人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

直に合いまみえる

2022-03-28 10:06:31 | 現臨、ハタラキ
“生きるとはどういうことなんだろう?
生、生命...私は本当にそのものに合っているのだろうか?
関わっているのだろうか?、触れているのだろうか?
窓越しに眺めているだけなのではないのか?
直に触れているという感じがしない...
いや、触れているとしても...
ガラス細工で出来ているみたいで、確かな手応えというものが伝わってこない...
本当にそれで、私が生きているということでいいのだろうか?...”

生きるとは?...と、頭で意味を追及して行っても中々全的に頷ける答えは得られないでしょう。
そうやって、考えている自分のままでは、どこまでも何か周りのすべてが透明な壁で隔てられて、ベールで覆われているような感じがつきまとってしまうのではないでしょうか?
そのように、思考によって壁が作られ、ベールがかけられていると言ってもいいでしょう。
生きること、生そのもの...それは全く、これ以上ないほど自己に直接関わる、直結したことであるはずです。
ここでは、神に出会うこととか、精神的目覚めのことなど、言い方はどうあれ、そういうことには触れませんが、それらはその、壁が取り払われ、ベールが剝がされた意識状態...周りのものそのまんまが直に自己と関わり、交わるような状態になっていることに他なりません。
言い方を変えれば、それはそのまんまの自己に会うということであり、それが又神に出会うということになるでしょう。
神的なものがこちらに臨んでこなければ、そういう世界が開かれるということは無いのだから...
この現実に臨むもの...現臨。
このもの無くしては...”考えるのをやめたらいいのです!“とか、“直に対象と向き合えばいいのです!”、といった出来もしない実践の教えや、何処にも行き着かないような哲学的抽象論など、空しい言葉が取り交わされるばかりでしょう。

“生きるとはどういうことなんだろう?”...
そういう実存的疑問が起こったならば、ヒマ人の抽象論などにしないで、本当にそのことを尋ねたい人に訊いてみたらいいでしょう。
あなたは、”そのものに直に触れたい!、合いまみえたい!、と言っているのでしょう?
偽りのない、真っ直ぐなあなたに向き合って下さい!
あなたの本当の尋ね人は、すぐ近くであなたをを待っているのが感じられないでしょうか?
真っ直ぐな心で尋ねてみたらいいでしょう。
”あなたは何処におられるのですか?“...と。
問うているものと、答えるものとは全く薄い壁で隔てられているだけではないのか?
突破は時間の問題でしょう?
その壁は本来無いもの...かもしれない...
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