元気の源

猫が大好き、動物が大好きな、パステル画家・山中翔之郎のブログです。

秋の夜長に・・・

2011-10-26 02:20:31 | My Works -我が家の元さん-
          『 元気をあげる 』



秋の夜長はおセンチな気分になる。
“おセンチ”なんていう言葉は、もう死語になってしまったのだろうか? 最近まったくと言っていいほど耳にしたことがないけれど・・・。
でも、やはり今の気分は“おセンチ”がピッタリ・・・だな。


何かの拍子に・・・想い出す。
去年の今ごろは・・・なんて。

そう、去年の今ごろは・・・、元さんはまだまだ元気だった。
口からご飯を食べることはできなくなって、お腹に胃ろう用のチューブを付けたままだったけれど、それでもそれなりに元気で部屋のあちこちを歩き回ったりしていた。
「元さん、一緒に頑張ろうね。 これから何年でもこうしてチュウしてあげるからね」
そう語り掛けながら日に3回チューブを通して流動食を注入することもすっかり日課となっていた。
「大変ですね・・・」と多くの方々が心配してくれたけれど、まったく苦にはならなかった。
むしろゴロゴロと喉を鳴らす元さんと共に過ごすその食事時間は、いつしか楽しくさえ思える貴重なひとときになっていた。

一年前の秋は・・・、確かに不思議な時間が流れていた。
欲も打算も無い、命あるものがただひたすら全力で生きる様を目の前にし、肌で感じていた日々・・・。
元さん、よく頑張ったね。 本当によく頑張った・・・。
元さんのただただ純粋に生きる姿が、私を頑張らせてくれたんだ。

ああ・・・、寂しいよ。
今夜は無性に寂しい・・・。
こんな時は何もかも忘れて、ただひたすら元さんとの日々を想い出そう。
ごめんよ、元さん・・・。 ちょっと意地悪気分で君の鼻っ面に持っていくと、目を瞑って慌てて逃げ出してしまうほど嫌いだった焼酎のお湯割りを飲みながら、今どっぷりと君との想い出に浸っている・・・。

ありがとう、元さん!
君はいつも私に溢れるほどの元気をくれる。
あの頃も・・・、今も・・・、そしてこれから先もずっと・・・。


秋の夜長の、酔っぱらいのひとり言・・・。
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名前

2011-10-21 02:51:15 | My Works -肖像画-

ここのところ毎日のように肖像画を描いている。
描きながら、モデルになっているコの名前を幾度となく口に出してみる。
そうすることで、そのコに対する飼い主さんの思いが感じられ、それが制作を進めるうえで大きな大きな力になるから・・・。

これまでに描かせていただいた肖像画は250点を超えている。
動物の種類に関係なく同じ名前もいくつかあったが、それでも200前後の様々な名前に出逢ってきたことになる。
一つ一つを挙げ始めたらきりがないが、オーソドックスなものから実にユニークなものまで、なんと色とりどりなことか・・・。
その一つ一つには飼い主の家族みなさんの愛情がいっぱいに詰まっていて、それを強く感じながら描いたことを今でもはっきりと覚えている。

どんな理由で、或いはどういう経緯でその名前が付けられたか・・・ということも、これまた千差万別。
今回はその中でも、思わず「えぇぇぇ~~~!」と声をあげてしまった名前と、そのコの絵をご紹介することにする。


冒頭の絵(↑)のモデルになった黒猫の名前は“オイちゃん”という。
それだけでは特に驚くこともなかったのだが、ちょっと変わった名前でもあったので、ついその経緯を聞かせてもらった。
依頼主のTさんの説明によると・・・、
一匹の黒猫がTさんの家に来たとき、それはそれは大歓迎されたとか。 どんな名前にしようかとみんなで相談したのだけれど、家族全員が納得するいい名前がなかなか見つからなかった。 そしてそれが何日も続いてしまった。 はっきり決まるまでは何と呼んでいいのか分からなくて、誰からともなく「おい、おい」と・・・。 いつの間にかそれがそのまま名前になってしまったのだそうだ。
それを聞いた瞬間には、正直なところオイちゃんが可哀想に思えた。 しかし、お預かりした何枚もの写真に写っている姿を見たら、その思いはすぐに消えて無くなった。
その表情は何とも愛くるしくて、自分の名前がどんな経緯で付けられたかなど関係ない・・・とでも言っているようだった。
確かにその通りかもしれない。
家族みんなが一所懸命に良い名前を付けてあげたいと思った結果が・・・“オイちゃん”なのだから・・・。
「そんないい加減な・・・」という人がいるかもしれないが、それは余計なことを気にする人間たちが勝手に思うこと。
ご本人(ご本猫)からすれば、きっかけがどうであれ、「オイちゃん」と声をかけられるたびにT家の皆さんの愛情を素直に感じていたのだろう。

