今までの経験上でも健全な読書経験を持っている人は漫画を読まない。健全な読書をする時間は人生には限られているからでもある。
最近は学者でも漫画を養護しているが、私の知っている学者先生たちはまず漫画やゲームやTVや雑誌ともほとんど無縁である。むしろ私の方がややそういう世界を知っているが、私も子どものころからほとんど漫画を読んだことはない。TVで漫画を見ていた磁気はある。ゲームもパソコンでやったことはあるが、ゲームはすぐにバカバカしくなり、ソフトそのものを消去するか捨ててしまう。
音楽もフォークもロックもジャズも聴いたしレコード・テープ・CDなども持っていたがやはり捨ててしまった。それらは私が買ったものだが、若いときはいろんな知人が我が家に遊びに来て、当時様々なオーディオ装置を持っていて、私のところへ音楽を聞きに来る人間がいた。そして自分でレコードを持ってくるものはほとんど無く、私にレコードを買わせて、それを聞くのだが、そういうレコードが数百枚もたまってしまった。いまではそういうレコードは高値で取引されている。私はそれらは二十歳になる前にすべて消去した。成人になるにはふさわしくないと考えたからである。高校の時に買ったクラッシク全集を除いてほとんど無くなっている。やはり高校あたりから猛烈な読書が始まった。起きてから寝るまで読書の日々であった。それと音楽を聴き、絵を見るという猛烈な生活が始まっている。一週間に何度も美術館に通い、食事も取らないで本を読む。とにかく猛烈に精神的な事に飢えきっていた。
視覚的に造形的に漫画はやはり幼稚である。言葉の上でもやはり幼稚と言わざるをえない。手塚治虫でさえやはり幼稚である。とにかく私の経験からだけではないが、読書する人たちは強い。単なる読書ではなく、古典を読んでいる人間は動じない精神をもっている。骨組みが強い精神を持っているから、大地震にも耐えられる。そして重要なのは宗教的な精神を持つ人間はさらに強い。宗教的なというのは何々教を指すのではない。
人間が発生するにはそれなりの火が宿らなければならない。その火を入れ込む何かの力を信じるかどうかと言うことであるが、我々日本人はその火を入れ込む何かに対しての信仰を失っている。これは明治維新(1868)から薄れだしてきた精神であるが、この火のことを考える人たちの読書はさらに強靱な精神を作りだしていく。
レオナルドにしても、ベートーヴェンにしても、セザンヌにしても、トルストイにしても、ゲーテ(1749~1832)にしてもそれらの火について考えないことは無かったようである。
自立することは極めて重要である。自立すると言うことは自分で物事を判断し、行動し、交渉することである。
ユダヤ人は常に自立精神を育てようとする。形あるものよりも智力を求めようとする。財は智力のもとに集まってくる。日本人が蓄える財力はものの効用であるが、ユダヤ人たちは智力を構築し、経済の基本法則を打ち出してくる。そしてユダヤ教という特殊なもっとも古い宗教とともにある。
その独自性はいつの時代でも迫害にあうほど、協力なものである。統一教会も創価学会もそれらの力には及ばないであろう。アメリカはユダヤ人の資本によって動かされているともいう。WASPの上層部がアメリカを牛耳っているのではない。イスラエルの建国はアメリカとイギリスとロスチャイルドが資金を出して作りだしたという。その建国の資金の半分近くを個人のユダヤ人が捻出したというのである。どれだけその力があるのかいまもって計り知れないという。ソロスの資金をコントロールしているのも多くのヘッジファンドをコントロールしているのもロスチャイルドが裏で資金を提出しているとさえいう。
私は実質的には詳しいことを知っているわけでないが、参考文献として広瀬隆の『赤い楯』をお勧めする。漫画を読むよりはスケールも大きいし、漫画のようには簡単に読めないもので、まずは時間つぶしとして読んで見るとよい。キリストもマルクスもユダヤ人であるし、ユダヤ人は思想的にも科学的にも大きく世界を回転させているのである。東洋人の我々もそれらに振り回されているともいえるのである。
AUTHOR: 山田ひさし
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DATE: 07/05/2007 13:09:09
Unknown
さみしい人ですね。
そして、自分の事が大好きなんですね。
そこまで俗っぽいものを毛嫌いしなくても・・・
漫画と読書を必死で比較してあーだこーだいってるほうがよっぽど幼稚ですね。
まして幼いころから漫画に触れてないんでしょ?そんな人に何がわかるのですか?触れもしないで幼稚と決め付けるのは良くないでしょう!あっでも今から触れたとしても幼い頃からのねじまがった固定概念が邪魔して何の理解もできないでしょうね
かわいそーな人・・・そして、情けない人・・・・