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コムスン折口雅博氏 少年自衛隊に入学 日本経団連理事に就任

2007年06月10日 10時40分36秒 | 生存権・労働問題
折口会長の目が特色ある。私は人間の目つきに興味があって仕方がない。天才の目つきというのは深いが、この男の目は人の目ではない。ジャッカルから生まれたというダミアン666の目である。とても人間の目ではなく、邪悪な野獣の目に近い。そしてあの広い額は知性ある額ではない。湯川秀樹のような知性が漲った額ではなく、悪事を司る額である。

日雇い派遣から用途不明の保険料を搾取しながら、平気で公然と嘘を吐く。

こういうお仲間を経団連は理事にまでしている。その体質が日本企業の全体に漲っている。

明治維新(1868)から新政府がやり出したことは、富国強兵であり、今の安倍晋三も長州の出身らしく、明治政府のやっていることをトレース仕様としている。

安倍晋三の可愛い奥さんは、森永一族であり、コムスンよりも非道い森永ヒ素ミルク事件の当事者のお仲間である。

安倍晋三は折口会長とも懇意にしていたのである。まあ、実業界に出て行くものは政権とつながるのは今更いうことでもないが、ついこないだの何とかライブドア社長とのことを考えてもあほらしい。

とにかく人間は見る力を養うには視覚芸術に没頭しなければならない。五〇〇〇年の人類の遺産である彫刻・絵画などをじっくりと見る必要がある。人の声を判断するには聴覚芸術に没頭しなければならない。思考力を養うには思想・哲学・宗教書を読まなければならない。世界文学は事の他大事である。

結局大衆の質がその時代を創り出すのであるから、トップを選ぶことの重要性を考えなければならない。トップは大衆を手なずけようとするから、その暗示に大衆はかかってしまうであろう。トリックであの弱かった格闘技家元気とかいうハッタリ屋がのさばるようでは大衆も自分の臭い臭いが感じられないのであろう。聖セバスチャン元気よラテン語で語れ!



グッドウィルからの会長の経歴だが、今年4月と現時点での内容の変更


折口 雅博 (おりぐち まさひろ)
代表取締役会長(1961.6.11生) 



昭和59年03月 防衛大学校理工学専攻 卒業
昭和59年04月 日本ユニバック(株)(現日本ユニシス(株))入社
昭和60年04月 日商岩井(株)入社
平成03年10月 (株)ジュリアナプロモーション設立 代表取締役
平成05年11月 (株)ヴェルファーレ設立 代表取締役
平成07年02月 (株)グッドウィル(現グッドウィル・グループ(株))取締役会長
平成07年07月 (株)グッドウィル(現グッドウィル・グループ(株))代表取締役会長 
平成08年07月 YEO(青年起業家協会)ジャパン 第3期会長 
平成09年02月 (株)コムスン 取締役副社長
平成09年04月 (株)グッドウィル(現(株)グッドウィル・キャリア)取締役会長
平成09年08月 (株)コムスン 代表取締役副社長
平成10年06月 (株)コムスン 代表取締役社長
平成12年03月 (株)コムスン 代表取締役会長
平成12年07月 グッドウィル・グループ(株)代表取締役会長兼最高経営責任者
平成12年09月 (株)コムスン 代表取締役会長兼最高経営責任者
平成16年01月 社団法人 日本経済団体連合会 理事(現任) 
平成16年04月 (株)グッドウィル 取締役会長
平成17年01月 (株)グッドウィル 取締役会長 退任
平成17年01月 (株)コムスン 代表取締役会長 退任
平成17年07月 政府より紺綬褒章(日本赤十字社に対する貢献)を受賞
 


これ以降は今年の4月にコピーしていたもの


 


 折口 雅博 (おりぐち まさひろ)


グッドウィル・グループ株式会社
代表取締役会長 兼 最高経営責任者(CEO)


著書 :
「起業の条件」(経済界)
「折口雅博の50の逆説」 (東洋経済新報社)
「福祉革命」(IN通信社)
「プロ経営者の条件」(徳間書店)
 