きっと様々な動物たちと人間との間に生まれた“縁”の数だけ名前があって、その名前と共にそれぞれの愛情の形があるのだと思う。
これからもその一つ一つを感じながら、肖像画を描いていきたい。
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アムネジア

2011-10-15 12:07:41 | 日記

アムネジア(AMNESIA)= 記憶喪失、健忘症、特定の記憶が欠落する症状

前回アップした『 誓い 』、初めてのつもりでしたが、なんとなく気になって調べてみたら、なんと去年の6月に一度ご紹介していました。
う~~~ん、アムネジアになってしまった・・・。

もちろんその内容まで重なっていたわけではなく、1回目は小学生のころに抱いた宇宙飛行士になる夢から・・・。 そして前回は秋の風が思い出させてくれたもの。
一つの作品に関わるいろいろなエピソードがあるのは何も気にすることはないのですが、とにかくショックなのは、たとえ1~2日のこととはいえその記憶がどこかへ行ってしまったこと。 とほほ・・・の気分です。

とは言っても・・・、
「何だっけ・・・、ほら、ほら・・・、あれ、あれ・・・」
「誰だっけ、名前が出てこない! 顔は浮かんでいるのに~~~」
なんてことは日常茶飯事で、昨日今日始まったわけではないのですが・・・。
こんな時はすぐに諦めてしまうことが一番ダメで、とにかく思い出そうとすることが大切とか。 たとえすぐには思い出せなくても、そうすることがアムネジア症状の改善につながるらしいです。
そう思えば、今回のことはすぐに自力で思い出したのだから良しとすることにします。
ただ、2回目の登場ということに気付いたので、遅ればせながらタイトルを『 誓い 2 』と訂正することにしました。

ご紹介していない作品はまだまだたくさんありますが、『 誓い 』に限らず既にご紹介した作品でも、最初とはまた違った取り上げ方をしてみたいと思います。
もちろんその時は“2”、“3”を忘れずに付けなくては・・・。

今回は、言い訳と開き直りでした。
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誓 い  2

2011-10-13 02:14:06 | My Works -天体シリーズ-
                 『 誓 い 』


何故だろう?
秋の風を感じるころになると、無意識のうちに夜空を見上げ、月の姿を探していることがある。

もっともポピュラーな十五夜の中秋の名月に始まり、十三夜、そして十日夜の月と、古くから伝わる様々な風習が月を愛でる習慣となって現在に至り、それが“秋”という季節に続くからだろうか?
エネルギーの象徴ともいうべき太陽が放つ光の圧倒的な強さと違って、月の光には静けさの中に秘められた優しくも逞しい力を感じる。
だからだろうか・・・、月と対峙していると、自分の中にも何か新たな力が湧き上がってくるような・・・そんな不思議な気持ちになる。
そして自分自身に対して何か誓いをたてずにはいられなくなる。
それは「頑張るぞ!」みたいな単純なものであったり、時には人生に大きな意味を持つとんでもない誓いだったり・・・。


2005年秋のボザール・ミュー個展に出品した新作の中に、4点の天体シリーズ作品があった。 
今回ご紹介する『 誓い 』はその中の1点。 40cm×55cmというサイズで、私が描く中では大きな部類に入る。

この時はとにかく思いきり大きなお月様を描きたかった。
真っ黒に近い濃紺の中のうっすらと黄色味を帯びた月色・・・。 ほかの色は何もいらない・・・くらいの気持ちだった。
だからなのか、後ろ姿でたたずむ猫は自然と黒猫になった。

満月と一緒にこの黒猫を連れて帰ってくださることになったOさんが、ギャラリーの壁に掛けられたこの絵を初めてご覧になった時の様子は、今でもはっきりと思い出すことができる。
Oさんの視界にこの絵が入った瞬間、それまで交わしていた会話がプツンと途切れ、その身体が吸い寄せられるかのようにス~っと絵の前に・・・。 そして両の指先が静かに額縁の下辺の両角に添えられた。 もし目の前の絵が人間だったとしたら、そのまま抱き締めていたのではないかと思えるような・・・そんな不思議な緊張感が漂っていた。
しばしの静寂のあと、その緊張感を解きほぐそうと声をかけてみた。 
交わす会話はほとんどうわの空で、かろうじて相槌を打ちながらも、その視線が絵の上から動くことはなかった。

後日、絵がご自宅に届いてからの話をOさんから聞いた。
「思ったよりも大きくて、びっくり! それに、後ろ姿の猫が黒ちゃんだって気が付かなかった」
「えぇぇ~っ! あんなに大きいのに・・・」と驚きの声をあげながら、私は心に中でおおいに納得していた。
あの黒猫は私自身であり、同時に縁あって絵の前に立った方々一人一人であって欲しいと願っていたから・・・。
きっとOさん自身が絵の中の入りこみ、黒猫と同化して満月を見ていたのだろう。
そしてOさんも、月が持つ不思議な力の虜になってしまった一人に違いない。

