四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

何の足しにもならないブログは人を怒らせる時だけ反応が出る

2009年11月07日 18時54分24秒 | 社会問題
厄介で厄介で麻薬のようなブログにはまり込んでいる人は多いと思う。
ブログでお友達ができるとなおさら厄介だが、敵を作るのは簡単なようである。

それでいてお金にも名誉にもなく、貴重な時間がどんどん使われていく。
あまり得しないことをやっているのである。

出版にこぎつけて、電車男のような内容のないものが生まれ、使い捨て時代に適応するだけで、100万部売れると木材に換算して大変な数になる。

たとえば歴史ある大学の図書館で100万部所有している大学の数は少ない。
一挙に100万部も売れるとまさに材木が大変な数伐採されてしまう。

しかし、大切に保管される書物なら、いざ知らず、すぐにブックオフやアマゾンマケプレに出されて1円で売られているようでは哀れである。

人々はつまらぬところに飛びつく、つまらぬものをヒットさせると金儲けが成立するのである。
すべてゴミを作るために脳内の怪しい物質を活発化させるだけでよい。


医者と言うのはとっつきにくい人間が多い

2009年11月07日 18時30分34秒 | 健康と医療
ハイクラスで知的階級に属する医者であろうが、その実態は知的階級には程遠いと言うことである。

一部の医学部を除くと成績よりも金の問題が優先するというからいかがわしい世界でもある。

バカほど威張るというから、それに金が付いてくるとさらに性質が悪くなる。

本当は他人の生命などは糞喰らえで自分の命と享楽が第一である。
豚のような医者が多い中、最近は巨大豚の発見も少なくない
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=246288

病気で医者と関わると上下関係が出来てしまう。
今、生きている人間の多くは電気のお化けである。
もし、電気が無くなっていれば医者は患者を診ることができないし、患者は生きてはいけないのである。医者の力の拠るところは極めて少ない。

90%以上の薬は電気で合成されている。
では電気が止まるとどうなるかはこちらの画像で確認できる。

http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=249835


群馬の文化拠点 煥乎堂書店(ヤマハ音楽教室もあり)

2009年11月07日 17時48分34秒 | 美術・建築・工芸
煥乎堂(かんこどう)は前橋にある大型書店である。
http://www.kankodo-web.co.jp/company/index.html

ここでは音楽教室(ヤマハ)が入っている。
優秀な生徒はここからか太田のヤマハ教室から出てくる。

煥乎堂の特色は前橋の詩人との関わりである。
前橋と言えば市内にもある前橋文学館(萩原朔太郎記念館)である。
上州前橋からは萩原朔太郎・伊藤信吉などの詩人が出ているが、その他にもゆかりの詩人は多くいるはずである。

伊藤信吉さんとは晩年お会いすることができた。
伊藤さんのことは先生と呼んではいけない。
御本人からの指示である。
中央公論の『日本の詩歌』の名文の解説は詩人たちの詩以上にこころを時めかされたものである。

簡潔な日本語であるし、完全なる日本語でもある。
多くの人たちは音楽科も含め詩のリズムを音楽のように感知する人は少ないようである。
ボードレールが詩人でありながら、音楽評をしているが詩人の感性は作曲家以上の音の響きを知りえているのである。

ドビュッシーもマラルメの詩から感じるものがあったのである。
言葉の響きから音の響きを知ることは重要である。

言葉から色を認知させるランボーの『母音』のごとく、音から味覚や映像がよみがえってくるように、芸術の表現は変幻自在なのである。

芸術とは何よりも贅沢な楽しみなのである。都市の機能と芸術が混然一体になった町づくりを目指すだけで1000年の繁栄をつかめるのである。

そういう意味で前橋の町づくりは根本的には間違っている。

煥乎堂の創業者は詩人との付き合いもあり文学的な素養もあったと聞く。
それだからこの出版不況の中にあって残り続けているのであろうが、ジュンク堂のようには知られていない。神戸の元町にジュンク堂があったころにはやはりそれほど世間に知られている書店ではなかった。志賀直哉の全集の月報にジュンク堂の名前を見つけた時にはジュンク堂にわざわざしらせてあげたほどである。その後大地震に見舞われたが、それが契機となって東京に進出し、いまでは国内最大級の書店となっている。