1961年 東京都に生まれる。
人工甘味料の生産工場を経営する父は、戦後まもなく30歳で会社を設立。業界の長として活躍する父の姿勢が、折口氏の人格形成に大きな影響を与える。裕福な生活は父の会社の倒産で一変し、「力をつけて絶対に勝つ」との強い意識を持つ。 
 
1977年 陸上自衛隊少年工科学校入学(15歳)
経済的理由から、費用がかからず、月給も支給される少年工科学校に進学。生徒会副会長、学年委員長をつとめる。 
 
1980年 防衛大学校入学(18歳)
理工学を専攻。4年のとき、ナポレオン・ヒル著『成功哲学』に出逢い、「成功したいと強く願うなら、誰でも成功できる」の言葉が座右の銘となる。 
 
1984年 防衛大学校卒業(22歳) 
 
1985年 日商岩井入社(23歳)
日本ユニバック(現・日本ユニシス)で1年間コンピュータの販売を経験した後、1985年、日商岩井入社。電子機器部に配属され、東欧向けオーディオ製品の輸出に携わる。初年度から大胆なことをする「はみ出し社員」ながらも、必ず利益を出し、人事評価は、査定のつく入社4年目からつねに「A」。1988年、円高により輸出業務撤退。電子機器とレジャー産業の結びつきを考えるようになり、1989年、27歳のとき、浜松にインドアウォーターパークを建設。電子産業部の一社員が建設の元請け契約を成立させたことで社内を驚かせた。 
 
1991年 ジュリアナ東京総合プロデュース、日商岩井退社(30歳)
レジャー産業を探求する途上で、スペース対利益の究極としてディスコをプラン。施設作りでは世界トップクラスの英国ウェンブリー社を起用し、ジュリアナ東京プロジェクトを実行。大手商社と有名ディスコの提携という話題性を活かし、5月開業。「商社に就職したのは、大きな仕事をやりたかったから。30歳までに辞めて起業するか、残って役員になるか」決めていた折口にとって、ジュリアナはあくまで起業のきっかけでしかなかった。社会現象となるほどの爆発的ブームを作り出し、巨額の利益を生み出しながらも、利権争いに巻き込まれ、去ることになる。 
 
1994年 ヴェルファーレ設立(33歳)
六本木に1200平方メートルの好適地を見つけ、ジュリアナの経験をフルに活かし、独力で再スタート。1993年11月(株)ヴェルファーレ設立、社長に就任。1994年12月オープン。40億円を超える大プロジェクトは、ジュリアナ東京に続く大ヒットを記録し「時代の寵児」と呼ばれた。店名は「ヴェルサーチ」「フェラーリ」「アルマーニ」などを混ぜ、自身で考案した。 
 
1995年 株式会社グッドウィル設立(33歳)
「人材派遣業の大手」ではなく、人材にまつわるあらゆるサービスを提供することを目指して設立。自身のビジネスの方法論のもとに、必ず成功するとの確信を持っての創業だった。翌1996年にはヴェルファーレを退社、すでに軌道に乗りはじめていたグッドウィルの経営に専念する。YEO(世界青年起業家機構)ジャパン1998年度会長。 
 
1997年 株式会社コムスン代表取締役社長に就任(36歳)
2月には、在宅介護サービスの大手である株式会社コムスンにグッドウィルが資本参加して筆頭株主になり、同時に、同社副社長に就任。事実上の経営権を譲り受けてシルバービジネスに本格的に参入した。 
 
1999年 株式会社コムスン代表取締役会長に就任(38歳)
7月にコムスンを子会社化。 
 
2000年 グッドウィル・グループ株式会社
「1999年度 日経ベンチャーオブ・ザ・イヤー」新規上場企業の部3位 
 
2002年 経済界大賞 青年経営者賞を受賞(41歳) 
 
2004年 1月 日本経団連理事に就任(42歳) 
 
2005年 7月 政府より紺綬褒章(日本赤十字社に対する貢献)を受賞(44歳) 
 



2007-06-07 22:30:54