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アボルダージュ!幕府海軍外輪コルベット・回天(明治二年)

2013-12-17 20:21:44 | 幕末


北上「あの武器だけは、やっぱ載せないでよね。頼んだよ」
回天「Mach dir keine Sorgen(心配するな)!今度こそあのフランス娘を乗っ取ってくれる!」(以上、会話のドッヂボール)

というわけで蝦夷共和国最後の旗艦、回天丸です。宮古湾海戦における単独でのアボルダージュで有名ですね。

全長76メートルの木造外輪式コルベット。幕府海軍時代の兵装は50ポンド施条長砲(おそらくダールグレン5.1インチライフル砲が該当する。絵で右手に持ってるのもそれ)1、40ポンドブレークリーライフル砲10、15拇ホウイッツル2。速度は最高10~12ノット。

元は見事な三本マストのコルベット艦でしたが、蝦夷上陸時には途中の台風で後部マストを残して帆を失い、変わり果てた姿になっておりました。
その時の姿が同行したフランス軍事顧問ブリュネのスケッチに残されております。
ちょっと模写してみました。宮古湾海戦や最後の箱館湾海戦まで、この後部マストと仮設前部マストだけを立てた姿で戦ったようです。
あと回天丸の絵画にある外輪覆の車輪型模様ですが、元のダンツィヒの絵にはなかったので後者を採用しました。

甲鉄奪取のため艦長の甲賀源吾、陸軍奉行並土方歳三と海軍奉行新井郁之助を乗せて宮古湾へ出動。
協同するはずだった高雄と蟠龍に合流できずに単身、アメリカ国旗を掲げて宮古湾へ突入。甲鉄の横腹へ突きかかり
「アボルダージュ」が実行されました。しかし、ガトリングガン(小杉雅之進の記述を参照すれば1インチ口径の1865型)などを用いた甲鉄艦内からの必死の抵抗で移乗攻撃は失敗、
乗り込もうとした新選組隊士や彰義隊士、艦長の甲賀をはじめとした乗員など多くの死傷者を出して宮古を去りました。
(この時甲鉄乗員が使用した”短槍”はおそらく和槍ではなく、当時の欧米艦に装備されていた移乗攻撃防止装備のパイク。甲板上で数人で槍衾を作って敵の乗り込みを防ぐもの)

箱館湾では機関故障により浮き砲台となって味方唯一健在だった蟠龍を支援。敵艦から100発以上の砲弾を受けながら戦い、
最後は官軍に放火(味方による自焼説もある)されて最期を遂げました。


二枚目は移乗攻撃カード(またかい!)。斬り込み隊のメンツは資料によってさまざまなので、ちょっと大雑把に。

プロイセン製でイギリスにいたこともあるので、フランス生まれの甲鉄艦とはどのみち仲良くなさそうですね…。