煥乎堂にはヤマハ音楽教室が入っている。ここからも優秀な生徒がでるというが、太田の鈴木楽器という楽器屋からも全国大会やインターナショナルに出場する生徒も出てくるという。ちなみにアイフルでチワワと出てくる俳優の奥さんはアイフル御殿が出来るまではこちらでレッスンを受けていたと言う。

音楽は習うが詩を教えるところがないのが残念である。
広瀬川というとすぐ仙台青葉城の広瀬川が思い浮かぶが、前橋にもある。
京都の高瀬川のように小さな川であるが水量は豊かである。

萩原朔太郎は哲学者ショーペンハウアーに強烈な薫陶を与えられ、詩にもその影響が出てくる。そして朔太郎の広瀬川という詩はその代表格でもある。

広瀬川白く流れたり…、で始まる詩は抒情と哲学が織り交ぜられた珠玉の逸品である。

前橋を訪れたら一度は煥乎堂を訪ねて、一冊の岩波文庫を手にして帰ろう。
もちろんお会計はすませてのことである。





栃木県人よ偉大な田中正造を忘れるな!

2009年11月07日 17時15分54秒 | 文学・思想
環境の世紀を迎えたが、環境と金儲けとは相いれないものである。

本当に環境のことを考えるなら何もしないことである。

環境のために立ちあがった世界でもまれな偉人田中正造に学ぶことにしよう。

田中正造の作品は岩波書店から全集として出ている。
栃木県なら全集を置いているかと思って訪ねた図書館にはほとんどない。
群馬の方が蔵書数は多いようで、知的な県としては群馬に勝ちを譲らなければならない。

群馬の館林と隣接する栃木の佐野とでは図書の数も圧倒的に館林が多いのである。
ラーメン屋の数は確かに佐野が勝っている。栃木が勝つのは工業団地の多さである。しかし、企業がどんどん撤退しているから、今後10年で栃木は住みにくいところになっていくであろう。

田中正造の出身地がこの佐野市小中町(安蘇郡小中村)である。昔から佐野という地名であったらしい。昔は館林も佐野の一部であったらしい。

足尾鉱毒事件で国会議員の職を退きひとり敢然と明治政府と古河市兵衛、渋沢栄一と闘った。志賀直哉の祖父直道も重役として関係していたので、志賀直哉の全集の中では足尾銅山反対派とのやり取りなどが描かれている。

公害と闘った人物としてだけでなく、キリスト教信者としての生き方、何が人間を害しているかという問題を突き詰めた人物でもある。

教育と電気について警告を発しているが、この洞察にはほれ込んでしまう。(電気に世話になっているものとしては複雑な心情ではあるが!)

渡良瀬遊水地のある場所には、昔この土地に住んでいた碑がある。ここには谷中村と言う集落があり、足尾銅山鉱毒問題の中心的な役割を果たした村であった。政府が治水対策としてこの村をせん滅させるために今の渡良瀬遊水地がある。

わたしはこの渡良瀬遊水地の葦原に拠点を置く少年たちが殺人遺体を見つけ犯人たちを捜し出す小説『渡良瀬遊水地殺人事件』というのを書いていたことを思い出す。事件はやがて過去にあった足尾銅山鉱毒事件とも関係してくる。

谷中村の人々はその後各地の過疎地に転々と送りだされ、北海道の泥炭地帯で百姓をやらされ悲惨な最期を遂げた人々が多かったと言う。

つまり政府の利潤のためには人民は犠牲になるという、本末転倒の考えがいつでも主流になるということである。

栃木の行政はあの知事の顔を見ていても解るがとてもではないが、県民のための県政など行っていないということがはっきりと見て取れる。

偉大な人間を輩出しておきながら、環境と言う言葉で音頭を取りながら、田中正造の実像はベールによって隠されているのが実情である。

岩波文庫から田中正造の作品が何冊か出ている。


詳しいブログを見つけたのでこちらでどうぞ!