はたしてOさんは満月を前に何か“誓い”をたてたのだろうか?
それは未だに聞いたことがない。

秋の風が吹くと思い出す一作・・・。
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しがらきの森にて

2011-10-07 18:38:57 | 日記


昨日“しがらきの森”へ行ってきました。
と言っても、滋賀県の信楽ではありません。 横浜市都筑区「都筑ふれあいの丘」駅から歩いて2~3分の“しがらきの森”。
「???」という方が多いのでは・・・。

これまでブックマーク欄に“あすネットの森”という名前で登録し、私の作品やポストカードの販売をしていただいていましたが、この9月から“しがらきの森”として新装オープン。 
場所もこれまでの京王線仙川駅から上記の場所へ移転しました。
私も今回初めて新店舗にお邪魔しました。

名前の通り、信楽焼きを専門にネット販売するお店ですが、なぜそこで私の絵やポストカードを扱ってもらっているのか・・・?
実はこのお店のオーナー夫妻の奥様が・・・、私が絵を担当した絵本『うさぎのユック』の原作者である 絵門ゆう子 さんの叔母様なのです。 絵門さんからお二人を紹介されて以来たびたびお邪魔するようになり、絵門さんご自身が亡くなられて5年半が過ぎた今も、それまでと変りなくお付き合いをさせてもらっています。
知り合った当初より私の絵描きとしての活動を応援していただき、お店やネットでポストカード等の販売をしていただく一方、個展のたびに作品を購入していただきました。
併設されたギャラリーで開かれた絵本の原画展は4回に及び、そのほかに私個人のユニークな展示会を開いていただいたことも・・・。
そして何よりも、昨年の3月以来一年半続いているこの私のブログ『 元気の源 』も、実はお二人からの強い勧めによって始めたのでした。

還暦をとうに越えたお二人ですが(年齢に触れてごめんなさい!)、人生に対する考え方の若さと、行動力のフットワークの良さにはいつも驚かされます。
今回の移転はまさにその表れの象徴。
仙川に比べると店内はだいぶ狭くなったということですが、初めて足を踏みいれた瞬間に感じた「広~い!」という印象はなんだったのでしょうか?
きっと衰えることを知らないお二人の更なる前進の気持ちが、その新たな拠点ともいうべきお店をこれまで以上に広く感じさせたのかもしれません。

                   

驚いたことに、店内の壁にはこれまでに購入いただいた20点近い私の作品すべてが・・・。
それはもう「 壮観!」以外の何物でもなく、自分が描いた作品であることを忘れてしまうほどでした。
人通りの多い1階に面した広いショーウィンドーからは店内が見渡せ、まだ一度もご覧いただいたことのない方々にも私の絵を知っていただけると思うと嬉しくなってしまいました。

しばしお店の中の様子を拝見した後は、駅周辺で最高級且つ唯一(???)の居酒屋で祝杯を・・・。
飲みっぷりもまだまだ若いお二人と久しぶりに飲んだ焼酎の味は格別でした。
素晴らしいご縁に感謝!
そしてそのきっかけをくださった絵門ゆう子さんに、改めて感謝!
あとはそのご縁を、私自身が大切に育てていかなければ・・・と肝に銘じながら帰途につきました。


                

現在これだけまとまった数の私の作品が、常設という形で展示されているところは他にありません。 
お近くの方はぜ! また決して近いとは言えませんが、東京方面からもお出かけいただければうれしいです。
私の絵と一緒に、お二人が愛して止まない信楽の焼き物も楽しんでいただければと思います。 さらにはお二人との楽しいおしゃべりも、ぜひ!
詳しいことは更新したブックマーク欄の“しがらきの森”をご覧になってください。
その際にはぜひ「店内の様子」も・・・。 私が慌てて撮ったへたくそな写真 ↑よりもよく分かると思います。
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I am げ・ん・き

2011-10-05 18:52:41 | My Works -我が家の元さん-
                 『 I am げ・ん・き 』


「新しいコは・・・、飼わないんですか?」

4月のミュー個展では、まったくと言っていいほど訊かれなかった。
6月末の聖路加個展では、ほんの数人から・・・。
そしてつい最近の横浜個展では、その数が一気に増えた。
個展中に限らず、そんな質問をされる機会が少しずつ増えてきているように感じる。
今月の17日で、元さんが天国へ旅立ってから8ヶ月になる。
“時が過ぎる”ということは、そういうことなのかな・・・と思う。

