一番自分自身と関わっているのは時間である。
人間一人に必要な空間は、立って半畳寝て一畳という禅宗の教えがある。
それだけの空間はさまざまなところで見つけられる。
マクドナルドのコーヒー無料の日に行けば、コーヒーのお代わりが自由で、おまけに24hやっている所なら、ずうっと1カ月過ごすことも可能である。
その点、時間は限られている。もし他人に雇われていれば時間は自分の時間ではなくなる。時間の多くは他人のために消費しなければならない。それがすべて無駄になるわけがないが、自分のための時間が必要な人間にとってはかなりの無駄になる。
たとえば創作家は自分の時間を持つことが必要である。
作品を作るために自分の時間が無限に必要となる。
傑作はいつできるとも限らない。思想がいつ生まれるとも限らない。
寝ている間にインスピレーションが来ないとも限らない。
とにかく束縛から逃れるために、多くの創作家たちは暇と引き換えに貧乏を余儀なくされている。
しかし、創作家でない人々も自分の時間は必要である。
今、企業などでは14時間拘束も珍しくないが、通勤に2時間近くかかる人は、残りの時間は8時間しかない。食事・風呂・睡眠だけでも足りない。しかも、自宅に帰って仕事の残りや明日の準備をやるとなると、睡眠も碌碌取れない。
そういう生活を繰り返しているひとは少なくはない。
バブルの頃は24時間働けますかという、アホな健康ドリンクのコマーシャルがあったが、若い女の子たちも1本1000円もするドリンクを飲みながら24時間に挑戦していた。
どう考えてもそんな無茶苦茶なことをやっていて、身体が持つはずはない。
多くの人が過労死した。そして心筋梗塞やクモ膜出血で身体が動かない人々も多く出した。
主婦たちはこどもの教育のために、塾へ送り、体力作りにフィットネスクラブやバレーボールにいそしんだ。結果、奥さんだけが今日でも元気で年金を受け取り、おしいものを食べ歩き、長生きしている。そして子供たちは、30代自殺が増え、鬱状態の中年が増え続けている。
結局、個人が自分の時間を自分のためにではなく、周りのために使いすぎた結果である。
時間の基本は自分のためにあり、その3分の1は社会のために使うとしても、それ以上を使うとすれば、異変の方が大きくなってくる。
だてに、一日8時間の労働を定めたのではない。
綿密に計算された科学的な根拠があってのことである。
この労働を2倍にするだけで二酸化炭素が2倍の値を占める。
夜間労働はさらに環境を悪化させる。
夜は休むために作られていることは身体の機能が証明してくれる。
煙草が健康の害なら、労働はさらに健康を害する。
むかしの労働者は時間にたいしてはうるさかった。
残業代が出ない労働などはありえなかった。
少なくとも働くものの権利である。
しかし、創作をする者には何の権利もない。
24時間自分のために使うのである。
病気しても飢えても自己責任である。
他人の責任が関与する場合はほとんどない。
悪いのは自分である。
そういう意味では悲しい商売である。
最近、知り合いの工芸家から連絡が来なくなった。
ひょっとして今頃ふたりしてミイラになっているかもしれない。
あるいは頼りのないわたしを見放したのかもしれない。
わたしが口先だけの人間だと気づいて嫌になったのだろうと思っている。
歯医者には通うことができるが、口の悪いのは脳外科に行っても治らないみたいだ。
人間一人に必要な空間は、立って半畳寝て一畳という禅宗の教えがある。
それだけの空間はさまざまなところで見つけられる。
マクドナルドのコーヒー無料の日に行けば、コーヒーのお代わりが自由で、おまけに24hやっている所なら、ずうっと1カ月過ごすことも可能である。
その点、時間は限られている。もし他人に雇われていれば時間は自分の時間ではなくなる。時間の多くは他人のために消費しなければならない。それがすべて無駄になるわけがないが、自分のための時間が必要な人間にとってはかなりの無駄になる。
たとえば創作家は自分の時間を持つことが必要である。
作品を作るために自分の時間が無限に必要となる。
傑作はいつできるとも限らない。思想がいつ生まれるとも限らない。
寝ている間にインスピレーションが来ないとも限らない。
とにかく束縛から逃れるために、多くの創作家たちは暇と引き換えに貧乏を余儀なくされている。
しかし、創作家でない人々も自分の時間は必要である。
今、企業などでは14時間拘束も珍しくないが、通勤に2時間近くかかる人は、残りの時間は8時間しかない。食事・風呂・睡眠だけでも足りない。しかも、自宅に帰って仕事の残りや明日の準備をやるとなると、睡眠も碌碌取れない。
そういう生活を繰り返しているひとは少なくはない。
バブルの頃は24時間働けますかという、アホな健康ドリンクのコマーシャルがあったが、若い女の子たちも1本1000円もするドリンクを飲みながら24時間に挑戦していた。
どう考えてもそんな無茶苦茶なことをやっていて、身体が持つはずはない。
多くの人が過労死した。そして心筋梗塞やクモ膜出血で身体が動かない人々も多く出した。
主婦たちはこどもの教育のために、塾へ送り、体力作りにフィットネスクラブやバレーボールにいそしんだ。結果、奥さんだけが今日でも元気で年金を受け取り、おしいものを食べ歩き、長生きしている。そして子供たちは、30代自殺が増え、鬱状態の中年が増え続けている。
結局、個人が自分の時間を自分のためにではなく、周りのために使いすぎた結果である。
時間の基本は自分のためにあり、その3分の1は社会のために使うとしても、それ以上を使うとすれば、異変の方が大きくなってくる。
だてに、一日8時間の労働を定めたのではない。
綿密に計算された科学的な根拠があってのことである。
この労働を2倍にするだけで二酸化炭素が2倍の値を占める。
夜間労働はさらに環境を悪化させる。
夜は休むために作られていることは身体の機能が証明してくれる。
煙草が健康の害なら、労働はさらに健康を害する。
むかしの労働者は時間にたいしてはうるさかった。
残業代が出ない労働などはありえなかった。
少なくとも働くものの権利である。
しかし、創作をする者には何の権利もない。
24時間自分のために使うのである。
病気しても飢えても自己責任である。
他人の責任が関与する場合はほとんどない。
悪いのは自分である。
そういう意味では悲しい商売である。
最近、知り合いの工芸家から連絡が来なくなった。
ひょっとして今頃ふたりしてミイラになっているかもしれない。
あるいは頼りのないわたしを見放したのかもしれない。
わたしが口先だけの人間だと気づいて嫌になったのだろうと思っている。
歯医者には通うことができるが、口の悪いのは脳外科に行っても治らないみたいだ。