カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

スクラップをスクラップにするぞ

2014-11-12 10:40:46 | 日常あれこれ
 旅行などで数日留守にするときには、新聞販売店に連絡して配達を停めてもらうことにしている。
 新聞受けが満杯になったり、雨などで濡れたり他の郵便物等が入らなくなったりするのを防止するためである。
 ただ、記事によってはスクラップで保管していると言うと、親切に帰宅するまでの新聞を保管してくれ、帰宅日にまとめて配達してある。
 スクラップの話をしたら、これまたスクラップブックを2冊サービスしてくれた。
 
 私は政治・経済・社会・文芸・自然など自分流に分類して新聞の切り抜きを貼り付けてきた。
 
 (大版のスクラップブック)
 
 (他の目的で作られた冊子などを利用してコラムなどを貼り付けたもの)
 ところがここにきて、断捨離なる思想が我が家に充満し始めた。
 最近は、新たな疑問も湧いてきた。
 後になって何らかの参考にするためのスクラップが、利用される場面が果たして有るや無しやということだ。
 毎日の新聞情報、インターネットやテレビに溢れる情報、これらを見聞するだけで大変なのに、切り抜いて貼り付ける作業の繁雑さはいったい何だ・・・と。
 検索も容易でないスクラップは本当にスクラップにすべきではないかと思うに至った。
 おまけに政治などに関して昔のものを見てみると殆ど今と同じような問題で騒ぎ、解決しないまま先送りして更に問題を大きくして騒いでいるという按配で、スクラップにする価値はないことが判明した。
 そこで「一面のコラム」と「季節の句」だけを継続し他はやめた。
 ただ県下に存在する「山野草」と「仏像」の連載切り抜きだけはそのまま保存することにした。
 これでスクラップの保管量は、ほぼ5分の1~6分の1くらいになってスッキリした。

 目的と手段を取り違えてしまう弊害に陥っていたのだ。
 やがて活用することを目的にスクラップしていたのにその行為そのものが主役になっていた。
 
 サッカーを見ていて、常日頃感じることだが、目標はゴールを奪うことなのに優雅なパス回しばかり追求しているうちに、ゴールの前でシュートチャンスを放棄してパスを繋いでしまう日本サッカー・・・。
 あれと同じだな・・・笑えないな。

 じゃ反省の一句を。
 「スクラップ活用もせずスクラップ」
 ついでにもう一丁。
 「処分してスッキリしたぞスクラップ」
 おそまつさま・・・。

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コメント
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