太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

漢字

2012-10-18 10:31:20 | 日記
手書きの文字、で思い出したのだが、

漢字にはそれぞれ違うエネルギーがあるという話。

それをどこかで読んで、さっそく私は夫に実験してみたことがある。



漢字を一切知らない夫に、いくつかの漢字を書いた紙を見せ、

その字から何を連想するかを答えてもらうのだ。

そして興味深い実験結果が得られた。


「和」

おだやかな感じがする


「悪」

責めたい気持ちがする


「幸」

小さな祝福


「罪」

牢屋のイメージ


「魔」

何か、よくないもの


「天」

お祭り



最後の「天」がお祭り、というのは「?」にしても、

あとは大体意味が合っているように思えて驚いた。

私たちは、もう既にその意味を知っているから、その文字の持つ本当のエネルギーを知ることができないのかも。



この、文字そのものに意味がある、ということが、説明してもピンとこないのか、たとえば、

「シホ(人の名前)ってどんな意味?」

と、時々夫に聞かれる。

「だからぁ、漢字によってシホはシホでも全然意味が違ってくるから、シホだけじゃわからないんだよ。

私の名前だって、何通りも漢字があるんだよ」




ちなみに、最後に私の名前の一文字を紙に書いて夫に見せたら、うーんとしばらく眺めていて、

「なんかよくわかんないけど、屋根の下に何かがいるような感じ」


ウ冠の文字を見たそのまんまじゃないか。

妻の名前ぐらい覚えておけ、つーの。




にほんブログ村 海外生活ブログ 海外移住へにほんブログ村











手書きの文字

2012-10-17 09:41:24 | 日記
ヨーロッパ人がどうかはわからない。

でもアメリカ人の多くは、手書きの文字が大変お粗末な人が多いと感じる。

夫の甥が高校生ぐらいの時にくれたカードに書かれた文字は、

3歳児か、と思うぐらいのひどさだった。

それでも、手書きで一言添えてくれたことは、とても嬉しかった。


大人になっても、上手に文字を書きたい、と思う人は少ないようだ。



日本人は、子供の頃から書道を習ったり、大人になってからもペン習字を習う人は普通にいる。

それは、「字は体を表す」のことわざもあるように、日本では手書きの文字の価値が高いというのと、

文字のひとつひとつが難しいこと、そして文字そのものに意味があるから、だと思う。



日本では履歴書は手書きが普通。

でもアメリカでは、手書きの履歴書は受け付けない。

その理由は、字が汚くて読めないからじゃないかと私は密かに思っているのだが、どうだろう。

手紙も、パソコンで作る人が多いし(読むほうは助かる)

日本人ほど手書きの価値を云々する場面はないのだろう。


それでも私は、たとえ下手でも甥が書いてくれた文章がとても嬉しかったし、

印刷された年賀状の片隅に、「今年こそ会いたいネ!」の一言でも書いてあるとホッとする。

中学の頃から字が変わってないなぁーとニヤニヤする一方で、

きっと彼女も変わってないんだろうなあと思ったりもする。





本屋の仕事で、お客様に名前を書いてもらうことがあるのだが、

同じアルファベットでも、日本人が書くアルファベットは格段にバランスがとれていて美しい。

手書きの文字も、日本の大事な文化なんだ。







にほんブログ村 海外生活ブログ 海外移住へにほんブログ村





鍵泥棒のメソッド(KEY OF LIFE)

2012-10-16 16:03:55 | 勝手な映画感想


今年で32周年を迎える、「HAWAII FILM FESTIBAL(ハワイ映画祭)」。

毎日、いろんな映画を放映していて、たくさんの人が楽しみにしている。

久々に、映画館で日本の映画を観た。


銭湯で転んで記憶をなくした男と、その男になりすまそうとした貧乏役者。

実はその記憶をなくした男の正体は、かなりヤバイものだったのだが・・・・


おもしろかった。

会場が笑いで沸いた。

日本のコメディってこんなにおもしろかったっけ??

アメリカ映画の、これみよがしの笑いじゃない、爽やかでさりげない、でもインパクトが強いユーモア。

私は日本の、いわゆる「お笑いタレント」たちが見せてくれる笑いは、

人を笑わすのじゃなくて、人に笑われるのがおもしろいと思っているような気がして好きじゃない。

誰も貶めず、イジらず、すっきりと笑えるのがいい。


夫は、映画も楽しかったし、サントラが欲しいと言ってた。

スタッフロールを見ていたら、音楽はイエローモンキーのボーカルの人だった(名前忘れた)

