の家に生まれた。幼い頃より
寺子屋に通い、読み書きを習う勉強家であった。うどん屋の傍ら、野菜の行商・乾物
屋の商売を副業として、真珠の取引も始めたという。真珠は高価なため乱獲し絶滅の
危機に陥っていた。幸吉は、東京で開催された第三回内国勧業博覧会の時、真珠の養
殖技術を教わり、故郷に養殖場を造り実験を開始した。しかし、赤潮被害で真珠貝が
全滅したりして、周囲から嘲笑され続けたと言われている。
真珠を抱く貝の姿をイメージした時、ふと野球のグラブが頭に浮かんだ。野球のグ
ラブを使いやすく手になじませるためには、型を作る。私の息子が学童野球を始めた
頃、グラブの中にボールを収め、指の部分をゴムひも等で結んで置いておいたことを
思い出した。まさしくその時のグラブの姿は、真珠貝の姿に似ていた。
傷める貝にのみ真珠は宿ると言われている。体内に入った異物を核にして、真珠は
育つ。偉人・成功者と呼ばれた幸吉でさえ、過ちと後悔を核にして「痛み」の中から
成長を続けていったのであろう。生徒の皆さんも真珠が育つように、失敗経験をもと
に悔しさを乗り越え、何事に関しても歯をくいしばって自己向上に励んでほしいと思
っています。
昨日、給食委員会の生徒が、給食を作って下さる厨房の皆さんに、感謝の気持ちを
込めた手紙を渡しました。日頃から思っている「感謝の気持ち」を表現することは、
すばらしいことですね。微笑ましい光景をどうぞ。
【真珠貝(アコヤガイ)と真珠づくりの様子】
【御木本幸吉氏の写真】
【給食室の益子さんに、日頃の食に対して感謝の気持ちを渡します!】