危機管理の専門家として有名な著者が「そんな謝罪では~」と意味深な題名の本を出したとのことで、早速買って読んでみました。
第1章では、「こんな謝罪では許されない」という具体的例を分類分けして挙げています。
”言い訳や反論まじりの謝罪”、”嘘と隠蔽をふくむ謝罪”などなど。
第2章では、具体的に謝罪の方法論を論じています。
◎許される謝罪の「心・技・体」
「心」(第1条)潔い謝罪は男を上げる千載一遇のチャンス
(第2条)社会的制裁を受けて法的制裁を回避せよ
(第3条)記者会見はタダである
(第4条)記者会見はバッジ処理である
「技」(第1条)はじめに「罪の認識」をせよ
(第2条)目標を定めて軌道を描け
(第3条)謝罪を分析的に考察してアプローチせよ
「体」(第1条)異分野の師を持て
(第2条)直言してくれる部下を育てよ
(第3条)専門知識の社外スタッフはあくまでも専門性で選ぶ
(第4条)傍目八目のブレーンを近づかせすぎない
(第5条)茶坊主を排せ
特に「技」の部分はこれまで、私としては持っていなかった視点だったので、大変参考になりました。
最近、高校での必修科目の未履修問題が話題になっています。実際に問題の高校の校長や教育委員会の職員が謝罪の記者会見をしている場面がニュースでよく流れます。
そこで気になるのが、校長先生はいったい「何を」、「誰に」謝っているのか亜さっぱり分からないことです。それが分からないから、何か釈然としない雰囲気のみが残されたような気分になります。
謝罪する前に、問題の本質、そして被害者は誰なのかをはっきりさせて、その被害者に対して謝罪するとともに、対応策を説明すべきではないでしょうか?
何かマスコミに「謝れ!」と怒鳴られるから「とりあえず謝っておこう」ということでは教師が生徒になめられるだけではないでしょうか・・・
本書は主に組織人を念頭に書かれていますが、個人の謝罪の場面にも参考になります。
最後の「謝罪の分水嶺」として
①責任の大きさと所在
②展開の予測
③生きざま を挙げています。
謝罪はその人の「生きざま」を最も良く表わすものなのかもしれません。
第1章では、「こんな謝罪では許されない」という具体的例を分類分けして挙げています。
”言い訳や反論まじりの謝罪”、”嘘と隠蔽をふくむ謝罪”などなど。
第2章では、具体的に謝罪の方法論を論じています。
◎許される謝罪の「心・技・体」
「心」(第1条)潔い謝罪は男を上げる千載一遇のチャンス
(第2条)社会的制裁を受けて法的制裁を回避せよ
(第3条)記者会見はタダである
(第4条)記者会見はバッジ処理である
「技」(第1条)はじめに「罪の認識」をせよ
(第2条)目標を定めて軌道を描け
(第3条)謝罪を分析的に考察してアプローチせよ
「体」(第1条)異分野の師を持て
(第2条)直言してくれる部下を育てよ
(第3条)専門知識の社外スタッフはあくまでも専門性で選ぶ
(第4条)傍目八目のブレーンを近づかせすぎない
(第5条)茶坊主を排せ
特に「技」の部分はこれまで、私としては持っていなかった視点だったので、大変参考になりました。
最近、高校での必修科目の未履修問題が話題になっています。実際に問題の高校の校長や教育委員会の職員が謝罪の記者会見をしている場面がニュースでよく流れます。
そこで気になるのが、校長先生はいったい「何を」、「誰に」謝っているのか亜さっぱり分からないことです。それが分からないから、何か釈然としない雰囲気のみが残されたような気分になります。
謝罪する前に、問題の本質、そして被害者は誰なのかをはっきりさせて、その被害者に対して謝罪するとともに、対応策を説明すべきではないでしょうか?
何かマスコミに「謝れ!」と怒鳴られるから「とりあえず謝っておこう」ということでは教師が生徒になめられるだけではないでしょうか・・・
本書は主に組織人を念頭に書かれていますが、個人の謝罪の場面にも参考になります。
最後の「謝罪の分水嶺」として
①責任の大きさと所在
②展開の予測
③生きざま を挙げています。
謝罪はその人の「生きざま」を最も良く表わすものなのかもしれません。