足尾銅山ジャンプ

田中正造文集〈1〉鉱毒と政治 (岩波文庫)

岩波書店

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田中正造文集〈2〉谷中の思想 (岩波文庫)

岩波書店

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辛酸―田中正造と足尾鉱毒事件 (角川文庫 緑 310-13)
城山 三郎
角川グループパブリッシング

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NHKにんげん日本史 田中正造―公害の原点、足尾鉱毒事件とたたかう (NHKにんげん日本史)
小西 聖一,酒寄 雅志
理論社

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田中正造―公害とたたかった鉄の人 (講談社火の鳥伝記文庫 (14))
砂田 弘
講談社

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ギターを弾くための基本的な三大要素 リズム・ハーモニー・メロディ

2009年11月07日 14時56分33秒 | 音楽
ギターを弾くためには基本的なことを知っておかなければならない。

片手がない人は残念ながらあきらめて下さい。
指切りの出来ない指の方も半分あきらめて下さい。


あとは熱意の問題です。

基本的な勉強として6弦ギターを選びます。
お金の無い方はベニヤ板を買ってきてギターらしい形にカットして、針金とテグスで適当に線の長さを楽器店などのギターを見ながら調整して下さい。大体音がなる部分の長さが80cm位になります。

ハードオフに行けば安いギターが売っています。指だけの練習なら安くても構いません。


一番大事な考えは急がないことです。
人それぞれに進歩の早さが違います。
ベニヤ板ギターで練習して1週間で引けるようになる人もいますし、10年経っても引けない人もいます。

大体共通しているのが、最初の一歩は皆同じと言うことです。ただし天才はこの最初の一歩で躓く人が多いと言うことです。

音は空気の振動を通して生まれます。宇宙の新星の大爆発も音は有りません。
つまり空気の無いところ(真空)では音が出来ないのです。媒体が水でも音は響きにくいのです。

ありがたいことに音の出る地球に生まれて音楽を味わうことが出来ます。

中学の算数でピタゴラスの定理を習ったことでしょう。それが理解できる人は音楽理論もそれほど難しいものではありません。

音は数である。中世のヨーロッパの大学でも音楽を重要視しました。そして音楽科と数学科は同じだったのです。

弦は比率で音がなります。この比率がすべてピタゴラスの定理によって条件づけられています。

ギターは西洋音楽のための楽器です。
それだけに楽典の基本を覚えることによって上達します。

まず、小学生でも知っている音符の読み方を勉強しましょう。

音階は、

ド レ ミ ファ ソ ラ シ ド これはイタリア語読みです
ハ ニ ホ ヘ  ト イ ロ ハ これは日本語読みです
C D E F  G A B C これは英語読みです

この読みの対応は3つとも使いますからどれがドの音に対応しているかを覚えましょう。
ギターではコードなど英語読みを使います。

もっともよく使われるのがハ長調のCになります。音ですると7つしかありません。
この7つの音の繰り返しです。

つまり7つの音はしっかり覚えなければなりません。
未開人は、1・2・3その次は沢山となります。
文明人は1・2・3・4・5・6・7その次が沢山となります。

7と言う文字はラッキーセブンと言われるほど古代から重要視されてきました。
音楽でも7は神聖な数なのです。しかも7は1の位の最後の素数となります。
俳句は5・7・5の素数を使います。つまりこれも音楽と関係しているのです。


