太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

絵に描いた餅のモノレール

2020-11-20 11:57:43 | 日記
2020年といえば、ハワイにモノレールができているはずの年。
苦節数十年。
作る、作らない、できる、できない、花弁占いのような歳月を経て、
ようやく高架のレールが建設されることになったのが何年前だったか。
当初の予算を毎年オーバーしながらも、
数年前には日本製の車体も買って、準備万端のはずが、ここにきて

あと10年以上かかる

と来たもんだ。
しかも、何十億ドルも足りないというオマケつき。

モノレールができても、私の生活にはなんら関係がない。
ラッシュ時の交通渋滞がひどい地域とホノルルを結ぶだけのモノレールは、当初は空港を通らない計画で、
空港を通らないモノレールなんてなんの意味もないではないか、という抗議が殺到。
確かに、空港から出ている路線バスにはスーツケースは乗せられないので
タクシーなどを使うしかない。
モノレールがあれば、それで街まで行ける。
モノレールがスーツケース禁止になったらダメだけどね。
ハワイなら、やりかねないけどね。
ま、私の住む村をかすりもしないモノレールじゃ、空港に駅があっても関係ないけどね。


ハワイには、電車がない。
電車がないから、駅というものがない。
昔、子供に日本語を教えていたとき、その子は「駅」を知らなかった。
ハワイの外に出たことがなければ、駅を見たこともないのだ。
私の生活には関係のないモノレールだけれど、完成したら是非乗ってみたいと思う。
ハワイの駅、というのにも興味があるし、
私のような者からも、モノレールにための税金がしっかり抜かれているのだ。
乗る権利は絶対にある。


新聞によれば、完成は2032年らしい。
それも延期だろうけど。

「どうせ完成したって、しょっちゅうあちこち具合が悪くなったり、時刻だってマチマチにに決まってるよ」

という夫の意見にも、うなずいてしまう。


絵に描いた餅。
私の目の黒いうちにその姿を見られるかどうか。
実現する気がまったくしない、ハワイのモノレールなのである。









4か月ぶり

2020-11-20 08:35:16 | 日記
ロックダウンしたり解除したり、またロックダウンしたり、
なんてことをしていると、美容院へもなかなか行けやしない。
前髪を素人芸で切るのにも慣れた。
前回、美容院に行ったのが7月で、そのとき髪をだいぶ短めに切ったので長さはいいけど、
そろそろパーマでもかけておこうと思って出かけた。

私が行く美容院は日本人のスタッフで、
ワイキキのはずれのイリカイホテルの中にある。
私が住む村には、日本人スタッフの美容院などない。
美容師はどうしても日本人がいいし、私がこだわるエアーウェーブというパーマは、
たぶんハワイではそこしかない。


4か月ぶりに、ヨットハーバーの駐車場に車を停めたら、料金を支払う機械がない。
機械があった場所に、機械だけが取り外されている。

わからないことは、考えないで人に聞く。

これは日本でもハワイでも、私の鉄則。

道路わきにポリスカーが2台止まっていたので、聞いてみることにする。
窓を叩くと、映画「マトリックス」のモーフィアスみたいな人が、5センチぐらい窓を下ろした。

私「どこで駐車料金払うか知ってます?」

モーフィアス「どういうこと?」

私「料金払う機械がなくなってるんですよね」

すると、運転席にいたビヨンセみたいな女性ポリスが言う。

ビヨンセ「じゃ、きっと無料なのよ、私も知らなかったけどさー、よかったわね」

私「そっか、じゃあ私ラッキーだ」

モーフィアス「そーゆーこと、みーんなラッキーだ、やったね!」


イリカイホテルも、隣のヒルトンも営業していない。
ラグーンには人っ子一人いないし、イリカイホテルの中も火が消えたよう。
イリカイはキッチンを改装しているとかで、レストランも閉まっている。



パーマをかけて、髪の先が鎖骨に届くぐらいの長さは、ハワイに来て1番短いかもしれない。
髪をまとめられる長さがあれば、このぐらいのほうが楽だ。
いつか、思い切りショートにしようと思いつつ、

「おばあさんカットはちょっと・・・」

という夫の懇願に、踏み出せないでいる。
今までの人生では、ショートヘアでいた時代の方が長い。
こう見えても、私は案外ショートが似合うんだけどな・・・
ショートヘアは美容院にもこまめに行かねばならないし、手間はかかるんだけど。



私の髪はパーマの持ちが非常によくて、時々切りつつ1年近くはもつ。
なんてお得なんだ。
髪を切ると、古いエネルギーをリセットしたようにすっきりする。



コレを好きな人はいないと思う

2020-11-18 08:24:01 | 日記
ものごとを深く考えずに行動する性格のために、
自分の不器用さ、おおざっぱさを忘れてこんなものを買ってしまった。



『作る喜び・・・贈る幸せ・・・つかう楽しさ』

と書いてあるが、私の場合

『作る苦しみ・・・贈る図々しさ・・・つかう切なさ』

ヨレヨレの第1号を、私は夫にプレゼントした。



肩をバリバリにしながら、ようやく1個だけ作った翌日、なんと私はさらに2個作った。
これはすごい。
とてもお見せできるようなものではないけど、第1号も載せたことだし、お見せしてしまう。

