空の境地になろうと祈る、悟りを開くために祈るという者が居る。
そんなものが祈りである訳がない!
それは、自力修行と祈りの区別が、自分の思い、力とそれを超えたものの区別がつかないということ。
そんな中途半端なことを何年、何十年続けて何になるだろうか?
神に意識が向けられない祈りなど!...
あるいは、神と一つになるために祈る?
そのために空になろうとする?
何十回も繰り返し、何時間でも...行に精を出し続けて!
おツカレさんなだけではないか?
神はずっと意識の外に置かれたまま...
それで思いが消えて空になったとしても、神はそこに臨むだろうか?
ただ、普通の人間の機能を失い、ふにゃふにゃな人間になるだけではないだろうか?
最初に神が在る...
自分の思いより先に....祈りはそこからしか始められない!
神に心が開かれる...おのずとそうならざるを得ない!
勿論、神が何かは分からないし、神がこちらにハタラキかけるということも最初は分からないだろう...
自分の思いから離れることも中々無いかもしれない...
出来ない!...
出来なくていい!...出来ないのが当たり前ではないか?
自分の思い、力には見切りがつけられているのだから!
そこに祈りが、神にゆだねる、ゆだねざるを得ないということがある。
分からないままに...分からない故に!
空になるとか、悟るとかのことはどうでもいい!
為そう、得よう、達しよう!...自分の思い、力に意識は向けられない。
何も為し得ない!
そうしようと思わなくても、おのずと思いは後退してゆく...超えられる!
神に在って!
自分で空になることなど問題にならないではないか?!
私は退き、あの御方が顕わになる。
一コの私は、すべての私に場所を明け渡される。
それでいい!...個なる私のことはどうでもいい!
わが主の臨在するところ、こちらが求めるまでもなく、そうならざるを得ない!
そこに愛、平安があるから!...
そんなものが祈りである訳がない!
それは、自力修行と祈りの区別が、自分の思い、力とそれを超えたものの区別がつかないということ。
そんな中途半端なことを何年、何十年続けて何になるだろうか?
神に意識が向けられない祈りなど!...
あるいは、神と一つになるために祈る?
そのために空になろうとする?
何十回も繰り返し、何時間でも...行に精を出し続けて!
おツカレさんなだけではないか?
神はずっと意識の外に置かれたまま...
それで思いが消えて空になったとしても、神はそこに臨むだろうか?
ただ、普通の人間の機能を失い、ふにゃふにゃな人間になるだけではないだろうか?
最初に神が在る...
自分の思いより先に....祈りはそこからしか始められない!
神に心が開かれる...おのずとそうならざるを得ない!
勿論、神が何かは分からないし、神がこちらにハタラキかけるということも最初は分からないだろう...
自分の思いから離れることも中々無いかもしれない...
出来ない!...
出来なくていい!...出来ないのが当たり前ではないか?
自分の思い、力には見切りがつけられているのだから!
そこに祈りが、神にゆだねる、ゆだねざるを得ないということがある。
分からないままに...分からない故に!
空になるとか、悟るとかのことはどうでもいい!
為そう、得よう、達しよう!...自分の思い、力に意識は向けられない。
何も為し得ない!
そうしようと思わなくても、おのずと思いは後退してゆく...超えられる!
神に在って!
自分で空になることなど問題にならないではないか?!
私は退き、あの御方が顕わになる。
一コの私は、すべての私に場所を明け渡される。
それでいい!...個なる私のことはどうでもいい!
わが主の臨在するところ、こちらが求めるまでもなく、そうならざるを得ない!
そこに愛、平安があるから!...
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