人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

ある二重人格者のたわごと②

2018-06-23 11:31:23 | 独語
僕は二重人格者...
僕の中にはいつも光と闇、善と悪とがせめぎあっている
とても光一元、真、善、美ばかりを描いている訳には行かない
その対極に有るものを浮き彫りにせずにはおれない
思いを超えた、愛、平安、調和をもたらすものが顕現してくる...
しかし、今この世界に否応無しに見させられている現実はどうなのか
現実にハッキリ表れているのは、対極の、別のものではないのかi
"お前はどうなんだ...一切の誤魔化しを排して、お前自身の中に渦巻いているものを直視してみよi"
ネットに目をやる...おバカな、ズレた記事を目にすると批判精神がもたげてきてウズウズしてくる...
しかし、あからさまな批判は、どんな因縁、業をひっかぶることになるかしれない...
僕には「エンライトさん」や「さくらさん」のような覚悟が無い
だから...遠回しに隠れたところで呟くに限るんだ...(卑怯だろう?)

"この教えが唯一無二のもの...他の教えはアブナイ"
"ほとんどの宗教はフリーメーソンの手にゆだねられており、OO先生の道だけがそれから免れている..."
フハハハハ...完全にカルト脳に陥っているではないか、もう手の施しようがないi
何々、この御仁たかだか4、50ページばかし、書物のような装いの記事をブログにUPしただけなのに、一冊本を書いたつもりになってやがる...僕は100P以上ある本しか読んだことないが...勿論、公の、第三者の厳粛なる批評を通している訳(通る訳無いが)じゃない...なんというノボセ頭だろう...精々、隔離病棟で好き勝手に宣っていたらいいだろう...
よおし、ここいらで思いっきり差をつけてやろうか...
この御仁と僕は40年くらい前、ともにOO先生との縁で宗教的な道に導かれた
僕は(たったの)一年ぐらいで盲信、妄信の愚かさに気付かされ、そして宗教を超えた見えざる領域に導かれたのだ
ところがこの御仁ときたらどうだろう...あれが40年もの学び、信仰、修行の成果だというのか...いや、未だにどこに導かれるとも知れない道に、ズレまくりながら邁進し続けているのだi
何と哀れな、コッケイなことかi 無知蒙昧、無教養、短絡思考...
要するに...子どもじみてる、救いようが無いくらい幼稚だってことだ...

しかし...僕は知っている...
子どもみたいな人間がもっとも天国に近い人間だということが...
余計な思惑が離れたら、直ちにそういう人間が天国の住人になるだろう...
そして、天国の門が開くのに遅いとか早いとかは無い
僕にはもう、余計な知恵、狡猾さが身に錆び付いちまって離れそうにない...
気付きだとか、覚醒体験がどーたら、こーたらだとi
それは地獄行き必定の人間に救いの手が及んだ...ただそれだけのことだ
何かを目指して到達したとか、何かを得たというものは何も無い
自分が何かをやった、自分の何かがそれをもたらした、という思いが抜けない限り天国の門は開かれないのだ...
ホントに無知蒙昧なのは僕なのだ...

空はどんより...今日も悲しい雨になるのだろうか...
朝のファミレスのモーニング
ああ...自分の中の相反する二つのもののせめぎあいでどうにかなりそう...
ふと...オルゴール音楽に自ずと耳が吸い込まれる...

世界中にオルゴール音楽が流れれば、きっと世界中から戦争が無くなるだろう...
コメント
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