ギターの音の数

6本の弦の中で通常使われるのは、1フレッドから12フレッドまでです(14フレッドを使う奏法もあります)。

1つの弦には12の音が入っているということですから、6弦ではその6倍です。
つまり72の音が並んでいることになります。

ドレミファソラシドの音以外に半音が並んでいます。

半音の高い音は#(シャープ)で表し、半音の低い音は♭(フラット)で表します。

音の配置を覚えるとギターは弾きやすくなります。
どこに音があるか分からないと弾きようがありません。

弦は一番上の弦(一番太い)が第6弦になります。
  一番下の弦(一番細い)が第1弦になります。

そして開放弦指を話して音を鳴らしたとき、
第6弦から順番に ミ ラ レ ソ シ ミとなります。

ドレミファソラシドの中には半音が2個含まれています。
ファ(F)とシ(B)です。

この半音があるためにギターの弦の並び方が不規則になってきます。

それではこの後は次回に回します。ただし、次回があると期待はしないで下さい。
鳴り響く音はその時限りです。

わたしは正確な人間ではなく、お笑い人間です。そこのところをよくお考えになって勉強して下さい。



人間同士のいがみ合いは無くならない。

2009年11月07日 14時35分45秒 | 文学・思想
昔ほど人に感謝しなくなったので、何でも当たり前になってしまう。
自分だけが良い社会は存在しない。

クラッシク音楽が嫌いな音楽愛好家はものすごく多いのである。

最近、音楽理論を勉強しているが楽譜を見る限りでは、やはりクラッシク音楽は高度な音符の使い方をしている。

ロックやフォークや歌謡曲などは極めて単純であるし、構成音が少ない。
有る程度意味のある表現ができないような作りになっているのである。

どうしても深いものを表現することはできないであろう。
良い曲ができないという意味ではないが、和音の捉えかた不協和音の捉えかたも単純ではない。

音の構成が全音と半音で成り立たない音楽も世の中には存在する。それらは楽譜には乗らない音になる。そういう意味ではさらに細かい音程を生み出すが、そうなると伝承にならざるを得ないから、それらは地域で支えなければならない。

地域が崩壊している日本には伝承的な音楽も物語りも既に失われている。

アフリカやアジアの奥地でもなければ出会えないであろう。


しかし、音楽が好きならクラッシク音楽が聴けないようでは音楽好きとは言えないのである。ワインの微妙な味や香りの違いは分からなくとも高級ワインに憧れるが、深い音楽や旋律の美しさを味わいたいという欲望をもつ人たちは少ないようである。


深いものを求めない限り、争いごとは比較的簡単に起こってしまうのである。
なぜなら、普段から熟慮して考えるという経験がないからである。


異常な位殺人事件や自殺が増えている 年末は借金取り立ての時期

2009年11月07日 14時14分43秒 | 日毎起こること
人間は他の動物と違い、悪に染まりやすい。そして憎悪や恨みや妬みなどを持ちやすいもので、単語は覚えられなくとも恨みは覚えやすいように出来ている。

毎日毎日、人々は金のためにも命を失っていく。命と金とどちらが大事かというような問いを子供でもやるが、実際は命よりも金が大事な世の中になっている。

大切な命というのは自分の命であって他人の命ではない。
殺しで決着を付けても自分自身も死ななければならない時が来る。

それでも人間は相手に対する憎しみや怒りが増すように作られている。
そして世の中を見ている觀客のために人間は踊らされているのである。

賢者のみがその罠から逃れるように心を落ち着かせている。
まさに品格の問題であるが、このような人物は滅多にでない。

日本人は諍い(いさかい)ごとが好きである。
隣近所の噂をしながら、してる本人たちも気持ちが通じているわけではない、割口だけが共通しているだけである。


ネットの新聞を見ていると、少しだけだが殺人事件が記載されている。

千葉・銚子沖に男性の遺体
カーペットにくるまれた遺体は住人の61歳男性、下腹部に刺し傷

マンションに女性の遺体 福岡

乗用車燃え中から遺体 千葉県山武市

大阪・西成の共同住宅で男性遺体、殺害か

胸から血を流した男性が死亡 遺体のそばにナイフ 東京・板橋の路上

一宮市の雑木林に男性の遺体 死体遺棄容疑で捜査 愛知県警

草むらに男性遺体 京都・宇治



教育で何故殺人がいけないかということは議論することはない。
殺人を犯した犯罪者をどう裁くかとことは考える。

70、80誰でも入れる棺桶に?
物ばかり作って欲望を高める社会を作り、借金地獄に駆り立てることを静止できない政治が問題であるとも言える。

多重債務作りを勧めてきた政権はどこだ?