日本に行ったら、買えるのだろうか・・・



この映画はお勧め。





にほんブログ村 海外生活ブログ 海外移住へにほんブログ村

望月さん

2012-10-15 16:02:12 | 人生で出会った人々
幼稚園ぐらいの頃だったと思う。

近所に 望月さん というおばあさんが住んでいた。

望月さんは、背中が曲がった小さなおばあさんで、いつも着物を着て、

相当古い2階建ての日本家屋に一人で暮らしていた。

黒い縁の眼鏡をかけ、すっかり白くなった髪をひっつめてお団子にしていた。

私の祖父母よりもずっと年上だっただろうと思う。



近所の子供達で誘い合わせて、時々望月さんの家に遊びに行った。

家の中は、「望月さんの匂い」で一杯だった。

古い箪笥の引き出しの匂いや、塗り壁の匂い、飴色になった廊下の床の匂いが全部混ざって、

そのすべてが望月さんそのものだった。



ギシギシと鳴る急な階段を上がって2階に行くと、

天井が低い和室があって、そこに衣装箱や箪笥、柳の行李がある。

望月さんは私たち子供をそこに集めて、その中からいろんなものを出して見せてくれるのだった。



色も鮮やかな刺繍の施された反物や、

色が変わってしまったハガキのようなもの、難しい字で書かれた巻物が、手品のように出てくるのを、

私たちは目を丸くしてみていた。

望月さんは丁寧にそのものについて語ってくれるのだが、5,6歳の子供のことで、それが何を意味するかわからないし、

説明してくれたことも一切覚えていない。

ただ、望月さんがそれらをとても大切にしていること、それを誰かに伝えたいことはわかった。



小学校に行くようになると、子供達もてんでに忙しくなって、

だんだん望月さんのことは忘れていった。

気がつくと、望月さんの家は取り壊されていた。

亡くなったのか、引っ越したのかもわからない。

ただ、或る時、古いお宅の物置の戸をあけたときに、不意に望月さんのことを思い出して、

記憶を頼りに望月さんの家のあった場所に行ってみたら、そこには何もなかった。



雑草が一面に茂った空き地を眺めながら、

あのことはみんな夢だったようにも思えてくるのだった。






にほんブログ村 海外生活ブログ 海外移住へにほんブログ村






きたない?

2012-10-14 09:42:20 | 日記
誕生日とか、何か決まった目的がなくて人が集まる時に、それぞれ料理を持ち寄ることが多い。

仲間同士の集まりだけじゃなく、

たとえば、時間的にお昼を挟むようなワークショップで、最初の案内に

『何かGOODYを持ってきてくれるとうれしい』というようなことが書かれていることもあって、

手作りのサンドイッチやサラダ、稲荷すしや焼き菓子などを持ち寄って、みんなでそれをビュッフェのようにして食べる。



だから、まったく見知らぬ人が作ったものを食べる、という機会が多くなる。

そしてそういうことについて、まったくおおらかな人たちに、私は安心するのだ。



なぜならば、日本にいたときに、知らない人が作ったものは食べたくないし、子供にも食べさせたくないと誰かが言うと、

待ってましたとばかりに「私も、私も」という意見が飛び交い、

どんな台所で作っているかもわからないし、人が作ったものがいかに不衛生か、という話が延々続いたことがあり、

私はその場で愛想笑いをしながら聞いているしかなかった。


その人たちの気持ちもわからないではない。

だけど、一方で、うすら寂しいような気もした。

私は案外そういうことに無頓着で、そういう潔癖な人たちの気持ちがわからないだけなのだろうか。

みんなでつつく鍋も好きじゃない、とその中の誰かが言っていた。

私だって、なんでもかんでも平気というわけではない。

たとえばハワイの道端で売っている、一般人が自宅で作った干した鯵などは、なんとなく食べる気はしないし、

大昔に旅先の屋台でラーメンを食べたら、ご主人が真っ黒になったバケツの水でお皿を洗っているのを見てしまい、

それ以来、屋台は入る気がしなくなってしまった。



昔、職場に、潔癖症なお局がいて、水切りカゴの中の自分のカップの位置が少しでもズレていると

誰かが触ったといって、それをグラグラ鍋で煮沸していた。

床のゴミは、ティッシュをきっちり2回引き出してから、かぶせて拾う。

そんなに自分はキレイなのか、と意地悪な気持ちにもなるし、汚いものばかりに囲まれて、さぞや気分が悪かろうと同情もした。



子供の頃、夕飯時に近所のおばさんが、湯気のたった煮物の鉢を持ってきて、

「作りすぎたからたべてー」と言って玄関のあがりかまちに置いてゆき、

翌日、母がその鉢に何かお返しを入れて持ってゆく、というのが日常だった。

たとえ知っている人でも、その家の衛生状態や衛生観念まではわからないのは、見知らぬ人と同じじゃないだろうか。

持ってきてくれたけど、何が入っているかわからなくて汚いね、と言うよりも、

わざわざ持って来てくれてうれしいね、と私は子供に言いたいと思う。



いっとき、なんでもかんでも「抗菌」が流行った時期があった。

抗菌靴下、抗菌歯ブラシ、抗菌ペンシル・・・・・・

見えないものに対して、見えない効果を期待するのは、むなしくもある。

顕微鏡で見たら、そこいらじゅうに菌はあるのだろう。

でも、だからって、すべてを汚いにしてしまったら、楽しい気分でいる時間が減ってしまうと思うのだ。



私の母は、ある程度の菌に対しては免疫がついてゆくから大丈夫、という考えの持ち主で、

私は今更ながら、そうやって育ててもらったことに感謝している。











にほんブログ村 海外生活ブログ 海外移住へにほんブログ村