「描かれた幕末明治」イラストレイテッドロンドンニュース1863年9月の記事より。
横浜近辺で招集された農民兵のイラストの部分です。韮山笠に「淡青色の上張り」、たっつけ袴と一般的な当時の洋式銃隊に見えますが、右端の兵士の火器に注目!
なんと、ゲベール銃が”あの”日本ではなじみの薄いといわれるフリントロック式なんです。
西洋世界でのフリントロックの発明時、日本では太平の世が訪れ、火器の発火法式は幕末まで火縄式が主流でした(17世紀末に火打ち式の方式だけは伝わったようです)。
天保年間に砲術家の高島秋帆が研究した日本初の洋式兵学「高島流砲術」はフリントロック式銃を用いた戦列歩兵のマニュアルを扱ったもので、
その際にオランダ製のものが長崎に輸入されました。
江戸近郊の徳丸ヶ原でこの高島流砲術が実演された天保十二年(1841年)は、西欧各国の軍隊でフリントロックがパーカッション式にとって代わる前年にあたります。
その後、ペリー来航などのあった嘉永年間にフリントロック式銃は浦賀奉行所などに非常用に装備されたようで、
恐らくその後の文久年間にはそれらがパーカッション式のゲベール筒に更新され、フリントロック銃は地元の農兵部隊へ払い下げられたかなんかしたようです。
なお、慶応元年に同地で描かれた郷兵隊と思わしきスケッチでは雷管式ゲベール銃に更新されてました。
フリントロック式マスケット銃は日本の洋式兵学の基礎を築いた後、実戦で使われることなく細々と20年ほど使われたことになります。
なんでいまになってこんな話題を書いたかって?今こんな絵を描いてるのさ…。