多くのものは有るようでも直ぐに消えて無くなる。コンピュータも車も電化製品もそうである。

たとえば演劇や音楽コンサートや美術展覧会に金を使っても物としては残らないが、その時見た印象は残っている。

価値あるものへの金の投資で、人々のこころが静になるようには中々出来ないようである。



カテーテルを拒否する患者たちに強引に勧める医者たち

2009年11月07日 14時01分33秒 | 健康と医療
この間もカテーテルの操作ミスで患者が死亡したばかりである。
30歳の女医が心臓か肺にへ入れるべきカテーテルを脳まで入れてしまったという。
細い管だけに気を抜くと何処までも入っていく。今、医師たちは気が抜けた状態で仕事をしている。

医学部を卒業し国家試験に合格した医師たちが医者にならずに別の仕事に付くという。
医師免許はあくまでも一種の勲章であるらしい。

それでなくとも医師不足の地方では医者が睡眠も取れないほどわんさかと年寄りが押しかけてくる。

医学部卒業の学生たちも地方勤務はお断りと90%以上の医者たちは東京や大阪をめざすらしい。

ところが、患者もバカではない。金のある患者は遠方から飛行機に乗ってでも名医のいる病院を目指すという。そのほとんどが東京や大阪や京都らしい。知られていないが京都は病院が多いという。さらに差別的な京都では歯科医は医者ではないという意識が定着している。


産経新聞

カテーテル誤挿入で死亡 大阪の国立病院、人工心肺取り付け時 (1/2ページ)
2009.10.16 14:14
救急搬送受け入れ問題

医療事故のあった大阪医療センター=大阪市中央区

 大阪市中央区の国立病院機構大阪医療センターで、入院中の男性患者(69)が人工心肺装置を取り付ける際、カテーテルの誤挿入で血管を損傷、その直後に容体が急変し死亡していたことが16日、病院関係者への取材で分かった。病院側は医療事故として大阪府警に通報。司法解剖の結果、死因は出血性ショックと判明した。府警は業務上過失致死の疑いもあるとみて関係者から事情を聴いている。

 病院側の説明などによると、男性は10月5日、大阪市東成区大今里南の洗剤工場で作業中に起きた火災でやけどや一酸化炭素中毒などの症状で救急搬送され入院。翌日から肺の機能が低下して意識不明となり、11日午後から20代の男性医師ら2人が人工心肺装置を取り付ける緊急手術を実施した。

 人工心肺装置は通常、太ももの静脈から直径数ミリの細長い管(カテーテル)を心臓まで通し、酸素不足となった血液を抜いて人工肺で血液に酸素を注入。ポンプで循環させ、一時的な血流維持などに使われるが、病院関係者などによると、医師が男性の左太ももからカテーテルを挿入した際、誤って静脈を損傷した可能性が高いという。




群馬県太田市の市民の心臓 栃木県足利市赤十字病院の血塗られた赤い十字架

2009年11月07日 13時49分48秒 | 健康と医療
そうか赤十字とは血塗られた赤い十字架の意味であったのか?
つまりキリストの磔を再現するために、患者を十字架に掛けるということだったのか?

足利市赤十字病院での今回の心臓内への金属ナットの置き忘れで、再手術を行うことがそれだけでも危険なことである。

心臓は肋骨に覆われ心膜に覆われ外部からかなりしっかりと守られた臓器である。心不全を患っている患者の心臓が上部であるはずがない。一回の手術でも負担が大きいが立て続けに二回も行うとさらに危険な状態に晒されるはずである。


産経新聞

術後心臓にナット残す 足利赤十字病院、患者死亡
2009.11.6 13:41

 栃木県足利市の足利赤十字病院で10月、群馬県太田市の60代の男性患者の心臓手術を行った際、手術に使用した器具のナットを誤って心臓内に残したため、再び摘出手術を実施していたことが6日、明らかになった。男性は手術の3日後に心不全で死亡した。病院側は「あり得ないミス」としながらも、死亡との因果関係は否定している。栃木県警は司法解剖し、業務上過失致死の疑いも視野に捜査を進めている。

 病院によると、男性は心臓の心室と心房の間にある僧帽弁が閉じなくなる疾患があり、10月5日に人工弁に交換する手術を受けた。その際、大きさ約1・5センチの金属製のナットが手術器具から落ち、左心房に残ったとみられている。

 術後にガーゼなどの残留物を確認するために行ったエックス線検査で、ナットが見つかり、約10分間の再手術で摘出した。男性は3日後の8日、心不全で死亡。病院は県警足利署に通報した。

