三国時代の蜀の諸葛亮が魏攻略のため北伐を開始した際に、主力軍を馬謖に預け街亭に布陣させた。この時諸葛亮は、馬謖に山麓で陣を構えるように指示したが、馬謖は、己の才能をひけらかしたいが為に不用な計略を用い、諸葛亮の指示を守らず、街亭の山上に布陣し、蜀の大敗の原因を作ってしまった。諸葛亮は大敗の原因を作った馬謖を処罰しなければ兵の志気に関わるが、才能溢れる馬謖を何とか助けたいと悩んだ。しかし、馬謖は開き直ってしまった。
そこで諸葛亮はやむなく馬謖を処刑することにした。
諸葛亮は、馬謖の処刑前日は泣きはらし馬謖の才能を惜しみしつつ処刑した。
このことから、組織全体の為に信頼している有能な部下をやむなく犠牲にすることを意味する言葉となった。