私は数十年前、"人生の裏側"に入り込み、普遍世界というものを垣間見たのでした。
この普遍性というのは、毎度の事ながら言葉に言い表せないものなのですが、一個の自分がそれだけで成っているのでなく、どこまでも普ねく、遮るものなく、生き通っているような感じのことを伝えているのです。
それは、あたかもここでこちらが発信したことが、あちらに直ちに、光通信のように伝わってしまうようなことです。
何故、こういうこの世の在り方でないような事が可能なのか? そうですね...おそらく元々彼此を隔てるものが無く、つながり合っているからでしょうね。
しかし、これはあくまである種の変性意識状態の中で示された訳で、現実世界に置き換えられた場でのことで無かったのは言うまでもありません。
ただ、私はそこである強い直観を受けていたのは確かなことです。"この私の内なる世界で実感されたことは、現実世界に移って来るのではあるまいか?" 何の確証も無いことだったのですが...
もう、お分かり頂けただろうか?
今日の世界で我々が目にしているのは、私がその時垣間見せられた世界のある、"見える形"での側面に一歩一歩近づいて来ているプロセスではあるまいか?ということなのです。
おそらくこのネット社会を猛烈に促進しているかもしれない闇の力?は、彼の世界のある部分を映し出しているように思えてならないのです。
とはいえ、どうしても私にはあの世界が完全に見える形で実現してしまうようには感じられません。
それが出来上がったとしても、あの信じ難いリアリティに比べたらハリボテ以上のものにはならないだろう...と。
そして...我々が待ち望んだ普遍世界の実現とは?...
驚異のサイレント映画「メトロポリス」や最近の(でもないが)名画「ブレードランナー」で描かれたようなロボットやアンドロイドが支配する、天国とは似ても似付かない、おぞましい超管理社会なのかもしれない...
私が上述したように感じてしまうのには、じっつに大きな理由があるのですi
この見える形での"天国移写計画"には、ある決定的なもの、それ無くして成り立たないあるものが"見えてこない"のですi
それは...神的なあるもののことです。
それを欠いたら、内実を欠いたヴァーチャルなもの、映画のセットみたいなものでしかないではないか?
おおよそこには生き生きとした愛も平安も感じられません。どこまでも無機質な機械的肌触りしか伝わってこないのです。
それでも、このプロセスは実現へ向けて促進し続けられる...着々とその舞台は整えられる...
それはこの世の王の支配する地上王国建設の野望なのか?、それともそれは我々人類の総意なのか?
闇の政府のようなものは、多分実在しているでしょう。彼らはしかし、ある意味で我々の意志を代行しているだけなのかもしれないし、あるいは我々の意志が彼らに反映されているのかもしれません。(我々の夢のある部分を実現させているのは確かなことです)
どっち道我々の未来は、我々一人一人の意志に懸かっているとは言えないでしょうか?
神的なものが有るか、無いかは安易な陰謀論やオカルト思考、依存的信仰などからは見えてきません(こうしたものにこそ陰謀の何たるかが見えてくるではないかi)。
明晰な主体的意識の在り方、自己信頼から開かれてくるでしょう。
我々の未来に目の当たりにするのは、普遍世界なのか、それともおぞましき"アリ塚"なのか?
日月神示にあるイシヤの役目とは、見える世界と見えない世界に横たわる、善と悪、真偽の二道を映し出すことにあったのかもしれません。
"信じる、信じないはあなた次第ですi"
この普遍性というのは、毎度の事ながら言葉に言い表せないものなのですが、一個の自分がそれだけで成っているのでなく、どこまでも普ねく、遮るものなく、生き通っているような感じのことを伝えているのです。
それは、あたかもここでこちらが発信したことが、あちらに直ちに、光通信のように伝わってしまうようなことです。
何故、こういうこの世の在り方でないような事が可能なのか? そうですね...おそらく元々彼此を隔てるものが無く、つながり合っているからでしょうね。
しかし、これはあくまである種の変性意識状態の中で示された訳で、現実世界に置き換えられた場でのことで無かったのは言うまでもありません。
ただ、私はそこである強い直観を受けていたのは確かなことです。"この私の内なる世界で実感されたことは、現実世界に移って来るのではあるまいか?" 何の確証も無いことだったのですが...
もう、お分かり頂けただろうか?
今日の世界で我々が目にしているのは、私がその時垣間見せられた世界のある、"見える形"での側面に一歩一歩近づいて来ているプロセスではあるまいか?ということなのです。
おそらくこのネット社会を猛烈に促進しているかもしれない闇の力?は、彼の世界のある部分を映し出しているように思えてならないのです。
とはいえ、どうしても私にはあの世界が完全に見える形で実現してしまうようには感じられません。
それが出来上がったとしても、あの信じ難いリアリティに比べたらハリボテ以上のものにはならないだろう...と。
そして...我々が待ち望んだ普遍世界の実現とは?...
驚異のサイレント映画「メトロポリス」や最近の(でもないが)名画「ブレードランナー」で描かれたようなロボットやアンドロイドが支配する、天国とは似ても似付かない、おぞましい超管理社会なのかもしれない...
私が上述したように感じてしまうのには、じっつに大きな理由があるのですi
この見える形での"天国移写計画"には、ある決定的なもの、それ無くして成り立たないあるものが"見えてこない"のですi
それは...神的なあるもののことです。
それを欠いたら、内実を欠いたヴァーチャルなもの、映画のセットみたいなものでしかないではないか?
おおよそこには生き生きとした愛も平安も感じられません。どこまでも無機質な機械的肌触りしか伝わってこないのです。
それでも、このプロセスは実現へ向けて促進し続けられる...着々とその舞台は整えられる...
それはこの世の王の支配する地上王国建設の野望なのか?、それともそれは我々人類の総意なのか?
闇の政府のようなものは、多分実在しているでしょう。彼らはしかし、ある意味で我々の意志を代行しているだけなのかもしれないし、あるいは我々の意志が彼らに反映されているのかもしれません。(我々の夢のある部分を実現させているのは確かなことです)
どっち道我々の未来は、我々一人一人の意志に懸かっているとは言えないでしょうか?
神的なものが有るか、無いかは安易な陰謀論やオカルト思考、依存的信仰などからは見えてきません(こうしたものにこそ陰謀の何たるかが見えてくるではないかi)。
明晰な主体的意識の在り方、自己信頼から開かれてくるでしょう。
我々の未来に目の当たりにするのは、普遍世界なのか、それともおぞましき"アリ塚"なのか?
日月神示にあるイシヤの役目とは、見える世界と見えない世界に横たわる、善と悪、真偽の二道を映し出すことにあったのかもしれません。
"信じる、信じないはあなた次第ですi"