 記者会見した小松本悟院長は「男性は過去に2度心不全を患っており、手術後に心不全を起こす可能性があることは説明済みだった」と説明し、男性の死亡とナット残留の因果関係を否定した。




栃木県足利事件の再発 足利赤十字病院ナットを心臓に置き忘れ

2009年11月07日 13時32分44秒 | 日毎起こること
悪名高き赤十字、心臓内部にナットを忘れても因果関係なしとはこれいかに?
募金だけは強制的に町内会で徴収し、名前と金額まで書かされ町内会で回していくため、だれが幾ら募金したかが分かってしまう。個人情報がうるさく言われるなか、踏絵をやらせる市と赤十字の結託は、恐ろしいものがある。

そうだったのか、エイズ患者が頻繁に訪れる病院だけに新型インフルエンザでも多くの患者が行くことであろう。しかし、あの病院へ行くと帰ってこれないと言われる病院が赤十字を含め栃木には多いという。いまやHIV患者でも恐れなくなった日本人が、新型インフルエンザには恐れをなしている。しかし、今使われているワクチンでの効果は果たしてどうなるのかは未だ分からない段階である。

特にJA系の佐野厚生病院は恐るべきである。住専の失敗で巨額の借金を抱え込んだJA(農協)は病気を捏造してでも手術をする奈良の山本病院のようである。まだまだ使える病棟をすべて取り壊し、巨大なビル建築の病院に生まれ変わったが、それらは羊頭狗肉以外の何ものでもない。治療費を篦棒に取るが、患者の意志も聞かずに勝手な検査を行う。


読売新聞

心臓にナット残すミス、病院側「死亡と関係なし」

 栃木県足利市の足利赤十字病院(小松本悟院長)で10月、60歳代の男性患者に心臓手術をした際、手術で使用した器具から外れた金属製ナット(幅約1・5センチ)を心臓内に残したまま手術を終え、直後に気づいて摘出手術を行っていたことが6日、わかった。


 男性は手術の3日後に心不全で死亡した。病院側は、ナットが残ったことについて「通常ではあり得ないミス」と認めたが、「死亡との因果関係はない」と説明している。

 病院の発表などによると、男性は左心房と左心室の境の弁に異状があり、10月5日、人工弁に置き換える手術をした。その際、人工弁を持ち運ぶための器具のナットが外れたとみられ、医師は気づかないまま手術を終了。手術後にエックス線で、ナットが残っていることがわかり、摘出手術した。男性は、術後良好だったが、容体が悪化し、同月8日に死亡した。

 病院側は「人工弁に交換する手術は成功だった。ナットが外れた原因や心臓に残った経緯については、調査チームで調べている」としている。
(2009年11月6日19時48分 読売新聞)




どこの病院かはしらねえども 栃木の病院でナット心室に置き忘れ

2009年11月07日 06時01分22秒 | 健康と医療
医療関係者は疲れている。医師不足なのに患者の数は増えるばかりで、意識朦朧の医者が増えている。そしてそのような医者でも手術をしなければならない。

結果どうなるかというと、こうだ!


newstbs

心臓にナット置き忘れ、術後に患者死亡

 先月5日、栃木県の病院が心臓の手術を行った男性の心臓の中に金属製のナットを置き忘れ、その後、男性が死亡していたことがわかりました。警察は業務上過失致死の疑いもあるとみて調べています。

 病院によりますと先月5日、心臓疾患がある60歳の男性患者に対し、心臓の弁を人工のものに換えるための手術を行いましたが、この際、心臓の中に手術で使う器具で、およそ1.5センチの金属製ナットを置き忘れたということです。

 金属製ナットは手術後に行うX線撮影で発見され、およそ10分後に取り出されましたが、男性は3日後の10月8日に死亡しました。

 病院は男性の死亡後、すぐに警察に通報し「事故と死亡の因果関係はない」としていますが、警察は、業務上過失致死の疑いも視野に入れて、詳しく話を聴いています。(06日18:18)




好き嫌いの県は人さまざま 10月発表のNHKの報道では茨城・栃木・群馬

2009年11月07日 04時45分18秒 | 文学・思想
いろんなところで好き嫌いな都道府県があります。

その理由もまちまちでしょう。
その県で嫌な思いをした人間にとっては、その県のすべてが嫌いになることもあります。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、などというように?