「18年半ですからね・・・。 とても考えられません」
私は何の躊躇もなく、繰り返しそう答えた。
「そうですよね・・・。 変なこと訊いて、ごめんなさい」
質問されたほとんどすべて・・・の方に謝られたが、私自身はまったく不愉快な思いなどしていなかった。
元さんのかわり・・・などという意味ではないことは、充分に分かっていた。 むしろ私の元さんへの思いを自分のことのように感じてくださっているのだろう。 あたたかい気遣いが痛いほど感じられて、私の方が感謝の気持ちでいっぱいだった。
そんなこともあって、一言付け加えた。
「私は全然望んでいないけれど、何か新しい縁があれば勝手にやってくるでしょう。 その時はその時で・・・」


ここのところ、依頼を受けた動物たちの肖像画制作に集中する毎日が続いている。
モデルになったどのコの写真を見ても、依頼主やそのご家族の溢れんばかりの愛情が感じられる。 それは私にとってとんでもなく大きなプレッシャーであると同時に、制作する上でのとても大切な力となってくれる。

ふと制作の手を休めた時、描き掛けのコたちに触発されたかのように、元さんの面影が蘇ってくる。
そんな時、ふと考えることがある。
もしも本当に“新しいご縁”なるものが現れたとしたら、自分はいったいどうするのだろう?
想像もつかないことを無理やり思い浮かべようとしたら、頭がぼ~っとしてきた。
「にゃっ!」
突然どこからともなく元さんの短い鳴き声が聞こえた。
慌てて元さんの写真に目をやると、いつもと何の変りもないどんぐり眼をしたタヌキ顔の元さんがじっとこちらを見ていた。

ひと鳴きが何を意味するのか分からない。
ただはっきりしているのは・・・、元さんはどんな時も変わることなく私の心の中で生き続けている・・・ということ。

余計なことを考えずに、やるべきことをやろう!
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はあとの ひかげ

2011-10-02 11:31:57 | 日記

一昨日、いろいろな思いを込めて、1枚の絵を発送した。
8月19日のブログで、“なつひる展”のご案内の際にご紹介した作品『 はあとの ひかげ 』である。
ここで再度その画像をアップすることにする。

                 
                 『 はあとの ひかげ 』


先日終わったばかりの横浜個展にも展示をし、新しくお世話になる先が決まっていた。
そのAご夫妻とは、今年の4月に銀座ボザールミューでの個展で初めてお会いした。
その時お二人が手にしていたDMは、お二人ご本人ではなく、娘さんのYさん宛に出したものだった。
「実は・・・、娘のYは昨年の秋に亡くなりました」
一瞬、私はなんと答えたらよいか分からなかった。
「娘は猫が大好きで・・・」という言葉と共に、私からのDMが届くたびに見に出かけることを楽しみにしていた・・・と聞き、にわかに視界がぼやけるのを抑えることができなかった。

昨年9月の横浜個展の芳名帳に、Yさんのお名前が記帳されていた。 それからいくらも経たないうちに、Yさんは天国へ旅立ってしまったのだ。
お会いしたのが最後となったその個展の時も、決して体調が良いとは言えなかったらしい。
もちろん私はそのことを知る由もなく、来廊いただいたほかの皆さんと同じように接し、言葉を交わしていたはず・・・。
そう思うと、今さらながら居たたまれない気持ちになった。


一周忌が近づいた今回の横浜個展で、ご両親はYさんのために何か一作を・・・と思ってお出かけになったとのこと。 それを聞いただけで、私は胸がいっぱいになってしまった。
そしてこの『 はあとの ひかげ 』が最終的に選ばれた時、何とも言えない感慨を覚えていた。
戸外の猫を描くとき、その背景の中の木々に新芽を描き入れることがよくある。 
私にとってそれは新たな生命の息吹であると同時に、再生の象徴でもある。
Yさんがいろいろなかたちで生まれ変わり、ご両親、ご家族を見守り、生きる力になってくれるようにと願った。
同時に、小猫の額の“はあと”(ハート)の形に映った影には、きっとご両親ご家族のYさんを思うお気持ちがいっぱい詰まっていると強く思った。


愛する存在を亡くした悲しみは、どんなに時間が経っても消えることはないだろう。
それでも、大の猫好きだったというYさんが、本物の猫はもちろん絵の中の猫を目にした時にきっと見せてくれたはずのとびきりの笑顔を、時には想い出してもらいたい。
今すぐに・・・などとは決して思わない。
どれほどの時間がかかるか見当も付かない。
しかしいつの日か、私が描いた絵の中の猫が、たとえほんの一瞬でもご両親ご家族の心の中にYさんの笑顔を蘇らせるきっかけになってくれることを願っている。

少しずつ、少しずつ、“時”の持つ偉大な力によって、深く大きな悲しみが、やがて静かなやさしい想い出に変わっていきますように・・・。
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