元イギリス王室ヨット、幕府海軍御用船/砲艦の蟠龍丸です。
1858年、日英修好通商条約の手土産として英国より将軍に献上され、日本で砲艦に改造されました。
箱館湾海戦では松岡磐吉艦長指揮のもと、官軍の朝陽丸を爆沈させたことで有名です。
王室御用船だけあって内装は赤天鵞絨の絨毯に鏡張りの壁面など絢爛たるものだったようです。
箱館戦争時、松前城への艦砲射撃にあたり、城の台場からの反撃で24斤砲が命中、幸い大事には至りませんでしたが、その際に内装の鏡は破損したようです。
武装は砲4~5、6門(資料により複数あり)。今井信郎『蝦夷之夢』では朝陽丸を轟沈させたのは3番砲の『12斤「ナポレヲーン」「カーン」』と記述されており、
6~12ポンドの小口径砲が搭載されていたようです。
朝陽艦撃沈後に陸へ乗り上げて乗員は五稜郭へ脱出、船は焼かれました(自焼か官軍放火の2説あり)。
戦後、焼け残っていた船体はイギリス人商人の手で上海で修復され、2本マスト練習艦として日本海軍”雷電”となり海軍兵学寮で1888年まで使われ、
その後は民間へ無償譲渡。雷電丸として捕鯨船など役割を転々とし、1897年に解体されました。
蟠龍ですが、自焼はしていません。私は松岡磐吉を調べているのですが、退艦するとき、「機関だけ破壊すればいい、船は後日(官軍が)使うこともあるだろうから」と、放火を禁じています。放火したのは佐賀兵です。朝陽の中牟田が死んだと思ったので、敵討ちということで。
そんなことを言っていたのですね>松岡磐吉艦長
まあ目の前で味方艦が小型の敵艦に一発で葬られたのが相当ショックだったんでしょうね。
松岡さんも勇敢に戦ったし有能だったのに、報われない最期を遂げてしまいましたね…、。