文化などで比べると、一応関東とはいえ、コンサートでも世界的に有名な演奏家が来ることがあるので、東京よりもチケット代が安いこともあり、主催者の知り合いもいるため何回か聴きに行ったことがあります。

驚いたのはそのマナーです。
演奏最中のピアノコンサートに堂々と扉を開けて入ってくる人間が何人もいるのでした。もっと驚いたのは掛かりが案内していたことです。たしかカツァリスはあれ以降群馬に来ていないのではないでしょうか?

栃木の壬生でのツベルマン(ツィマーマン)のピアノコンサートでの演奏中最も興の入る演奏の時に頓珍漢がいきなり拍手をして、ツベルマンの顔から血の気が引いたのを今も覚えています。あれ以降栃木での演奏はやっていないのではないでしょうか?

本場ヨーロッパではそういうことが起こると大変な騒ぎになります。
開演中はドアの前には掛かりが立っており、中へ入れることは先ずありません。

西洋の音楽なのでほとんど人気がないとはいえ、では音楽が好きな人たちは何故本格的な音楽を嫌うのでしょうか?

文化ということを抜きにすれば、栃木で暮らすことは何ら問題とはならないでしょう。

私も北関東では釣りでお世話になっています。シーズンがありますから春分から秋分の間に限られます。

群馬では前橋の煥乎堂と太田のイオンにある書店は品数がそろっている。
栃木では宇都宮に大型書店があったと思っていたが、捜してみたが見つからなかった(数年前のこと)、佐野のロックタウンに宮脇書店があるここが栃木県内最大と歌っているが、岩波の書籍は扱っていない。文庫も新書も手に入らないから、読書人にとっては最悪最低の烙印を押す。足利には岩下書店?があるがここが唯一充実しているのではないかと思う。ただし、楽器店も混在していた。

茨木は水戸しか知らないが本屋を捜したが見つからなかった。
それほど執着させないところである。笠間には何度も足を運んだがやはり遠いので最近は行っていない。

群馬の前橋には新幹線が止まらない。なぜ高崎に停め前橋に停めなかったのか?

大宮なら東北・信越の新幹線が接続していて便利であるが、大宮は犯罪の多い町らしい。

どこへ住んでもいろいろ問題はあるが、栃木県人の知り合いがもっとも栃木のことを悪く言っているので恐れ入ったことがある。すでにその人は先祖から数えると1200年ほど栃木に住みついている本当の栃木県人である。その人の言い分には栃木にはアホしかいないらしいということである。彦根城築城400年には桜田門の変でイイナオスケが切られたときには厚く陳情したとかの縁で、彦根市に呼ばれたとかである。そこで個展を行ったが、誰一人購入する者がいなかった。そしてその人はこう言っていた、「こんなバカな町はない」。わたしも築城400年祭のJR彦根駅で降りたことがあるが、なんとなく寂しい町であった。日本はどこもかしこも沈み込んでいる気がした。
全国津々浦々見て回っているが、活気のあるところは東京を含めても落ち込みが激しい、と感じざるをえない。


ヨーロッパの古い町のような特色のある町づくりをしてきたわけではなく、次々と古いものを壊して新しいもの新しいものへと工場で作れるような町を作ってきたのである。肝腎の伝統を取り壊したのだから生き物の活気が消えていくのは当たり前である。都市とは無機物ではなく有機的な存在である。全国津々浦々伝統を取り壊してミニ東京を拵えたのであるから滅ぶのも早く、そういう町づくりを行ってきた役人の腹の中はどす黒い内臓で構成されている。

それだけに民には辛辣に対応するのであろう。


沖縄の人たちが選んだ嫌いな県
センタク

好きな街を選ぶことは好きな恋人に出合う以上に難しいことである。
住むべき街を選べないことには、ルサンチマンが起きる。

街を作る基本は大人のために作るという事であるが、日本の街作り、特に観光地などでは子供を目当てに街を作り出す。

たとえば湖に浮かべるボートの形を見るだけで子供を目当てにしているのがわかる。