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群馬の田舎から情報発信!

『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』(橘玲)

2010-10-31 16:13:04 | 読書日記
 「評判をめぐるゲームに序列はない」

 「高度化した資本主事社会では、論理・数学的知能や言語的知能など特殊な能力が発達したひとだけが成功できる。こうした知
能は遺伝的で、意識的に“開発”することはできない。すなわち、やってもできない。」

 「ところがその一方で、金銭的に成功したからといって幸福になれるとは限らない。ヒトの遺伝子は、金銭の多寡によって幸福感が決まるようにはプログラムされているわけではないからだ。ひとが幸福を感じるのは、愛情空間や友情空間でみんなから認知されたときだけだ。」

 「能力があろうが無かろうが、誰でも好きなことで評判を獲得することはできる。だとしたら必要なのは、その評判を収入につなげるちょっとした工夫だ。」

 「伽藍を捨ててバザールに向かえ!恐竜の尻尾のなかに頭を探せ!」

 クリス・アンダーソンは『ロングテール』で、インターネット時代のニッチ市場に巨大な変化を述べている。それがロングテール。
 これまでレコード会社はショートヘッド(恐竜の頭)で商売するしかなかった。しかし、ハードディスクとインターネットの発達で、利用者コストを気にせず音楽を購入できるようになった。そこで、人気のないテール(尻尾)部分の曲も売れるようになった。そしてテールはどんどんロングになっていく。

 「全体と部分が自己相似になっている図形を、フラクタルという。ロングテールも、フラクタルの一種だ。」
 「好きな音楽はみんなそれぞれ違っていて、異なるジャンルの間で優劣を争っても意味はない。だったら大事なのは、マイケルジャクソンを目指すのではなく、自分の好きなジャンルでショートヘッドになることだ」

 マックジョブとは、サービス分野における、低賃金、低地位、低尊厳、低恩恵、未来なしの仕事。
 マクドナルド化社会の本質は①効率性②計算可能性③予測可能性④制御
 「マックジョブは、その性格上、不定期で短時間の仕事をしたい学生や主婦に最適な働き方だ。ところがマクドナルド化が労働市場を浸食することで、それが常勤の労働者にまで広がってきた。」
 「能力主義の世界では、夢をあきらめてしまえば、マックジョブの退屈な毎日がまっているだけだ。だからリップスには、夢をあきらめることが許されない。」

 「グローバル化によって、アメリカ人の仕事が「シンボリック・アナリスト・サービス」「インパースン・サービス」「ルーティン・プロダクション・サービス」に三極化する」。プロダクションサービスは製造業の労働者。インパースンサービスは飲食店の接客のような対面顧客サービス。シンボリック・アナリストは「シンボル(象徴)を操作するひと」で、独創的なアイデアや技術、高度な知識をグローバル展開できる専門家や芸術家のことだ。グローバル化によって、シンボルの2割の富裕層とそれ以外の8割の貧困層に二極化していく。これが格差社会だ。

 するどい社会分析と、その中で自分の好きなニッチ分野でのショートヘッドを目指すという端的な目的提示。しかし、自分の人生だから、その中で幸福になれるかどうかは本人の努力次第であることには変わらない。
 
 

『LIMIT』Ⅰ~Ⅳ

2010-10-28 09:25:01 | 読書日記
 2025年、化石燃料は終焉を迎え、アメリカと中国は新燃料ヘリウム3の採掘競争を月面で繰り広げていた。そんな折、大富豪オルレイは投資家たちを招き、自ら建造した宇宙エレベーターで月面のホテルに向かう。一方、上海では探偵のジェリコが瑶瑶という若い女性の捜索を依頼されるが、殺し屋ケニー辛も彼女を追っていた。そしてカナダでは石油会社の幹部の暗殺未遂事件が起きていた。

 文庫4冊の大作。
 分量もさることながら、登場人物が多く、それぞれのキャラクター把握が難しかったこともあり、読むのに時間がかかった。外国人の名前を持つキャラクターを憶えられないのは歳のせいか?

 月、上海、アフリカ、ロンドン、アメリカと設定が壮大で、どこまで話が膨らんでいくのか、と心配(?)しながら読みました。
 
 第4部ではテロリストとの生き詰まるサスペンスが繰り広げられ、SFというより、人間の欲望を基軸としたドラマになっています。
 
 本当に娯楽小説です。
 しかし、映画にはなりずらいだろうなあ~。あまりにも多くの要素が詰め込まれていて、映画でも何部作にもしないと完結しないでしょうから。

『中澤祐二 不屈』(佐藤 岳)

2010-10-02 21:35:57 | 読書日記
 中澤のストイックさは聞いてはいたが、ここまでとは。
 マリノスの納会にも参加せず、高校時代の同級生の飲み会にも誘われることがない。
 高校時代は周りに合わせることなく、一人だけプロになるという志を持ち、努力し続ける。そこまでできる精神力にはただただ驚かさせる。

 中澤はよく「俺はサッカーが下手だから」というのがあるとのこと。自分はサッカーが下手だと知っているから、人より努力しないといけない。人よりストイックにサッカーに取り組まなければいけない。ちょっとでも気が緩むといけないからと、W杯パラグアイ戦の後の飲み会でも水とコーヒーで過ごしたとのこと。

 「オンとオフで気持ちを切り替えるなんて俺にはできない」「常に練習していないと心配だ」生活の中心をサッカーに置き、サッカーが上手くなるためには努力を惜しまない。どこまでもプロに徹した考え方。逆にそこまで徹することができる人間だけがプロになれ、日本代表になれるのかもしれませんが・・・。

 南アフリカW杯の戦いは、中澤の中で一つの区切りとなるべき試合になったのだろう。パラグアイ戦の後の涙は、きっと自分の気持ちの中で完全燃焼しきった気持ちがこみ上げてきたからではないか。

 大きなイベントである南アフリカW杯は終わったが、中澤選手はこれからも日本サッカーを代表する選手として活躍していくことだろう。しばらく、中澤選手の動向も気になる。