カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

風船のように軽い言葉

2015-08-21 12:55:21 | 人声人語
 先日サッカー観戦にいったら、スタンドの応援用にチームカラーの風船をくれた。

 しばらくすれば縮んだりパンクしたりするのが普通だが、車の中に忘れて数週間も経つのにちょっと小振りになった程度で随分長持ちしていた。

 先日知り合いの子供にあげようとしたら、風に流されてしまって親子で楽しそうに追いかけていた。

 風船は、名の通り風にのって漂う船であって軽いのだ。

 ところがこの頃は軽いのは風船だけではなくて、言葉も無造作に使われ、風船並みに軽いなと思う事が多い。

 

 今朝の新聞を見ていたら、「教訓刻み復興誓う」という見出しの記事があった。

 住宅地での土砂災害1周年の記事で、被災地域の多くが「土砂災害警戒区域」に未指定であった、とある。

 教訓は「警戒区域未指定」なの?

 担当の省庁は指定区域を大幅に増やしたとある。

 おやおやと読み進むうち、追悼式典での言葉に「この災害を胸に刻み、災害時の危機管理体制を強化する」と復興への決意を述べた、とある。

 危機管理体制の不備が、原因なの?

 危機管理体制を強化するとこの種の災害は減少するのか、ましてや復興に役立つことになるのか?

 危機管理体制とは、事が起こった後の非常事態に際してとられる情報収集・分析・連絡調整・指揮統制など事後の処置を有機的に行うシステムのことだと思う。

 もしこうした災害を未然に防ぐ、あるいはその程度を局限するためには何が必要だったかを考え今後に生かすことこそが教訓ではないのか。

 そうすれば、無謀な宅地造成を許可することも、地震の対応や消火活動が困難な超高層ビルの乱立・地下の乱開発など、野放図な都市の建設など自ずから抑制されて然るべきではないのか。

 「この種の災害は想定外でした」と言って済ませているのが今の日本の危機管理の現状であ。

 それはそれで無理もない話であって、危機管理が機能するのはせいぜい2次災害の局限くらいなのである。

 少なくとも暴風雨・地震・津波・火山災害など天災に類するものに対する1次災害への備えは最大限に考慮されるべきで、基本的に責任の取れないものは作ってはならないし、許可してはならない。

 経済的メリットを持ち出す政治家や役人・経済界の人も多いが、水俣・福島原発などを挙げるまでもなく、全国の乱開発によって起きた災害の責任がはっきり処断されて教訓として生かされているとはとても思えない。

 とかくこの頃は、言葉の軽さが目立つ。

 子供の手を離れた風船は親子によって捕らえられたが、政治家の言葉は消耗品に成り下がり、捕らえようもない。

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コメント
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