この秋、何作かの肖像画を並行して描いてきた。
今回ご紹介する作品は、その中の1点。
数年前、お世話になっている画商さんから紹介されて、某百貨店内のギャラリーで開かれた企画展に出品したことがある。 それがきっかけになって、そのギャラリーで常時肖像画の案内をしていただいている。
この絵は、そのギャラリーを訪れたお客様からのご依頼で描くことになった。
直接依頼される場合と違って、間に百貨店・画商さんが入ると、依頼主の生の声を聴くことはなかなか難しい。 結局は預かった数枚の写真だけを頼りに描くしかなく、それは私に限ってのことかもしれないが、制作を進めるうえでかなりの困難を感じていた。
「できることなら、一言だけでもいいので直接飼い主さんの思いを聞きたい。 それが絵を描く上でとても大きな助けになるから・・・」
ことあるごとにそんな希望を双方に伝えていたところ、いつしかその思いを理解してくれたらしく、肖像画の依頼話があると、そのご依頼主と直接話をさせてもらえるようになっていた。
そして今回も・・・。
モデルはミニチュア・シュナウザーのムーミン君。
受話器越しに聞こえてきた依頼主 M さんの声は、ご年配特有の穏やかさが感じられた。
「もう十数年も前に亡くなっているのですが、今でも忘れられなくて・・・。 主人の誕生日に・・・と思ってお願いすることにしました。 とにかく、可愛く描いてください」
前もって郵送されてきていたムーミン君の画像資料は3枚。
1枚はA4用紙にコピーされたもので、全身のポーズが気に入っているが、顔は緊張しているので嫌とのこと。 あとの2枚はいわゆるサービス版サイズの写真で、そのうちの1枚はお気に入りの顔の見本として・・・。 ただ耳の折れ方がいつもと違うので・・・と、耳の見本にもう一枚。
コピーは普段から壁に貼ってあったらしく、すっかり色焼けしていて本来の体の色がよく分からない。 顔見本の写真はかなりハレーション気味で、コピーとはまた違った焼け方をしている。 さらにもう一枚は全体が青味掛かっていて、まったく別の犬のよう・・・。
(う~~~ん)と心の中で唸る。
しかし、受話器を当てた耳から聞こえてくる M さんのやさしい声が、私に大きな力を与えてくれた。
「わかりました。 精一杯描かせていただきます」
そう答えて電話を切ってから数か月、M さんの思いに後押しされながら少しずつ描き進め、ご主人の誕生日まで10日ほどを残してようやく完成。 早々にギャラリー宛に送った。
その翌日には、ギャラリーから電話が・・・。
「無事に届きました。 これならきっと喜んでいただけると思いますよ」
担当者からあたたかい労いの言葉をもらっても、まだ素直に喜ぶことはできなかった。
私にとって肖像画は依頼主のためにだけ描いた絵。 依頼主が気に入ってくれるかどうかが全てだから・・・。
するとその日のうちに再度ギャラリーから電話が入った。
「M 様にご連絡をしたら、早速お見えになりました。 ご本人と変わりますね」
ちょっとした不安の入り混じった緊張感が走る。
「どうも初めまして・・・。 M です」
受話器から聞こえてきたのは、予想していたあの穏やかな女性の声ではなく、男性の低い声だった。
もちろんその声の主はご主人に他ならない。
「いや~、本当によく描いてくださった。 眼の前に生き返ってきたようです」
その言葉を聞いた瞬間、胸につかえていたものがスッと消えて無くなった。
肖像画はいつもそう・・・。
サインを入れたからと言って、すぐに達成感を感じることはできない。 依頼主がその絵を目の前にし、気に入ってくださって初めて“完成”したと言える。 その言葉を耳にし、その表情を確認したその時こそが、私にとって本当の意味で“完成”なのだから・・・。
肖像画は資料だけを基にして絵描き独りが勝手に描くものではなく、依頼主の思いと共に描いてゆくもの・・・。 いや、その思いこそが私にその絵を描かせてくれるのかもしれない。
ご主人に替った奥さんの声が、聞き覚えのあるそれよりも心なしか興奮気味に聞こえた。
「私ね、お願いしてから10日ぐらいあとに夢を見たの。 ムーミンが他のワンちゃんたちと楽しく遊んでいる夢・・・。 それでね、きっと素敵な絵が出来上がるって信じてたの」
「・・・・・・」
「本当に、ありが・・・と・・・・・・」
急に震えだした声が途切れ、別の女性の声がそれに替わった。
「今ご夫婦お二人とも泣いてらっしゃいます。 私まで・・・感激です」
突然始まったギャラリーの女性スタッフによる実況中継が、ちょっと可笑しくもあり、同時にどうしようのないほど嬉しくて、私の目頭も熱くなった。
またたくさんの新たな力をもらった。
こんな時にいつも思う。
精一杯描いてよかった・・・と。
そして、これからも頑張って描き続けよう・・・と。
まだ今も制作中の肖像画が何点かある。
これらがやがて完成し、依頼主の元へ届く日のことを思いながら描き続けている。
「気に入ってもらえるかな・・・???」
いつものようにそんな不安を感じながらも、やはりその瞬間が楽しみで、楽しみで、しょうがない。