尻尾の向きが反対だ・・

なんかモハモハしてる

出来栄えはともかく、何かを創作するのは頭がすっきりする。(肩は凝る)
普段はコラージュばかりやっているから、たまには違うことをするのもいい。



ガレージで目打ちを探していたら、義父がこれを持ってきた。



歯医者で使う、アレ。
義父は5年前にリタイアしているが、いくつか小道具は手元にあるらしい。
コレを見て、平常心でいられる人は少ないと思う。
いくつになっても歯医者は気が進まない場所だ。





それでも自己過信過剰な私

2020-11-17 10:12:27 | 日記
画材や及び雑貨やの、40%OFFクーポンがあった。
かねてから、大きなスケッチブックが欲しかったのでちょうどいい。
目当てのスケッチブックを買い、レジに行く途中で呼ばれた気がした。

ねこちゃん根付キット

日本製。

ちりめんの生地でできている。
一目で気に入った。
「かーんたんじゃん!できるできる」
ちゃちゃっと作って、夫用と自分用と、黒猫を飼っている姉と、残りは誰かにあげよう。
クーポンは1点のみ使える。
1600円ぐらいで、スケッチブックより少しだけ高かったので、これにクーポンを使った。


翌日、さっそく作り始めたのはいいが、
5分もしないうちに早くも後悔していた。

台紙をちりめん布で包んでボンドで止め、ふたつを貼り合わせる。
それだけなのに、その、「それだけ」がなんともうまくいかない。

私って、どうしてこうも懲りないんだろうか。


中学高校時代、年に1度のバザーは手作りで、そのすべてを母に丸投げしてきた。
頭の中の青写真と、手元がまったく噛み合わない。
前の夫に作ったパジャマは、左右の身ごろの幅が違い、かたよったところに合わせがきて、チャイナ服みたいになった。
左右のズボンの幅も長さも微妙に違うし、襟もふんわりと立ち上がっていた。

手編みのセーターだって、まともに編めた試しがない。


せっかちで細かいことが苦手、結果を焦るあまり、洋裁の型紙をとっている間に嫌になってしまう。
セーターも、何日も編むのが嫌で、徹夜してでも編み上げたくていい加減に編む。

母は洋裁でも編み物でも、プロ並みにできる器用な人だったが
その血が、1滴も私には流れていないのだ。
だから私は、クッションカバーなどの直線縫いしかしない(というか、できない)と決めているのに、
私はこうして再び同じ過ちをばかみたいに繰り返している。



型をちりめん布でくるむのも、あまりに小さくてイライラする。
ボンドをつけすぎてガチガチになるわ、
指はボンドでかピカピだわ、
抜いたはずの型を紛失するわ、
ほかに用事をしながらではあったが、1個作るのに1日かかった。

そしてできたのが、これ。


根付の紐が曲がっている。
尻尾が分かれて猫又になっている。
後ろ足にボンドがしみて、変色している。
ひげが目の横から出ている。

あと4個作るなんて考えられない。
1個作るので燃え尽きた。

コラージュの作品は、「なんでこんな細かいことが・・・!」と人が言うほど
細かい作業ができるのに、
どうしてそれ以外のものは、からきしダメなんだろう。
そんなことは骨身にしみてわかっているはずなのに、
なぜいまだに
「かーんたんじゃん、できるできる」
と思ってしまうんだろう。


この三毛猫は、夫にあげることにする。
残りのキットは袋に戻したけれど、日の目を見る日がくるかどうかは怪しい。
もしこれっきりだったら、このヘンテコな三毛猫の根付は900円ぐらいということになり、
完成品を買ったほうがずっとよかったとひっそり思う、自己過信が治らない私である。





天国への階段

2020-11-16 10:25:25 | ハワイの自然
以前も記事にしたけれど、
天国への階段と呼ばれているトレッキングコースがある。
ハイウェイH3から見えるそのコースは、コオラウ山脈の急峻な斜面に沿って
金属の階段が続いており、
何十年も昔から、そこにある。

コオラウ山脈

夫は何度か登ったことがあるという。

延々と続く階段

傾斜はかなり急で、上るよりも降りるときのほうが怖いらしい。
老朽化のため、一時は閉鎖となったのだけれど、住民の強い要望で
再び登れるようになっている。
私は高さや急斜面はむろん、老朽化した階段が壊れやしないかと恐ろしくて
絶対に登らない。

遭難する人も数知れず。

まさに天国への階段である。