部長室だより

部長室から日々の様子をお伝えいたします。

部長室だより~3年生校外活動~

2012-04-27 18:38:25 | 日記

 本日は雨の一日となりましたが、平成24年度中等部校外活動が実施されました。
1年生は東京ディズニーランド、2年生はひたち海浜公園、3年生は日光戦場ヶ原にて、
プチアドベンチャーグループ体験学習を実施してきました。私は、3年生と一緒に
戦場ヶ原・小田代ヶ原を歩ってきました。今日は、その様子を写真で配信します。

【3年生の校外学習の様子】
































部長室だより~交通講話~

2012-04-26 17:54:36 | 日記

 本日は、午前中の3時間を公開授業参観に、午後は各教室内で「学級懇談会」が
行われました。午後の時間は、小中体育館で全生徒対象の「交通講話」も行われ
ました。一般的な交通ルールやマナー等について、宇都宮中央警察署交通課の方
から、事例を挙げて丁寧に話していただきました。
 大人は、「子供の安全」については何よりも大事なことであるから、もしもの
ことがあったらと考えると、前もっていろいろと手を打っておかなくてはならない
と考えています。学校が事前策を怠って児童生徒が事故に遭えば、注意義務に反した
として咎めを受けなければなりません。だから、学校は次から次へと制限を加えて
いかざるおえなくなります。つまり、子供たちの安全をめぐって万全の措置を取る
ことは不可能に近いから、気づいたその都度、「禁止」「制限」を加えていくこと
になるのです。
 しかし、「万一」に備えるということは、日常を捨てることで、「万一」という
のは、非日常なのです。「万一に備える」ということは、万に一つの例外的非日常
のために、日常を犠牲にすることに他なりません。子供の安全を第一に考えるという
ことで、実は子供の「危険予知力」「危険回避力」「冒険心」等を損なっていると
したら、大変なことになってしまいます。
 本物の安全教育というものは、危険要素を完全に除去するものではありません。
児童生徒自身に、安全に対する心構え、身構えを形成することにあると思っています。
子供たちの側から、自らを禁止に導く自律の心を育てていかなければなりません。
今日の講話が、そのきっかけになってもらえればありがたいと考えています。

【交通講話の風景~於小中体育館~】









【公開授業参観風景】






部長室だより~春の校外学習(ディズニーランド)について~

2012-04-25 09:22:59 | 日記

 中等部の1年生は、入学して最初の校外学習として、毎年東京ディズニーランド
に出かけています。総合レジャーランドとして世界で最も有名なディズニーランド
が、日本の東京(実は千葉県浦安市)に出来たのは、私が大学生の時であった。
新しいアトラクションができると興味津々で出かけてきたので、私にとっては魅力
的な場所の一つとなっています。
 このディズニーランドを作ったのが、アメリカのウォルト・ディズニーである。
ウォルトの曽祖父は、アイルランド出身で、1845年に起きたジャガイモ飢饉の折に、
北アメリカ大陸に移住したのだという。約100万人が餓死で死亡し、約80万人の人々
が移住を余儀なくされた。この飢饉のために、ウォルトの曽祖父などと同様に、後の
第35代大統領になるジョン=F=ケネディーの曽祖父もアメリカに移住した。彼ら貧しい
アイルランド系移民は、アメリカの地で「ミッキー」と馬鹿にされて呼ばれていた。
「ミッキー」という呼び名は、アイルランド人に多い名前である「マイケル」の愛称
であった。その後、貧しさと屈辱に耐えながら、ディズニー一家を含めた多くの
アイルランド系移民たちは、アメリカ社会に同化しながら社会的地位を築いていった
という。
 ウォルト・ディズニーは、1930年代に取り組んだアニメーション番組で、主人公で
あるネズミのキャラクター名に、これまでアメリカ社会で馬鹿にされ続けてきたアイル
ランド系移民の愛称「ミッキー」を選んだ。夢のファンタジ―世界の主人公「ミッキー
マウス」の誕生であった。今、全世界のディズニーランドで最も人気が高く、愛されて
いる「ミッキーマウス」は、アイルランド系移民の夢の象徴でもあるのですね。

【東京ディズニーランドにおける校外学習風景(平成23年度)】







【ミッキーマウスのキーホルダー(お土産品)


部長室だより~朝読書~

2012-04-24 09:56:09 | 日記

 読書離れが指摘されて久しい。作新中等部では、朝読書の時間としてHR前の
10分間を使って自分の好きな本を持参して読んでいる。朝少しの集中で脳は活性化
する。
 一般的に、読書習慣は高校・大学と進むにつれ萎む傾向があると言われている。
しかし、私自身を振り返ってみると、この一般論に逆行して、大学に進学してから
読書が本格化したように思う。私が進学先として文学部を選択したからではないが、
様々な書物のジャンルの中で、文学書が端正で深みのある日本語の基礎を形づくった
という点で、近代文学は身につけなければならない教育資産であると考えている。
文学は、人間形成にも社会というものを知るためにも、必須の教養源と近代日本国家
が意識したからこそ、大学に文学部が設置されたのではないかと思う。
 私の高校時代で印象的な国語の授業の一つに、授業最初に担当教員が自分自身で
読んで感動した明治・大正・昭和の作家名とその作品を紹介し、内容の感想を語る
というものがあった。教科書の内容から離れて、自分の感性で触れて良かった本の
魅力を教師が熱心に語ったため、私自身、書店や図書館に行った時、紹介された本
のタイトルを見つけると親しみを感じ、一応手に取ったのを覚えている。そのうち、
本にあまり興味がなかった私が、書店に入り文庫本の棚に吸い寄せられていくはめに
なったのである。私に「本を手に取るきっかけ」を作ってくれたあの国語の授業は、
優れていたのだと思っている。
 読書習慣の養成に、教師個人の人格的影響が大きいことはいうまでもない事実である。
中等部の生徒が、高校生になっても「本を手に取る生徒」でいてもらえるように、
中学生時代の知的好奇心が旺盛な時期に、私たち教師が授業にひと工夫加える努力を
続けていくことが大切だと、つくづく感じている。

【朝読書の風景】







【1階アクティブホールにある、教員から生徒に紹介したい本の木】



部長室だより~清掃風景~

2012-04-23 09:40:30 | 日記

 新年度が始まって2週間が過ぎ、中等部1年生も学校生活に慣れてきました。
特に、小学校時代と違い、言われたからやるのではなく自主的に清掃に取り組む
姿が散見され、中学生としての自覚が伝わってきて、とても嬉しい気持になりま
した。
 私は、清掃監督の教員が側についていない状況でも、生徒一人ひとりが自主的に
「目に見えない相手への配慮の気持ち」をもって、清掃に取り組んでほしいと願って
いました。1年生のトイレ清掃風景を見て、現代社会の様々な場面で目立つ「目に
見えない相手への無関心・無関係という意識」が感じられないことに安堵感を覚えた。
 他人との関わり、コミュニケーションは相手を思いやることから始まります。私は
自分の周りにいる目に見えている人にも、見えていない人に対しても、想像力を働かせ、
もっと相手の立場で物事を考えられる姿勢を、私たちは常日頃から持てるように心がけ
るべきだと思っています。
 たぶん、校舎1階アクティブ・ホールに置かれているロダン作『考える人』の彫像も
同じことを考えているのでしょう・・・・・

【清掃風景】







【ロダン作『考える人』像】