ポンコツPAK-ブログサイド-

ミリオタ、エルンストによるブログです。
pixivでダラダラ描いてます。

白虎隊(会津藩・士中白虎二番隊。慶応四年八月)

2012-03-15 21:00:34 | 幕末


戊辰・会津戦争時の会津藩・士中白虎隊隊士です。そのなかでも飯盛山で自刃したことで知られる士中二番隊の服装です。演武や一部の絵図などの切袴と違い、黒マンテルにズボンというのが一般的な服装だったみたいです(マンテルは各家でも自作させてたようです)。
持ってる水筒はアメリカ南部製の北軍コピー品です。絵に描いている「CS」バックルは現存してませんが一緒に持ってきた可能性もあります。
なお、日新館生徒の遺物の中には無紋?のスプーンバックル式のベルト(和筒用改造胴乱付属)が現存しています。

このころの会津藩の火器や装備などはスネル商会が持ち込んだ南北戦争時の中古品でした。白虎隊の中にも灰色のズボンを履いていた方がいたそうです。西のグラバーや東のスネル、そのほか多くの武器商人たちが南北戦争の中古品を日本に売り込み、中には前の持ち主の名前が入ったものも発見されています。

銃はヤーゲル銃(ミニエー銃以前の狩猟/猟兵用ライフル。球形弾を布や薄革でくるんで装填する)の中からチョイスしました。
白虎隊の火器はゲベールかこのヤーゲル銃で、ミニエー銃はおそらく朱雀隊などの主力部隊に支給されたものと思われます。
現在の会津でも少数ですが短エンピール銃などが発見されてるそうです。
この頃の会津藩はエンピールなどの各種ミニエー、ゲベール、ヤーゲルなど銃の装備が不統一で、部隊ごとに水準が異なっていたようです。

韮山笠の文様と、朱鞘の大小刀のデザインは「白虎隊自刃図」を参考にしました。絵図自体は昭和期の作ですが、筆者の方は会津戦争経験者です。また、韮山笠は現存するものもこのように金泥で彩られたものが多いです。(記述では白虎隊は帽子は付けずとあります。伊藤悌次郎のみは軍帽を被っていたとも。アメリカ軍のマクレラン帽やフォレージキャップの可能性あり?)
前回の新政府軍兵士と比べてみますと、改めて合印や錦切れの大切さがわかります…。そして両者の装備の違いも…。