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謹賀新年!幕府組合銃隊司令官

2012-01-05 21:48:38 | 幕末


明けましておめでとうございます。新年は幕末軍装で迎えさせていただきます。
慶応三年正月に描かれた錦絵「調練歩行の図」より、幕府陸軍・組合銃隊の司令官を描いてみました。
赤い笹縁と袖口に折り返しの付いた紺か紫のレキション羽織に緋色のベスト、金で破軍星と雲の描かれた韮山笠をかぶっています。

絵では後に続く鼓手は黄色のそぎ袖羽織、笛手は紺のレキションにバスドラム担当は緋色のレキション。教導方の下士官は紺のそぎ袖羽織を着ているようで、兵卒はいたって普通な韮山頭巾に筒袖ダンブクロ姿です。しかし隊長のみならず、楽手も下士官も革靴履きです。
一隊ごとに相当金かかってます…。

慶応二年の兵制改革では洋式銃隊の拡充を図るべく、従来の歩兵組とは別に旗本の石高に合わせて決められた数の兵卒を雇わせ、雇い主の旗本を士官とする「組合銃隊」制を定めました。
これは七千石以上の家で歩兵小隊が一個出来る計算でしたが、六百石くらいだと十個以上の家の人員を合わせなければ小隊が揃いませんでした。
これでは一個大隊作るだけで大変で、しかも各家から差し出された士官と兵員の質がバラバラという有様でした。
結局見直しが決定されて翌慶応三年九月に廃止となり、一度雇った兵士も解雇されました。その数実に4000人!この多数の失業者の群れは江戸の社会問題にもなりました(最も歩兵組も人員増強の必要があったため、再就職は可能だったでしょう)

その軍装ですが、士官兵とも各家・小隊ごとに朱色や黄色、萌黄のそぎ袖羽織に装飾の施された韮山笠や突盃頭巾など、それぞれが意匠を凝らして着飾っていたようです。
期間は短かったものの、その派手な姿が町人には面白く写ったようで、よく錦絵の題材にされて今日にその姿が残っています。
組合銃隊の一個大隊が日本橋を渡る図、越中島の訓練場で大規模な調練を行ってる図。また双六の題材などにも使われました。

軍装の一例
第一小隊は連雀町の皆川連之丞の隊にて真先に二つ巴の定紋染め抜いたる縮緬の旗を押し立て二人の鼓手は緋羅紗のそぎ袖に白羅紗揃ひの
戎服に金紋打ったる韮山笠を冠り歩兵は紺呉絽揃ひの服装にて笠は役員と同じものを戴き意気揚々たる後とに続いて第二番小隊は駿河台の…(太田臨一郎「日本近代軍服史」より)

それではこの記事をもって新年のご挨拶とさせていただきます。(なんて無理やりな…)今年もよろしくお願いします。