拙句集を謹呈させていただいていた、
鳥取の俳人植垣規雄さん(お名前だけ知っている)から昨日手紙が届いた。
現代俳句協会会員の方ではありますが
全く存知上げない方です。
私が言うのもなんですが
はっきり言って、
難解で読み進められなかったので
お礼と感想が遅くなったというものでした。
でも、
その方は、「句集には作者の全人格が投影されて」いるので、
「句会や俳句大会の選句以上に、読み手も全力で相対すべき」と
謹呈した11月下旬からずっと数回読み返され
思いを温めてこられたのでしょう。
(ご感想については省略)
そして、
「理屈ではなく単純に私の感性というか
フィーリングに合う句が見えてき」たということで
各章ごとに選を書いて送ってくださいました。
頭が下がります。
こういう誠実で正直な読み手がいてくださり、
拙句集と全力で向き合ってくださったことに
とても感謝しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/9a/230529f6ff4bbd30983199224580cd4e.jpg)
(昨年は鳥たちに全部見事に蕾を食べられてしまい
一個も花は咲けず
今年は、ネットをずっと被せていて
やっと開花にこぎつけた紅梅。)
また、
評論の”「高漂浪」する常少女性 石牟礼道子の詩の原点へ”
についても、
石牟礼道子氏の名前や本の題名は知っているものの
「本当に衝撃的であり」、
自分にとっては『苦海浄土』の「丁寧な解説でもありました」
ということでした。
評論についての、このような反応はいくつかいただいており
それぞれの立場で読んでいただけたら
とてもうれしいことです。
俳句は<謹呈の文化>だと
軽く考えていた自分の考えを改めたことでした。
*ブログ「俳句新空間」には
竹本仰さん(1月)と山本敏倖さん(2月)の、
拙句集についての鑑賞文や集評を書かれたものを
掲載していただいています。
お問合せは俳句短歌誌「We」へ。
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日経平均はいつまでどこまで騰がるのかな。
売ってしまったらもう売るもんがない。
かといって
高値では買いたくないし・・・・
でもドンドン騰がっていったら
レースに参加できなくてつまらないし・・・・
やはり難解なのか、と少し安堵であります。
そして、勝手に解釈するのも可で、それも楽しみなのだと思えました!
ちょっとホッとしました、なんちゃって!
コメントありがとうございます。
拙句は
前衛的なので(人が言う)
難解なのでしょうか。
感じてもらって
自分なりにイメージが膨らんだり
物語が語られそうだったりする句を
鑑賞してもらえればと思います。
今のところ、
分り易い俳句を書く気がないです。
「We」には、ご存知の通り、
私の書くような句ばかりではなく
いろんな俳句があります。
人まねから始まって
最終的には自分の俳句を書いて頂きたいです。